晴れて、母子ともに退院した11日。
家に着いて、遅めのお昼を食べ終わり、ダンナさんはチビ太と散歩へ、私と母は昼ごはんの後片付けをしていたその時、生まれて初めて体験する、あの長くて大きな地震。
実家周辺は地盤の堅い土地だし、その後引っ越した千葉、東京、埼玉どこに住んでも、生まれてからの34年間、3以上の地震てあったことがなくて、地震が怖いなんて思ったことがなかった私。
地面が揺れ、足元から崩れるかもしれないという恐怖を、初めて味わいました。
まだ生まれて5日の次男坊を胸に抱いて、母とただひたすら早く終わることを願いました。
家の中はガラス戸や壁がギシギシ、バシャバシャと揺れ、今にも割れそうで、しまいには外に飛び出しました。
大きな揺れが治まった頃、その辺を歩いているはずのダンナさんとチビ太を大声で呼ぶと、ちょうど戻って来て、ホッとして家に入ったものの、その後何度も来る余震。
またあの大きな揺れが来るんじゃないかと怖くて、しばらく庭に止めた車の中で様子を見ました。
当然、新幹線を始めとする交通機関はすべてマヒ。
翌日、何があっても結婚式の撮影に出なければいけなかったダンナさん(職業:カメラマン)でしたが、結局、結婚式自体がほとんどキャンセルに。
その後、やむを得ず実家に滞在していたダンナさんですが、山形新幹線の復旧を待っていたらあとひと月ぐらいかかりそうなので、今日の午後、新潟から上越新幹線で埼玉の自宅へ帰って行きました。
この地震、何と言うタイミング。
ダンナさんが新幹線に乗ってる時じゃなくてよかった。
私の入院中じゃなくてよかった。
ましてや、陣痛や分娩の最中じゃなくてよかった。
家族がみんな無事で、本当によかった。
私の向かいのベッドの人が、まさに、あの津波の被害をまともに受けた、宮城県亘理町の人で、里帰り出産で帰省していると、たまたま退院前の検診を待っている間に話していて。
出産も私と同じ日だったから、ダンナさんも毎日お見舞いに来ていて。
赤ちゃんが、家族全員の命を救ってくれたんですね。
ダンナさんが実家に滞在していた約10日間。
地震直後は、まあたまの特別休暇だねぇなんて、家族で過ごせる時間を楽しんでいたけれど。
でも、その後に発生した、福島原発の事故。
山形方面には放射性物質は来ていないと報道されていても、小さな子がいると神経質になってしまう。
余震はだいぶ落ち着いてきたけど、今度は放射能の被害が怖くて仕方がない。
テレビではあんまり報道されていないけれど、日本に滞在している外国人には、各国の大使館から関西より西に行け、それがムリなら日本を脱出せよという勧告が出されたそうです。
小さい子供は特に、甲状せんに蓄積されるから危険とか。
淡路島のダンナさんの実家か、京都のお姉さんの家に避難させてもらおうか…。
真剣に考え始めています。





…そろそろ授乳タイムです。





