ロワールのほとりで。 -3ページ目

ロワールのほとりで。

パリからロワール河のほとりの街に引っ越しました。失業から起業に向けての活動や子育てのことなどつづります。

Pôle Emploiの初回面談の後、指示されたことをやってみました。

 

複数の求職サイトへの登録。

 

そしてbonne boîte(希望職種で検索できる企業年鑑的なサイト)で見つけた会社に応募書類を送付。

 

あとは友人のアドバイスを受けていくつかの機関に応募しました。

 

それから大学の卒業証明書のこと。

 

言われたようにEnic-naricのサイトを検索すると、トップに現れたのは英語のサイト。

 

英語を読むのが面倒くさいし、リンクだらけでなにがなんだか分からず断念。

 

他のサイトをいろいろ検索してみるに、学士はLicenceのはずと結論付け、それ以上追究するのをやめてしまいました。
 

 

さらに、初回面談に付き添ってくれた友人が、Auto-entrepreneur (現在はMicro-entrepreneurに名称変更)として個人事業を立ち上げるとき指導を頼んだアソシエーションを紹介してくれました。

 

BGEという機関で、フランス各地に支部があり、Pôle Emploiとも連携しています。

 

そこで私も研修のようなものが受けられるか問い合わせてみました。

 

するとまずは10月後半にMicro-entrepriseについての説明会があるので参加するようにということで、申し込みをしました。

 

当日、夫がちょうど休みの日だったので付き添ってくれました。

 

集合時間に5分遅れて到着、でもまだ始まっておらず、入口には待っている人が10人前後。

 

待つこと20分ようやく担当者が到着しましたが、遅刻を謝りもせず(フランスだねえ)、会議室へみんなを通しました。

 

まずは用紙が配られ、必要事項を記入。

 

名前、住所、連絡先、前の仕事について、Pôle Emploiの登録番号、どんな事業を立ち上げる予定か、などなど。

 

それからひとりづつ自己紹介。

 

自分の番が来たらどうやってしゃべろうかと考えていて、ほかの人の話をあまり聞いている余裕がありませんでした。

 

フランス語で大勢の人の前でしゃべるのっていつまでたっても苦手だわ(仕事の時は全然平気なんだけど)。。。

 

そのあと冊子が配られ、それを元に担当者がMicro-entrepriseについての説明をしました。

 

「何ページのどこそこを見てください」とかいう指示もなにもなく、だらだらと説明が続くので、今どの部分について説明しているのか見つけるのが大変。

 

しかも経営・会計・税制に関する用語は未知のものが多く、私にはちんぷんかんぷんで、メモをとることすらできず。

 

周りの人がページをめくったら私もめくる、という作戦に出ました。

 

最後は質疑応答。

 

夫がPôle Emploiに登録している場合、今後はどのように進めていくべきか質問。

 

Pôle Emploiの担当者にBGEの指導を受けたいと申し出れば、面談と4回のアトリエが受けられ、会社立ち上げから3年間まで指導してくれるとの返答。

 

1時間半ほどで説明会はお開きとなりました。

 

帰宅してから辞書を片手にわからない単語を調べ、日本語で説明しているサイトも検索し、なんとかMicro-entrepriseについて大まかなことが分かりました。

 

でも日本語ですら会計とか一番苦手な分野なので、どうなることやら前途多難の予感。。。

 

 

9月半ば第1回目のPôle Emploiの面談がありました。

 

私のフランス語力で全部理解できるか不安、でも夫は仕事があるので、ちょうとスケジュールが空いていたフランス人の友人に付き添ってもらうことにしました。

 

この友人も失業時にPôle Emploiに登録して、その後起業したけれどまだ登録したままでいるので、勝手がわかっているから頼りになります。

 

夫に事前に注意されたのは、パリでしていたのと同じ職種のみを希望していると言うようにと。

 

希望職種を広げちゃうと、少しでも関係があれば、条件の悪い仕事でもなんでも押し付けられるおそれがあるからと。

 

とある方のブログでPôle Emploiの担当者がひどかったというのを読んで、どんな人にあたるかドキドキしていましたが、私の場合は感じの良い若い女性職員でした。

 

友人の付き添いも快諾してくれました。

 

まずは2年間の手当支給が決定したことの確認、登録内容の確認、そしてPôle Emploiの制度についての説明があり、今後求職活動においてやるべきことを指示されました。

 

1.    最終学歴が日本の大学なので、フランスでどのディプロムに相当するか、Enic-naricというサイトに問い合わせてみること。

      (これは後で私の理解が完全じゃなかったことが判明します)

 

2.    複数の求職サイトにCVを登録すること。

      希望職種に若干関連する別のある職種について、興味があるかどうか聞かれたので、思わずあると答えてしまいました。

      実際多少の興味はあるけれど経験は全くないので、これで求職するつもりはなかったんだけど。。。

      それで2種類の職種でのCVを登録するよう言われました。

 

3.    bonne boîteという企業年鑑みたいなサイトで希望職種を募集している会社を検索して応募すること。

 

あとは質疑応答。

 

Auto-entrepreneur(個人事業主)として起業することも視野にいれているが、Pôle Emploiで研修などはあるのか?と聞いてみました。

 

Pôle Emploi自体は研修を行っていないが、外部の機関に委任していると。

 

また、起業後収益があった場合、失業手当の金額より低ければ差額分が支給される、その分受給期間は延長される、とのこと。

 

以上で面談終了となりました。

 

45分くらいでした。

 

友人にはところどころ助けてもらい、いてくれるだけでも心強かったので感謝です。

 

とりあえず2年間はわずかながらも失業手当がもらえることになったので、しばらくはのんびりしてもいいんじゃないか?という悪魔のささやきが聞こえたのは事実。

 

でも夫や友人から「それはダメ!ブランクが長くなるにつれてどんどん復帰が難しくなるから、精力的に探すべし!」と叱咤激励を受けました。

 

そして本格的に求職活動を始めたのです。

 

 

今回は、仕事を辞めてPôle Emploi(フランスの職安)に登録するまでを書きます。

 

夫の転勤が決まったという知らせを受けた瞬間は、ただもううれしくて小躍りしましたが、次に私の仕事をどうするか考えなければなりませんでした。

 

引っ越し先の街(以降A市と表記します)で、同じポストを見つけるのは難しいはずなので、A市からパリに通勤することも考えてみたけれど、交通費や通勤時間がかかりすぎて割に合わない。

 

通常、自らの意思で会社を辞める場合失業手当は出ないけど、配偶者の転勤のため辞める場合は出るので、当面は無職でも細々と暮らしていける。

 

というわけで辞職を決意。

 

会社の労働契約書には、辞職する場合1か月前に通知することと書かれています。

 

7月最初の週末に引っ越すので、その前日を辞職の日と決め、6月初めに書留郵便で会社に辞表を送りました。

 

フランス語の辞表の書き方は、ネット上にいろいろモデルがあるので参考にしました。

 

同僚に辞めることを伝えると、それはそれは楽しい送別会を開いてくれました。

 

7年間一緒に働いた仲間と別れるのも、好きな仕事を辞めるのも、寂しい気持ちはありました。

 

でも新しい土地で新しい生活を始められるという希望の方が強かったように思います。

 

最後の1か月はたくさん仕事を入れて、ここぞとばかりに働きました。

 

なにせ失業手当の金額にかかわってくるので。

 

さて、会社は退職者に最終勤務日に下記の書類を渡すことが義務付けられています。

 

-certificat de travail(この会社で働いていましたという証明書)

-reçu pour solde de tout compte(労働契約終了時に支払われる金額を計算した書類)
-attestation Pôle emploi(職安に提出する証明書)

 

でも私の場合最終日にはもらえず、7月分給与支払い日(8月初め)に送るからと言われ、待たされることに。。。

 

そして7月初め、渡仏から8年間過ごしたパリにおさらばし、A市に引っ越しました

 

引っ越し後はまずバカンスです(完全にフランス人の思考回路)。

 

Pôle Emploiへの登録は、失職後2か月以内にしなければいけないので、9月初めまで猶予があります。

 

すぐ登録したら旅行中に呼び出し食らうかもしれないから、8月末まで待つことに。

 

そしてバカンス終了、新しいアパートに戻って、引っ越しの片付けが少し落ち着いたころ、いよいよPôle emploiへの登録です。

 

サイトから登録できるんだけど、これまでの職歴など、山のような質問に答えなければならず、何度か断念しそうになりながら数日かけて完了。

 

そして初めての面談の日が9月18日と指定され、手当を受ける権利があるかどうか審査するので9月4日までにattestation  Pôle emploiを送るようにとのメッセージが。

 

この時点でまだ会社からattestationが送られてきていなかったので、メールで催促しました。

 

そして期限ぎりぎりになってようやく受け取り、すぐさまPôle emploiに郵送。

 

Attestationのほかにも、夫の転勤のためやむを得ず辞職したことを説明する手紙、辞表、夫の転勤を証明する書類、夫との婚姻関係を証明するlivret de famille、夫と連名の新しいアパートの契約書、ガス・電気の請求書など、考えられる限りの書類すべてを送りました。

 

9月15日、Pôle emploiのサイトの自分のアカウントを見ると、失業手当を支給することに決定したというメッセージが届いていました。

 

金額は微々たるものではあるけれど、夫がシミュレーションした金額の倍近くだったので、うれしい驚きでした。

 

同じ日に、「辞職なので失業手当を支給しない」という手紙が郵送で届いて、え?なに?なに?どっちがほんと?と焦りました。

 

この手紙の日付は、支給決定のメッセージより前だったので、おそらく私が郵送した書類を処理していない段階で書かれ、配達に時間を要したと思われ、やはりサイトのメッセージが有効なのでした。

 

最初の面談についてはまた次回に。

 

なんと2年ぶりの更新!

 

家族みんな元気に生きていますが、日々の生活に追われてブログを書く気になりませんでした。

 

でもここ数か月で生活に大きな変化があり、今後誰かの参考になるかもしれない事柄もあると思われるので、記録しておくことにします。

 

それゆえタイトルも変えました。

 

まずはざっと近況を。

 

パリ生活に限界を感じていた私たち一家。

 

アパートはマクシムが成長するにつれて手狭になるし、広いところへ引っ越すのも金銭的に難しいし、パリの騒々しさにもうんざり、もっと静かな環境で暮らしたいと。

 

マクシムが生まれて以来、毎年転勤申請を出し続け、却下され続けていた夫、今年もだめだろうと思っていたら、4月、ついに辞令が下りました。

 

9月からロワール河畔のとある街に勤務とのことで、夏休み中に引っ越しをすることになりました。

 

その街は友人・知人・親戚も住んでいるので全く未知の土地でもないし、ど田舎でもないので、そこそこ静かに楽しく暮らせるのではと期待がふくらみました。

 

6月、新しい街の市役所に公営住宅の申し込みをするとすぐに数件紹介され、その中からまずまずのアパートを選び契約しました。

 

パリのアパートの倍以上の広さで、ようやくマクシムも自分の部屋が持てます。

 

夏休みに入って最初の週末に引っ越し、何はともあれバカンス優先の夫の主張により荷物もそのまますぐ旅立ち、戻ってきてから片付けや内装などをしました。

 

もうバカンス明けにあの騒々しくて汚いパリに戻らなくていいのがうれしすぎる!

 

さて、新しいアパート、公営住宅だけあって、設備は最低限、しかもチープだったりするので、水漏れしたり、コンセントが壊れていたり、暖房が点かないetcといった不具合が頻発。

 

フランスだから対処も遅くてイライラ。

 

まあやっと最近落ち着いてきましたけどね。。。

 

でも広さには満足です。

 

30㎡から69㎡ですからね、最初は広すぎて家族がそれぞれ違う部屋にいると声が届かなくてびっくりしました。

 

マクシムが寝た後、もうひそひそ声で話さなくてもいいのは快適。

 

キッチンの作業台も広々で料理が楽しいです。

 

そして新学期が始まりました。

 

小心者のマクシムゆえ新しいエコールに溶け込めるかどうか心配してい私たちの心配をよそに、まったく泣かず、すぐみんなと仲良くなり、彼女(!)もできて、毎日楽しく過ごしています。

 

パリの庶民的な地区のエコールと一番違うのは、移民系の子供が少ないこと。

 

前のエコールなんて、クラスに白人は2人しかいなくて人種のるつぼでしたが、今は95%白人!

 

そして先生たちの年齢、パリでは20代から40代くらいまでの人が多かったけど、こちらはもっと上。

 

担任の先生なんて定年間近と思われます。。。

 

夫は両親から安く譲ってもらった車で、往復40分の通勤です。

 

仕事内容は変わらず、毎日つかれきっていますが、毎晩リビングで悠々と映画鑑賞を楽しんでいます。

 

私はといえば、引っ越しに伴って7年間勤めた会社を退職、失業手当を受けるためフランスの職安ポールアンプロワPôle Emploiに登録しました。

 

それについては今後詳しく書いていきたいと思います。

 

とりあえず近況報告でした。
 

遅ればせながら、パリのテロについて書いてみる。

13日金曜日の夜は、近所のレストランで家族で食事して、10時頃アパートに戻ってきたところ、目の前の通りを救急車やパトカーがばんばん走っていた。

何事かと思いつつ部屋に入り、子供を寝かしつけると、スマートフォンでニュースを見た夫が「シャロンヌ駅の近くでテロ攻撃があったみたいだ」と。

メトロのシャロンヌ駅はうちから徒歩圏内。

またもやそんな近くでテロが!と愕然とする私。

それでも二人でワイン1本半あけた後で、疲れと眠気が襲ってきたので、パソコン開いてネットでニュースを見始めた夫を残して、すぐ眠りについた。

朝目を覚ますと、夫は開口一番「戦争だ。そしてファシズムが始まる。」と。

やむを得ない場合を除いて外出は控えるようにとパリ市長からのお達しがあったけれど、夫は「日常生活を続けることこそが、テロに屈しないことだ!」と宣言し、息子を連れて近所の公園へ出かけて行った。

まだ犯人も逃走中というのに、子供を連れて出かけるなんて心配だったけれど、こういう時の夫は自分の信念に燃えているので何を言ってもしょうがない。

1時間ほどで二人が無事に戻ってきたときはほっとした。

いつも週末は大勢の親子でにぎわう公園には、自分たちのほかに1組しか親子がいなかったと。

そりゃそうでしょ。。。


1月のシャルリエブド襲撃の後で起こったユダヤ食品店襲撃事件も、うちから徒歩圏内だった。

その店でテロリストが人質をとって立てこもっている最中に、そのすぐ近くを通る路面電車に乗って仕事にいかなければならなかった。

でも事件のせいで路面電車は封鎖されてしまったため、メトロに乗って遠回りして行った。

身近に犠牲者はいなかったけれど、緊張した日々を過ごさねばならなかった。

今回もまたパリ東部が狙われた。

この辺はアラブ・アフリカ系のフランス人が多く住む地域で、まさに人種のるつぼ。

そういう意味ではテロリストたちが紛れ込みやすい所といえる。

雑誌が紹介する白人のおしゃれなパジェンヌたちが闊歩する花の都のイメージは、パリ西部のほんの一部の様子で、雑多な人種と文化が入り混じったこちらとは全然違う雰囲気。

うちのアパートの前なんて、ドラッグのディーラーがたむろしていて、たま~にポリスと追いかけっこしているもんね。

そんなパリ東部でさえ、ラッシュ時にメトロに乗っているのはホワイトカラーの白人が多く、早朝や昼間に乗っているのはブルカラーの非白人が多い。

非白人は失業率が高かったり、いわゆる3K(きつい・きたない・きけん)といわれる条件の悪い職種についていることが多いから。

息子の保育園や幼稚園でも、先生は白人、アシスタントや清掃係りや門番は非白人だったりする。

たとえ教育は無料でも、貧しい家庭に育った人は高等教育から脱落し、条件のいい仕事に就けなかったりする傾向があり、そういう人がまた貧しい家庭を作って、子供は悪い環境で育って、、、と悪循環が続く。

社会の上層部へどうやってもたどり着けないという無力感・絶望感が、過激派に洗脳されていく要因のひとつだ。

だからイスラム国への空爆強化だけで、テロを根絶することは出来ない。

アメリカのイラクへの“報復攻撃”が、後の世界に平和をもたらさなかったのを、我々はよく知っているのに。


政府は非常事態を2月まで延長することに決めた。

これは警察を始め体制側の権限が絶対的になるということ。

これまで勤務時間外は銃を持つことができなかった警官はそれを許されるし、書類なしに尋問や捜索ができるようになる。

電話は盗聴され、ネット上での発言は監視され、少しでも体制の批判を言えば「テロを擁護した」として逮捕される恐れもある。

すでに何百件もの捜索・拘束があったようだ。

それでもテロリストを追い詰めるためだから賛成という人が多い。

こういうふうにして、かつての戦争でもファシズムが容認されていったに違いない。


義妹の元同僚はコンサートホール「バタクラン」で殺された。

友人の友人も殺された。

ママ友も知り合いが亡くなったと言っていた。

辻仁成の息子の友人のいとこも足を撃たれたらしい。

目撃情報や遺族の話を見ていると、テロの理不尽さに怒りがこみあげてくる。

2人の子供を持つ男性が亡くなった。
死の翌日は、上の息子の7歳の誕生日だったという。

追悼のためレピュブリック広場に集まった人々を映し出すテレビ映像の中に、子供が描いたつたない絵を木に結び付けた男性がいた。
子供の母親が亡くなったのだ。

突然なんの罪もない父や母の命を奪われた子供たちが不憫すぎる。

周りの人たちはどうやって彼らに説明したらいいのか。

息子を残しては死ねない、息子のためにも私は生き残らなければと、心に誓う。


そして今朝もうちの前の通りには軍用車が止まって、銃を携帯した兵士たちが通行人を監視している。

通りがかった幼児が父親に聞く。

「パパ、あの人たちは何してるの?」

父親が答える。

「僕たちを守ってくれてるんだよ。」

子供が純真に繰り返す。

「僕たちを守ってくれてるの?」

涙が出そうになった。

こんな異常な世の中で子供たちが生きていかなきゃいけないなんて。

マクシムの新学期2週目。

月曜日ははじめて学校で給食を食べ、昼寝をして、4時半まですごした。

前日から夫と二人でその旨よく言い聞かせていたので、すんなり受け入れた様子だった。

学校の玄関に貼りだされている献立表によると、この日のメインはオムレツと人参。

夫の話ではこれはハズレメニューらしく、これが出ると子供たちはほとんど食べないそうだ。

人参なんて単に塩ゆでしただけで味も何もないからまずいんだそうだ。

案の定マクシムに聞くと、オムレツは食べたけど、人参はおいしくなかったからちょっとしか食べなかった、とのこと。

うちではよく食べるのに。。。

おかげで火曜日のお昼ごはん(私のお手製白身魚のちゃんちゃん焼き風)のときに「人参も入ってるよ」って言ったら、「人参おいしくない。」と言われてしまった!

結局、甘めの味噌味だからもりもり完食してくれたけど。。。

給食作る会社ももうちょっと子供が食べやすい味付けにしてあげればいいのに。

フランスの野菜料理って、単に茹でただけとか、炒めて塩コショウしただけとか、あまり工夫がないような。

というか野菜の種類が少ない。

義母にとって野菜といえば、まずインゲン。

とりあえずインゲン食べとけば野菜はOK!と思ってるからね。

6月までマクシムが通っていたアルトギャルドリーでは、廊下に「幼児の理想的な食事」の写真が貼ってあったんだけど、単に炒めただけの鶏肉、ズッキーニ、じゃがいもが、それぞれ別々に皿にのっていて、もう全然おいしそうじゃなかった。

だから野菜嫌いな子が増えるんじゃないかな。

バカンスごとに親戚一同が集まる田舎の家に行くと、マクシムのイトコ・ハトコにあたる子供たち、ほとんど野菜食べないもの。

マクシムだけ文句言わず全部食べてる。

そこで私が子供が好きそうな味付け(ラタトゥイユにケチャップ混ぜてみたり、野菜炒めにカレー粉とココナッツミルク入れてみたり)にしても、食べる前にすでに「野菜はいらない」だもの。

ちょっとだけ食べてみて嫌いだったら食べなくてもいいよ、と言って味見させると、なーんだおいしいじゃん!っておかわりまでしてくれたりする。

おかげで親戚の子供たちの間で、私は一番の料理上手ということになったみたい。

話はそれたけど、もとに戻ってマクシムの学校について。

うちではお昼寝を断固拒否するようになってしまったマクシムだけど、月曜日はちゃんと学校でお昼寝したらしい。(本人談)

これは意外だった。

うちではもう闘いだからね。

マクシムが寝てる間にゆっくりしたい私の思惑と、じっとしていられずもっと遊びたいマクシムの思惑のいたちごっこでイライラ。

無理やり眠らせることも不可能なので、結局私が折れて、カーテン明けて部屋を明るくして、服を着せてあげると、マクシムは大満足気、私はご機嫌斜め。

学校行ったらお昼寝ちゃんとしないとだめだよ!とは言い聞かせていたけれど、このぶんじゃ寝ないだろうなあと思っていた。

それがちゃんと寝たっていうんだから、ちょっと驚き。

火曜日は問題なく終了。

そして水曜日、寝起きからすでに甘えん坊モード全開で、ずっとだっこして欲しがるから支度がなかなか進まずイライラ。

月曜日お昼寝用に持たせたお気に入りのぬいぐるみを持って学校へ行くと言い出した。

これはお昼寝のときだけ、今日は午前中で学校終わりだから何も持って行かないよ、と言い聞かせても、ダダこねて泣き叫ぶ始末。

ぬいぐるみを置いて無理やり連れだし、学校へ向かって急ぐ。

徒歩2分という近さだけど、その間になんとか泣き止んでくれた。

教室に入ると、お絵かきセットの置いてあるテーブルに座らせ、お絵かきに集中し始めたらさっさと立ち去ろうと思っていたら。

毎朝毎昼毎夕泣いてる、多分一日中泣いてると思われる二人の男の子を、先生がお絵かきテーブルに連れて来て、マクシムの前に座らせた。

泣いてる子たちをじーっと見つめるマクシム、次第に不安そうな表情になってきた。

やばいなあと思って、じゃお母ちゃん帰るね、と言うと、「マモンだっこ!」ときた。

ぎゅーっとだっこして、ちゅーして、離れようとすると、離れてくれない!

マモンここにいて!

だめよお母ちゃんはいられないの!

じゃいっしょにおうち帰る!

だめよマクシムは学校、お母ちゃんはおうち!

いやだ帰るーーー!!うわぁ~~~ん!!!

あららついに泣き出しちゃった。

押し問答を繰り返しているうちに、もう残っている親は私だけになってしまった。

アシスタントの女性(フランスの学校には先生のほかにアシスタントの人が教室内に待機している)が、「親御さんの姿が見えなくなれば、すぐに泣き止みますから大丈夫ですよ」と言うので、泣き叫ぶマクシムを託して、一気に出口にダッシュ、ドアを閉めた。

アシスタントを振り切って、私を追いかけてきて、ドアをバンバン叩いて泣き叫ぶマクシム。

振り返らずそのままうちに帰ってきたけど、なんだか胸が締め付けられる思いがした。

昨日までは問題なかったのに、なぜ今になって泣くの?

いろいろ考えるもよく分からない。

ぬいぐるみのせい?でも先週まではぬいぐるみ無しで大丈夫だったのに。

泣いてる子見て不安になっちゃったのかな?

悶々としながら11時半に迎えに行くと、ケロリとした笑顔のマクシムがいた。

先生いわく「とっても悲しかったみたいだけど、3分で泣き止んで、あとは笑って過ごしましたよ。どうして泣いたのって聞くと、マモンがぎゅっとだっこしてくれなかったからって言ってました。」と。

あんなにいっぱいだっこしたのに!

私からも、どうして泣いたの?って聞いてみるも、答えようとはしなかった。

そして木曜日の今朝。

今日は泣かないよね?と念を押し、お昼寝用のぬいぐるみを持たせ学校へ。

泣いてる子を見せないようにと思い、電車や車のおもちゃで一心不乱に遊んでる子たちの方へ連れて行く。

レールを設置して電車をあてがってやると、自然に遊び始めた。

じゃお母ちゃん帰るねと言うと、うん、と答えてもはや私を見向きもしない。

やっぱり乗り物オタクのマクシムには乗り物攻めが一番!と再確認した次第。

ほっとして帰路についたのでありました。
時の経つのは早いもので、マクシムはもう3歳と1か月。

9月1日からécole maternelle(日本の幼稚園にあたる幼年学校)に通ってます。

初登校日、ちょっとドキドキの私とマクシム。

支度に手間取って、8時半ちょうど学校に到着。(7時半起床じゃ間に合わないと反省。)

日本の入学式みたいに着飾って来る親御さんはいないし(私はジーンズ)、先生の演説も説明も何もなく、三々五々教室に入り、しばらく子供に付き添ったら親たちは退散、という流れ。

あ、アルトギャルドリーでいっしょだったイネスちゃんが同じクラスだ!

この子はどうやらマクシムが好きらしく、よくマクシムに抱き付いたり、頭をなでなでしたりしてたものだ。

堂々としたもので、もう先生に「マダム、トイレはどこ?」って聞いている。

マクシムはしばらく周りの様子をうかがった後、おもむろに車のおもちゃで遊び始めた。

やっぱり乗り物まっしぐら。

「じゃ後で迎えに来るからね、バイバイ」と私が言うと、「うん、バイバイ」とあっさり。

親と離れたくなくて泣いてゴネてる子もいるけど、マクシムは大丈夫みたい。

夏休みの2か月間、常にイトコやハトコ、友人夫婦の子供たちと過ごしていたから、人見知りしない体質になったのかな。

少しづつ学校に慣れるようにと最初の週は午前中だけ行くことに決めたので、11時半に迎えに行くと、廊下のベンチに親の迎えを待つ子供たちが座っていた。

私の顔を見たとたん「マモーン!」と飛びついてきたマクシム。

「どう?楽しかった?」って聞くと、「Oui, c’était bien !」と。

母ちゃん、うれしくて涙出そうになったよ!


2日目はゴメット(色々な色や形のシール)をしたらしく、迎えに行って一緒に学校を出ると、「ゴメット持って帰る!」と言い出した。

そうか、アルトギャルドリーではいつもゴメットやお絵かきしたものを帰りに持たせたくれたから、同じノリだと思ってるのね。

「先生から何も渡されなかったから、学校に置いておくんだと思うよ」と言い聞かせても、いや持って帰りたい!の一点張り。

そこで一緒に教室まで戻ってみると、みんなのゴメットがきちんと箱の中に収められてマクシムのが一番上になっている。

「ほら見てごらん、誰も持って帰ってないよ。先生がこうやってとっておくんだよ」と言い聞かせると、ようやく納得してくれた。

まだまだアルトギャルドリーとの違いが分かっていないみたい。

遊具は同じようなものあるし、無理もないか。


3日目、お迎えに行くと、先生からはうれしい言葉が。

「マクシムは完璧です。楽しそうにしてます。中には泣いちゃう子もいるけど。マクシムは他の子供たちともなじんでます。」とお墨付きをいただいた。

またもやウルウルしそうになった。


そして4日目の今日も楽しかったとのことで、無事に最初の週を終えたのでした。


来週からは月曜日と木曜日だけ、給食たべて午後4時半までいる予定。

普段から周りがざわついてたりすると集中して食べられないマクシムだけど、大丈夫かな。。。
マクシムが2歳9か月になった約1か月前、遅ればせながらそろそろトイレトレーニング始めてみるかということで、おまるを買ってみたものの。

一度だけ座って踏ん張ってみたけどうんちは出てこず、それ以来勧めても拒否するばかりで、全然先に進まなかった。

私たち夫婦もいまひとつ真剣さが足りず、まあいいかと延ばし延ばしにしていた。

4月のバカンスが終わってパリに戻ってきた1週間前、ようやく私たちも本気になった。

もうすぐ学校(日本では幼稚園に当たる)に行くんだけど、おむつつけてる子は学校に行けないんだよ、だからおまるでカカしようね、と言い聞かせ。

毎朝ミルクを飲み終えると、おむつぬがせて、おまるに座らせることを日課にした。

最初の数日は嫌がって泣いて逃げ回って終わり。

それでも毎日説得を続けるうちに、抵抗が少なくなってきて、積極的に試みてくれるようになってきた。

しかし、りきんでもりきんでもうんちは出ず。

おまるに座らせた状態で、トイレトレーニングの絵本を読み聞かせてみたり、オレンジジュースを飲ませてみたり、かれこれ30分くらいねばってみても出てこない。

「じゃあ今はまだ出ないんだね、またお昼ご飯の後でやってみよう」ということで、いったんおむを付けたら、その直後におむつの中に出しちゃった、ってことが数回続いた。

これはもう深~くがっかりするね。

あんまり親が焦ってプレッシャーを与えすぎてもいかんと思いつつ、がっかりは隠せず。

一度荒療治で、おむつがないとどういうことになるか分からせるために、パンツを履かせてみた。

「ピピ出そうになったらお母ちゃんに言ってね、そしたらおまるでしようね。おむつ履いてないから、このままピピしたら全部ぬれちゃうからね」と言い聞かせ。

でも結局何も言えずに、そのまま出しちゃって、パンタロンも靴下もずぶぬれになっちゃった。

その時の狼狽した表情、いったいなにが起こったの、ママン?みたいな表情がかわいくもあり、不憫でもあり、ちょっとたまらんかった。

しかし一気にパンツにしちゃうと、粗相するたびに着替えさせたり、掃除したり、洗濯物が増えたりしてこっちも大変なので、やっぱりおむつつけながらおまるでコツコツ練習していくのがいいかなと。

そして昨日の朝。

仕事が休みの夫がつきっきりで指導すると、ついに出た!

おまるの中にたっぷり大きいのが!

やっぱり夫の根気強さには適わないなあと思う。

マクシムが癇癪おこして泣き叫んでも、私だったら単に我儘で泣いてる場合はそのまま泣かせておくけれど、夫は「マクシム、よく聞きなさい」と言って、マクシムのしたことがいかに悪いかを懇々と諭す。

さすがに学校の先生だけあるよ。

で、マクシム自身もおまるに出来たことがかなり嬉しいようで、「Je vais à l’école !(僕学校行く!)」と叫んだ。

まだ入学まで3か月近くあるけどね。。。

そして今朝。

便秘気味のようで、踏ん張ってもなかなか出てこず、痛~い!と言って泣き出しちゃった。

夫の指導と腹部マッサージも効き目はなく、ついにおまるで出来なかった。

おむつをつけてしばらくすると、硬くて小さい塊がちょっと出ただけ。

う~ん、まず便秘を治さないとトレーニング続行は難しいかな。

こうして一進一退を繰り返しながら成長していくんだろうな。

明日はちゃんとできますように。

月日の経つのは早いもので、マクシムはもう2歳8か月。

毎日いろんな新しい言葉(特にフランス語)を覚えては使いこなしていっている。

もう2か月くらい前のことだけど、みんなでアイスクリームを食べていたときのこと。

私がマクシムお気に入りの猫のぬいぐるみを指して、

「猫ちゃんにもアイスクリームあげる?」ってマクシムに聞いてみたらば、

「Non, il est trop petit. Il n'a pas le droit.」

(だめ、猫ちゃんは小さすぎる。食べる権利がない)と。

恐るべしフランス人の血。

2歳半にして、既に「権利」を語るとは。

そのうち「これは自分のせいじゃない」とか、フランス人がよく口にする責任逃れのセリフも言い出しそう。。。


で、自分はもう結構大きい子供のつもりらしい。

先日、マクシムがミニカーで遊んでいるのを、私が横で見守っていたらば、

「Je joue tout seul. Je suis grand enfant.」

(ひとりで遊ぶ。僕もう大きいもん。)と。

頼もしいこと言ってくれるじゃないの。

いつもこうして一人で遊んでくれたら楽なんだけど、こっちが忙しいときに限って「だっこ!だっこ!」だからねえ。


アパート1階の正面玄関にてすれ違った住民の男性が、こちらが外に出やすいようにドアを支えてくれながら、「Ah bébé, t'a grandi.」などどマクシムをかまってくれた。

その男性が行ってしまって、こちらも外に出て数歩すすんだところで、マクシムがつぶやいた。

「Moi, je suis pas bébé.」

(僕赤ちゃんじゃないもん。)

その言い方があまりにも不満げな様子だったので、思わず爆笑してしまった。

もう赤ちゃんじゃないって自覚があるんだねえ。

部屋の随所に飾ってある自分自身の写真を見て、赤ちゃん時代のについては、「Bébé Maxime」って言うし、最近のについては、ただ「Maxime」だから、自身の成長っぷりを理解してるんだろうな。


両親が仲良くしているのを見ると、うれしいんだか、ジェラシーなんだか、よく分からない反応を示すマクシム。

ラジオから流れる音楽に合わせて、ふいに私と夫が抱き合って踊ったりすることがあるんだけど、それを見るたびマクシムは、仲間はずれにされまいとして駆けつけ、私たちの間に割り込むのだ。

そして三人で輪になって踊る時、小さな幸せを感じる私である。


夕方仕事に出かける私に対して、玄関先でお見送りのビズをしてくれた後で、マクシムは「Allez, Papa, Bisou!」と夫にも私にビズするよう促すのが日課である。

これも微笑ましい瞬間。


ほとんど喧嘩らしい喧嘩をすることもない私たち夫婦だけど、ときには議論になって大声を出すこともある。

そんな時はマクシムも大声で謎の言葉を叫んでみたり、歌を歌い始めたりして、議論の邪魔をしようとする。

仲良くして~!っていうメッセージなんだろうな。

しかし、私にとって夫はもはや「愛しい男性」というよりは、「マクシムの良き父親」という役割の方が大きくなってしまったなあ。

これじゃいかんのだけど。

もうマクシムが愛しすぎて、ほかの男に目がいかない状態。

「小さな恋人ができたみたいで、息子にビズされると胸がキュンとなるわ~」、って娘さんがいるママさんに話したら、「え~それはないわあ」と不思議がられた。

女の子だとまた違う可愛さがあるんでしょうね。

また、もう高校生の息子さんがいるママさんと話したら、いまでも息子をかわいいと思うけど、思春期前まではもうホントにかわいいかわいいっ!て感じだったと。

妹夫婦にも思春期に突入した息子がいるけど、もう家族旅行も盛り上がらなくなってきて、今年で最後かなあって言っていた。

寂しいな。

思春期まであと10年弱。

今のかわいさを満喫せねば!
許しがたいテロが起こって4日目。

家にいる間はニュース専門ラジオをつけっぱなし、インターネットの報道サイトで逐一更新される事件関連情報にくぎづけだった。

特に9日金曜日は衝撃的な一日だった。

昼過ぎにマクシムをアルトギャルドリーに送って行って(「建物内に入る際は、後ろに不審な人物がいないか十分注意してください。」とか「安全のため今日はお子さんを園庭で遊ばせることができません」などと書かれた張り紙がしてあった)、家に戻ってまたラジオをつけると、Porte de Vincennesのスーパーで銃撃があり犯人は人質をとってたてこもっているとの内容が耳に入ってきた。

この時点でシャルリエブドを襲撃した兄弟は警察に攻囲されており、もう事件の収束もそう遠くはないという状況だったから、またもや新たな事件が発生したということで、緊張が高まった。

不運なことに、金曜日は仕事に行くのにPorte de Vincennesを通らなければならない。

RATPのサイトで電車の運行状況を調べると、Porte de Vincennesを通過するトラムウェイ2本とメトロの1番線が運行停止とのこと。

出かけるのが怖い気もするけれど、ここで恐れをなしたらテロリストの思う壺、十分な注意を払いつつも、普通の生活をするよう心がけねばならない。

結局遠回りして職場へ行き、仕事を終えた帰り道、Porte de Vincennes近くを通ると、問題のスーパーがある方向に警察車両がびっしり固まって、救急車や消防車のサイレンがあちこちで鳴り響き、すこし離れたところには報道関係の車が集まって、現場周辺の撮影をしたり、通行人のインタビューを撮ったり、とにかくものものしい雰囲気に包まれていた。

帰宅後、シャルリエブド襲撃事件、スーパー人質事件の計3名の容疑者が射殺されたことを知りひとまずほっとした。

でも過激派組織がこれでテロを終わりにするはずもなく、もはや私たちの住む世界に100%の安全はない。

マクシムがこれからこのような脅威に満ちた世界で生きていかなければならないのが不憫でたまらない。

そして今は日曜の午後、大規模なデモ行進がフランス各地で繰り広げられている。

テロリストにとっては絶好のチャンスだけれど、表現の自由は武力で押さえつけられないということを示す必要がある。

それにしてもフランス人、普段は個人主義で自分のことしか考えていない人が多いけど、こういう危機的な状況での団結力がすごい。

7日のシャルリエブド襲撃事件が起こったすぐその夕方に、レピュブリック広場で追悼集会が行われ、多くの人が集まった。

そして今行われているパリのデモにも、かつてないほど多くの人が参加しているはずだという。

今回の事件について夫を多くのことを語り合った。

左派の思想を持つ夫にとって、今回の事件に対する政府や市民の反応の仕方には、どこか腑に落ちないものがあるという。

フランスの法律は死刑を禁止しているので、本来凶悪犯人であっても射殺することはできないはずだ。

しかし今回は、印刷工場にたてこもった新聞社襲撃犯クアシ兄弟は、人質を事前に解放していたにもかかわらず、工場を飛び出してきた瞬間、警官隊によって銃殺されたし、スーパー人質事件の犯人クリバリも、突入の際躊躇なく銃殺されている。

政府から特例としてすぐに犯人を殺すよう命令が出されていたのかもしれない。

それから市民の反応、7日のデモは純粋にシャルリエブドの犠牲者を追悼する集会だったといえる。

しかし今日のデモは、政府と右派政党が企画したもので、純粋な追悼集会というよりは、政治的に利用されたデモなのだ。

特に普段からイスラム教徒を敵視しており、中東からの移民を阻止したい考えがある極右政党国民戦線のマリーヌ・ルペンにとって、今回の事件は都合よく利用されるだろう。

中東への派兵や爆撃を繰り返す好戦的なイギリスやドイツの首相もデモに参加する。

オランド大統領もどこかの国の誰かさんみたいに「テロとの戦い」という大義名分を掲げて、中東派兵を推進するだろう。

そしてこれまでデモなんて興味もなかったような人たち、シャルリエブドなんて読んだこともなかった人たちが、「私はシャルリ」と書かれたプラカードを掲げて、右派の象徴である国家マルセイエーズを唄って行進するのだ。

殺されたシャルリエブドの風刺画家たちは、はたしてそれを望むだろうか?

それこそ彼らが嘲笑し、風刺してきた事じゃないか?

でも今このフランス全土が一致団結した中で、デモに疑問を唱えることはある意味タブーのようだ。

“犠牲者を追悼する”という名目がある以上、デモに参加しないわけにはいかないようだ。

なんだか全体主義みたいでちょっと怖い気もする。