50KM競歩存続へお願い! | 園原健弘 アドベンチアーズ!

週末の16日(日)日本選手権50Km競歩が石川県・輪島市で開催される直前にお願い!

 

国際陸連から2018年以降の国際競技大会から50Km競歩を除外するという提案がされています。私は第1報をFB上で4月6日に知りました。が、あまり深刻に考えずいつもの事!と受け止めました。(FB上にも書きましたが。)

 

こうした報道が出るだけで50Km競歩に青春を賭けて来た(人生は賭けてませんが。)人間としては、辛いです。

自分の過去を否定されたような気持ちにもなります。

 

競歩は人気がなく、マイナー種目でテレビなどのコンテンツとしては不向き。というのは、十分に承知しています。

しかしながら近年の日本選手の活躍によりTVでも国際レースはLIVE中継してくれるようになりました。

ちなみに北京の世界陸上での視聴率は男子マラソン 8% 男子20km競歩 11.8%

と競歩がマラソンを上回ることもあります。日本人選手の活躍があれればこそです。

 

それでも「競歩は面白くない。全然ワクワクしない。」なんていうコメントやお言葉も頂くこともあります。

過去はそんな言葉に傷つくこともありました。それが、反骨心になり今を支えている面もあります。

ただ、そこまでに費やした努力や競歩をしている人間の人間性まで否定されるような言葉があれば戦いますし、その人の人間性を知って去って来ました。

 

そう言った意味で今回IF(国際陸連)からこの提案がなされているというのはショックです。今まではIOC側がオリンピックのコンパクト化を訴え「IOC側から競歩見直してはどうだ?」みたいな流れだったと思います。(違うかもしれませんが。)IFは競歩を守ってくれる側だと思っていました。

 

イタリア、スペイン、メキシコなど競歩強豪国がIFやIOCに力を発揮してくれていたのかもしれませんが、今や競歩の強豪国は中国、日本、豪、北欧です。そんな力関係も影響したのかもしれません。

 

本日ツイッターを見ていたら、陸連でもこの問題について会議してくれているような言葉もあり、大いに期待しています。

 

「選手が頑張って一生懸命やっているから存続してくれ。」だけでは根本的な解決にはならないのは承知の上です。

しかしながら選手や関係者、一般の皆様の声で状況が変わるなら是非ご協力頂きたくお願い申し上げます。

 

オリンピック憲章や競歩の成り立ちの意義などをしっかり解説してご協力仰げればいいのですが、私には力がありませんのでただただお願いするばかりです。

 

下記サイトでご署名頂ければ幸いです。

 

Keep the 50km race walk in the Olympics

 

上記サイトでは、他競技の陸上選手、棒高の澤野君、200Mの藤光君、400Mの金丸君、駒沢大学の中谷君、ツイッターでは東洋大の口町君、学法石川で活躍した遠藤君、(私が確認できただけ)の応援・支援コメントが上げられていて嬉しくなりました。

 

競歩OBの私も黙ってるわけにはいかないので(FB/ツイッターではお願い済み)ブログでも。

 

今回の競歩除外の理由とされているもの こちらのサイトにまとめられています。こちら

①男女差の存在

現在、女子50km競歩は行われていません。理由は「過酷だから」。競技人口もとても少ないです。
このことが男女平等を提唱する五輪憲章に抵触するのでは、というのが最も大きな理由です。

 

②競技時間が長い

4時間近くも競技が続きます。商業化した五輪では競技時間の長い競技は、視聴者の集中力に配慮して減少しています。野球のタイブレーク、7人制ラグビーなどはその例です。
50km競歩は昨年の世界陸上で男子マラソン以上の視聴率を記録しましたが、それでも競技時間が長いのです。

 

③ルールがわかりにくい

大きな原因の1つです。そもそも競歩のルールって、みなさん正確に答えられますか?
経験者でも失格かそうでないかの線引きは難しいです。商業化したスポーツでは、ややこしいルールは好まれていません。

 

④ロシアドーピング問題

 

⑤ヨーロッパ勢の不振

 

上記の理由をしっかり克服する現場の努力は必須です。特に人気が出てTVのコンテンツになる、沿道の観衆が観戦して楽しい、興奮する。

そんな可能性がない訳ではありませんが、それを顕在化させるような動きが現場レベルから起こってないのも事実です。本来なら我々競歩OBがやらなければいけないことだったのかもしれません。

 

日本では人気を出すためにどうするか?⇒「オリンピックでメダリストを出す。本物になる。」強化一本頼りでした。小坂・今村部長時代で世界のトップレベルに来ました。

 

ここまで現場は必死にやってくれました。ようやく結果が出て人気も出てきました。

 

現役の選手の頑張りに我々OBも応える番です。

 

人気や経済的付加価値が生まれるような競技にしていかなければいけません。

 

ただ世の中は経済的な面が全てなのでしょうか?人気があるなしが評価の軸なのでしょうか?

 

努力は同じに評価されないことは私は何度も感じて来ました。評価されないということは価値が低いということなでしょうか?人間として能力が低いということでしょうか?

 

昨年の50Km競歩の銅メダリスト荒井君より、箱根駅伝の区間優勝ランナーの方が有名です。

経済的な側面やコンテンツとしての面白さは箱根駅伝には勝てないのはわかっています。しかしその結果にたどり着くまでの難易度や努力の総量は劣るどころか勝っています。正当(何が正当かいつも悩みますが)な評価などは期待はしていませんが、否定されることには激しく抵抗します。

 

野に咲く一輪の花の強さ、大きな向日葵でないけれど、いろんな花があって世の中は美しく楽しくなるんだと思います。