博士論文要旨 | 山下 暁子(音楽学・ピアノ)のブログ

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Akiko YAMASHITA, Ph.D. in Musicology / Pianist

「プラシッド・シラパバンレン(1912-1999)の研究 ―タイ音楽の実践者としての活動―」

博士学位論文 博甲第208号 平成28年度(2016)

お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科 比較社会文化学専攻

山下 暁子

 

 本論文の目的は、タイの音楽家プラシッド・シラパバンレン ประสิทธิ์ ศิลปบรรเลง(1912-1999)の活動における、伝統的なタイ音楽の実践者としての側面を考察することである。プラシッドの父は、タイ音楽の巨匠の一人として広く認知されているルアン・プラディット・パイロ หลวงประดิษฐไพเราะ(本名ソーン・シラパバンレン ศรศิลปบรรเลง, 1881-1954)である。プラシッドは、西洋音楽を学ぶために留学をした初めてのタイ人であり、1998年には西洋音楽の作曲家としてタイの「国家芸術家 National Artist」に選定されており、これまで主にタイにおける西洋音楽の先駆者として評価されてきた。

 

 従来の先行研究では、プラシッドがタイ音楽の実践者としても長く活動し、タイ音楽に貢献した事実にはほとんど目が向けられてこなかった。プラシッドという音楽家を何れの観点から論じるにせよ、まず議論の前提として、これまでの諸記述において欠落していた、タイ音楽の実践者としての側面について明らかにする必要がある。プラシッドは、タイの音楽状況が近代化する過渡期に活動していた音楽家であり、本研究はタイの近代音楽史の事例研究の一つとして位置づけられる。

 

 本論第2章では、先行研究や諸文献資料におけるプラシッドの記述に見られる「語られ方」について検証した。プラシッドが西洋音楽の先駆者であったことは間違いないが、それと同等もしくはそれ以上にタイ音楽の実践者として重要な活動をしていたと言える。しかし、プラシッドの「語られ方」には偏りが見られ、その事実が明示されてこなかった。特に、来日時の活動と、パカワリー舞踊音楽学校(以下PIDM)の活動については、その実態が正確に示されてこなかったことがわかった。

 

 第3章では、1935年にプラシッドが来日した契機となった公演について、調査・考察を行った。同公演は非常に大規模な国家レベルの重要行事であり、プラシッドには引率者としての重要な役割があった。プラシッドの来日は、東京音楽学校への留学と西洋音楽の学習のみならず、より大きなコンテクストとして、プラシッドがタイ音楽にとって牽引的人物であったことを示すものである。

 

 第4章では、プラシッドが中心となって運営されていたPIDMの諸活動について調査・考察を行った。PIDMはタイの伝統的な舞踊及び音楽の学校であり、その活動は、大きく外国からの賓客に向けた公演、音楽学者への協力、教育機関との相互交流、外国公演に分けられる。PIDMは私的な機関でありながら、その活動はタイの代表としての側面を持つ、公的なものであったと言える。

 

 プラシッドは、伝統的なタイ音楽の家系に生まれ、若くしてタイ音楽を習得し、続いて西洋音楽を学び、西洋音楽の実践者として活動した後、再びタイ音楽の実践者として長く活動している。こうした経歴は、プラシッドにとって、西洋音楽の学習がタイ音楽の実践者としての活動を停止させるものではなかったことを示している。しかし、「西洋音楽」に携わった第一人者であったために、「西洋音楽」の担い手であることが中心に据えられ、その後のタイ音楽、すなわち「非西洋音楽」の担い手としての活動には注目されない結果となった。このように、事実が選択的に受け取られてきたのは、語る側が「西洋音楽」と「非西洋音楽」という二項対立を前提としてプラシッドをとらえ、「非西洋音楽」の実践を二次的なものとしてきたからではないか。

 

 プラシッド自身は、PIDMが扱う音楽について、「タイの伝統的な音楽(Thai traditional music)」と表現している。この事実は、タイ音楽の実践者としてのプラシッドが、伝統的な「タイ音楽」というものを、その他の音楽と区別していたことの裏付けとなり、プラシッドがPIDMで自身が作曲した作品を一切用いず、「タイの伝統的な音楽」を扱ったこととも整合する。このことは、プラシッドについて語る場合にも、語る側が「タイ音楽」と「非タイ音楽」という新たな枠組みを考えるべきであることを示唆している。こうした新たな枠組みにおいては、「西洋音楽」は「非タイ音楽」の1つとしてとらえ直すことができる。

 

 プラシッドを西洋音楽の実践者としてとらえた場合、「西洋音楽」と「非西洋音楽」という枠組みは、ある意味有効であっただろう。しかし一方で、タイ音楽の実践者としての側面も含めた、彼の活動の全体像に目を向ける際には、「タイ音楽」と「非タイ音楽」という枠組みを持つことを前提にする必要がある。

 

 本論文では、これまでの二次資料において抜け落ちていたプラシッドのタイ音楽の実践者としての活動の実態を、筆者の調査による新出資料を含む一次資料を元に整理し、その貢献度と重要性を指摘した。本研究で明らかになったプラシッドという音楽家が持つ性質は、タイの音楽家のあり方の一つのモデルケースであり、我々が今後タイ音楽やタイの音楽状況、さらには「伝統」について語る上でも必要な視点であると考える。