私は母を自宅に引き取らなかったことに最後まで自責の念があった。後悔とは違う申し訳なさだった。当時は朝から夜中まで自分の会社の仕事があって、母が来ても一緒にいられる時間は限られていた。
老人ホームに母を見舞って大抵は土曜に行って月曜の朝に戻る繰り返しだった。私が帰るとき、母はひとりポツネンと玄関口で手を振ったり、後半はベッドの中から見ていた姿は今思いだしても胸に迫る。
特養のホールで一人残っている後ろ姿は、今も忘れられない。
もっといいホームに最初から入ってもらえばよかった。しかし母はどこにいたらよかったのか、もう少し寂しくなく過ごせなかったのか。

その当時は上野千鶴子さんを知らなかったが、今youtubeで上野さんの講演を聴いていると「ああそうなのか」と思うことがある。死にゆく人は寂しいのですよ、恵まれた条件にある人もこれはどうしようもないのです、と。