私は葬式坊主が嫌いで、自分の遺言書に「葬式無用、坊主呼ぶな」と書いていた。いくつかの葬儀屋主催の葬式に出ると、契約した坊さんがうやうやしくも登場して、面識のない人に経をあげて、敬礼の中を立ち去る場面を見てきた。いやだいやだ、と思ってみていた。
母の時は前もって決めていたお寺に頼んだ。母は元気な時に1回訪問したことがあって「ここでお葬式だよ」と話していた。

この坊さんは高橋卓志住職といって、「葬式仏教はいらない」と主張している人だ。ご自分は日本に限らず世界のあちこちに東奔西走して、チェルノブイリやタイのエイズ患者自立支援だったり、市の郊外にデイサービスを設けたり、ターミナルケアの拠点作りをしたことを知っていた。
葬式は死亡から埋葬までワンストップで完結するように構成されている。しかもほかと比べられないくらい低額で公開会計だ。この実行力はあっぱれである。


亡くなった人の今までの話を家族から丁寧に聞き取ってそれを当日列席の人にも語ってくれた。院のつく戒名に母はこだわる人だったので、あえて戒名を希望したが、フルムーンの夜に因んで「超月院」の文字が入っていて我々一族はあっぱれな命名と思った。今は血縁のない若い後継者が寺を引き継いでいるが、私はここへ骨を埋めてもらおうかなと思っている。それで遺言書を書き換えた。
上野千鶴子さんの在宅ひとり死の講演を聞いた。なるほど、ここまで制度を整えてくれた女性群に頭が下がる。

何冊か読んでいた樋口恵子さん と 
youtubeで身近になった上野千鶴子さん

活動的だった母が老人ホームを選んで入った時、一体この集団生活で生きていけるものかと思った。いやなら自宅に戻るか、私のうちへ来るか選べばいいと軽く考えていたが、それは甘かった。
昔「老後の幸せを考える会」で活動したといっても、あの人はそんなに自立心のある人ではなかった。活動のお仲間は当時の理想論と違ってみんな子と同居していた。理想論が理想だったとも言えない。。

私は、いづれはマンションにでも移るかと考えていたが、上野千鶴子さんの話を聞いて、待てよ、余程動けなくなって重度介護になった時は施設へ動かしてもらうが、それまでは草取りしながらここでがんばろうか、と思うようになった。最後まで在宅ひとりを頑張ることもないし。それに老後は老後になってみないと分からないこといっぱいあるよ、と言われたっけ。
しかし世の夫たちはこんなことも考えずに能天気に老後を送っている。

私は母を自宅に引き取らなかったことに最後まで自責の念があった。後悔とは違う申し訳なさだった。当時は朝から夜中まで自分の会社の仕事があって、母が来ても一緒にいられる時間は限られていた。
老人ホームに母を見舞って大抵は土曜に行って月曜の朝に戻る繰り返しだった。私が帰るとき、母はひとりポツネンと玄関口で手を振ったり、後半はベッドの中から見ていた姿は今思いだしても胸に迫る。
特養のホールで一人残っている後ろ姿は、今も忘れられない。
もっといいホームに最初から入ってもらえばよかった。しかし母はどこにいたらよかったのか、もう少し寂しくなく過ごせなかったのか。

その当時は上野千鶴子さんを知らなかったが、今youtubeで上野さんの講演を聴いていると「ああそうなのか」と思うことがある。死にゆく人は寂しいのですよ、恵まれた条件にある人もこれはどうしようもないのです、と。
年に2回くらい入居者にアンケート調査というものがあります。
お食事はおいしいか、イベントはよかったか、というものです。じつは食事は業者がはいっているので冷えている処へもってきて利益を確保しますからお世辞にもおいしいとは言えません。メニューを見ると食材名がいろいろ並んでいてバラエティに富んで良さそうに見えますが、とんでもない、豆腐が毎日2回でます。

安くて老人向けで、良質のたんぱく質というこれ以上ない材料です。冬でも豆腐を切っただけの冷奴が毎週何度もでます。ちょっとひと手間かけてくれるとありがたいところです。お仲間さんと話して「アンケートに本当のことは書けないねえ」というわけで、まあまあおいしいとか、行事はよかった、という答えになります。不満を書いて目をつけられたら怖いですから。
このアンケート集計が後日配布されます。結果は「上出来」になっているわけです。
我々世代は概して正直にこたえられない世代です。戦前の世代ですから相手を斟酌すること、上のものに逆らわないことを身上として生きてきました。じっと首をひっこめた亀です。
亀が顔をだしてかみつくのは子を守るとき、それもはるか昔です。
お医者さんがうつになる

私のつれあいは2年近く自宅で訪問医療をうけていました。その先生のおかげでほとんど最後まで自宅ですごすことができました。40代のとても誠実で穏やかな先生で、家族一同ありがたい思いでいっぱいでした。私も病院ではこの先生に診ていただいきました。この先生があるときから姿を見せなくなりました。後で聞くとうつ症状に苦しんで仕事ができないということでした。誠実な頑張る先生はうつになるのでした。涙の思いです。


娘の談:
その後、母もうつ症状で長く苦しんだが、いい手立てがないなかでこの頼りにしていた先生に電話をして話を聞いてもらったことがある。先生は回復されるのに2年くらいかかったのかと思うが「自分も苦しんだのでよくわかります。必ずよくなりますよ」という語りかけだった。その後先生は復帰されてから一度、ホームにいる母を見舞ってくださったことがあった。同じ病の人を思いやってのことだったろうと思った。
終末期医療を訪問で担当するお医者さんは鎧を着てほしい。鎧なしで戦場にでては矢羽に倒れてしまう。毒矢というより連続ボディーブローを受けるようなものか。

親の世話中に出会った訪問医療の先生でうつになった方がふたりいらしたが、気の毒でたまらなかった。医療者のための鎧を必ず用意していただきたいものだ。

晴れて入居する
自立生活支援の有料高齢者施設というところに入りました。私は昔50代の時から、「老後を幸せにする会」という婦人グループに属して識者を招いたり、本を読んだり施設訪問をしたりしていました。グループの仲間うちでは子に頼らないという前提希望がありました。当時のお仲間で現在一人で暮らしているのは、私のほかにもう一人だけです。今が「老後」か。「老後」になってみないとわからないものだわ。


私が老人ホームに入ることにしたと私の兄弟親戚に報告をしたところ、意外な反応が返ってきました。
私くらいの年齢の人からみると、ホームは姥捨て山だと思われていたことです。子供がいるのになんてことだ、そのくらいならこっちの田舎にきて暮らせやとふたりの兄弟がいってくれました。この年になっても兄弟の情は深くて涙が出ることばでした。何を言っているの、今は自分のお金でホームにはいるのは周りに迷惑をかけない上に、自分の自由も守れる選択なんだから、と私の弁。
それに自宅はそのままにしてあるので、夏は長期に自宅生活をすればいい、行ったり来たりすればいいという思いでした。その後、これは思わぬ展開になってしまうとは当初は考えてみませんでした。
私はまだ頭はしゃっきりしているつもりだったので、いくつかを実際に自分で見て判断しようと思いました。その際は遠路きてもらった子や孫に同行願いました。老人だけでは施設側も本気に対応してくれないと聞きました。
 三つのホームを見学しました。長年すみなれた町を出る気はなかったのでこの市内で探すことにしました。
 
一つはイロハ苑。比較的新しくて食堂や浴室や玄関がひろびろしてゆとりあり。全室にベランダあり。介護要だが自立生活できる人を対象にしたフロアと、もっと重度の介護要のフロアと、まったく自立生活ができない特別養護老人ホームのフロアがあります。特養に行きたくはないが、万一のときはおいだされずに済むだろうと思いました。
職員は愛想もないがそっけなくもなく淡々としていました。職員は三十歳代が少し、四十代 五十代と見えました。ここは入所金が百数十万円で月の経費が十五万円くらいでした。


翌日は新築の立派なホームを見学しました。この町では一番立派なホームです。入所金が一千二百万円からで月の基本経費が二十万円以上。設備がよく、共有室も大きくコーナーにピアノが目につきました。食事の内容がとてもよく見えました。洗濯は自分でせずにすべて施設にまかせること。介護認定が2ならこの介護限度までの費用が乗ること。イロハ苑はうけたサービス分の介護費用だけが請求になります。施設によって計算が違うことがわかりました。ここの職員は若い人が多いという印象でした。
この立派ホームは町の中心地にあって外出に便利で付属の医療機関も内外にかかえていて便利この上なく見えました。廊下や玄関はとても大きくて立派ですが、部屋の大きさはイロハ苑とそう変わりません。イロハ苑は標準タイプが二十二平米.立派ホームは二十-三十三平米.これは意外でした。

立派ホームを見学に行ったときにちょっとひっかかることがありました。電話予約をいれて日曜日の昼ごろに訪問しました。窓口の女性に「ただいま担当者がご説明しますので少々お待ちください」と言われて孫と一緒にラウンジで待つことになりました。

ずいぶん待たされて、やがて若い男性がでてきて丁寧に案内してくれました。終わって退出した後で孫が言いました。
「あの人はたばこの臭いがきつかったね。たばこを吸う時間待たされたんだと思う」これが選択の判断するときの減点になりました。それにもっと大きな理由は、立派なホームは豪勢な人ばかりいるのだろうという尻込みがありました。見学している間、廊下を歩いている住人は一人もいないし、談話室で話す人もだれも見かけませんでした。

もう一つは元気ホーム。職員がぱきぱきして私たち元気です、というムードいっぱい。費用は入所に三百万円から。月経費は十七万円くらいから。これも街中にあって便利。ただ庭がない、共有スペースが非常に小さい。部屋は小ぶり。さらにゴミ箱がいっぱいになっているのがあちこちに見える。ここは選択除外となりました。
最初に訪問したいろは苑に入ることに決めました。


私がホームに入ろうと思ったのは一人暮らしになって井戸に落ちた思いで意気消沈して暮らしているときに、脅しまがいの押し売りに恐れをなしたためでした。
ある時若い男が玄関の上がり框まで入ってきて、なんやかんや口上をまくしたててきました。防犯設備の道具を設置しろというようなことでした。

なんと家まわりを見て回った上に持参の道具をを取り出して玄関引き戸に内側からなにやら「これを取り付けろ」ということなのか引き戸におしつけて見せました。
老人がひとりとわかって大胆にでたのでしょう。近所の人を呼びに行けば家がもぬけの殻になるのがわかってしまうし、私が怖気づいているとき、たまたま 近所のひとが用事があって庭に入ってきたので事なきをえずに済みましたが、それ以来うち中の鍵をかけまくって毎日びくびくと暮らすことになってしまいました。

つれあいを亡くした後、気を張ってやっと暮らしていた中で枝が折れるような気がして一人暮らしの限界を感じて、これを境に老人ホームに行こうと考え始めました。