いつもBlogでお世話になっているyukimari小姐が 「エルトゥールル号事件を伝えるトルコ・小学5年生の教科書」というお題で記事を書かれています。

 http://ameblo.jp/yukimari-8121/entry-11480662898.html

この教科書のおかげで、トルコは日本に対して厚い友情を持ち続けてくれているんですよね
サッカーのときもこんなんでしたよ。

  
 
この小姐の記事の中でも触れられている、トルコがイラン・イラク戦争から日本人を救出してくださった、余りにも有名な実話があります。
 有名な話ではありますが、日本国内にはどうもこのことを知られたくない、知りたくない方々が居られるようなのです。その方達は何故か嘘出鱈目で日本の事を悪く書いた南北朝鮮、中国の教科書を、有り難そうに推奨しています
 この救出を「トルコの商業パフォーマンス」などと書く、感謝という言葉を知らない朝日新聞などはその最たるものでしょうか。 それに当時の社会党などの護憲派がこの事件にどう災いをしていたのか、今回は少し違う切り口をして見てみたいと思います。

考えて見て下さい。あなたなら下記のような状況のとき、どうやって脱出を図りますか?

1985年 3月 17日。イラクのサダム・フセイン大統領が、「1985年3月19日20時以降、イラン領空を通過する航空機は民間機といえども安全を保障しない」と警告を発したことから事件は始まります。


17日にフセインが出した「イラン戦争区域宣言」を受け、野村駐日大使はただちに日本へ救援機の派遣要請を出しましたが、それに対して本省から、「救援機派遣にはイランとイラク両国の安全保障の確約が必要である」として その確約を現地で取得するよう指示を出しました。

民間航空機の乗務員の安全確保が優先されたからですが、そのような確約は不可能に決まっています。

当時、政府専用機もなく民間航空会社に要請するわけですが、その乗務員の安全確保が保障されない以上、日本からの救援機は出せない。というのです。

では自衛隊機はどうだったのでしょう。
外国は自国民が外国でクーデターや災害等に巻き込まれると救援機や運搬機で自国民を救出する慣例がありますが、日本は55年体制論争が続いており、社会党の「自衛隊を海外に出す事は、侵略戦争につながる」という主張によって、海外在留邦人救出のための手段が必要だと言う声が、押しつぶされていたのです。
社会党が言う護憲とは、まさしく国民の生命財産を犠牲にしてまで守らなければいけない。というものであり、それが現行憲法だ。というのですから本末転倒も甚だしい。と言わねばなりません

自衛隊救援機も出せず、政府専用機もないので、民間航空会社に要請するしかないわけですが、その乗務員の安全確保が保障されない以上、「日本からの救援機は出せない」という日本政府。
(そのセリフ、今中国にいる日本人に向かって言え。と私は思うのです)

空爆の恐怖に曝されている現地在留邦人は、日本政府から見捨てられた形になっていました。 

では、外国の航空会社は……
危険を感じていた在留日本人の中には、欧州各国の航空会社に発券を申し込んでいた人もいましたが、どの航空会社も「自国民と外交官を優先しなければならない」と拒否されました。


ソ連のアエロフロートなら乗せてもらえるというので、オープン・チケット(搭乗日未定の航空券)を事前に入手していた日本人も多かったのです。
当然、搭乗できると思っていたので、空港のアエロフロートのチェックイン・カウンターでチケットを提示して、搭乗手続きを行おうとしました。

ところが、アエロフロートは「ソ連人かワルシャワパック加盟国(ソ連陣営の共産国)が優先」と言って取り合わないのです。どこの航空会社も「自国民優先主義」が国際常識で、日本人を乗せてくれる会社はありませんでした。
特に、家族連れの日本人駐在員は、奥さんや子供たちを脱出させる便が見つからないことから、絶望感と焦燥感でパニック状態に陥ってしまった人もいました。

日本人がこんなに危機に直面しているのに、日本の航空機が救出に来ない?

絶望感に駆られたある商社マンが以前からの知り合いであるトルコ人に電話を掛けました。そのトルコ人の名前は「オザル」。オザル氏は首相になっていました。
電話を受けたオザル首相は「返辞はしばらくまってくれ」と言い、トルコ航空に日本人の救出に向かってくれるように要請します。

しかし、このオザル首相の要請は、外国人を助けるために自国民を危険に晒した。と批判を受ける可能性があり、政治生命を断たれる危険性があったのだそうです。オザル首相は自らの政治生命を賭して、日本人救出の要請をしてくれたのです。

トルコ航空乗務員は、任務が危険と判断すれば、拒否する権利を有していましたが、その要請に対して 「人間として他者を助けるということが大切ですので、この任務を皆、喜んで引き受けます」 と回答し、自国民用と日本人用の2機の飛行準備に取り掛かりました。 

(それに比べて、当時の何という日本の政府、なんという日本の航空会社でしょう。怒りと情けなさと恥ずかしさで理性が吹っ飛びそうです)

トルコが救出に来てくれる。
連絡を受けた大使館員達は、邦人の住まいを捜してそのことを伝えます。
邦人達の中には 薄汚れた普段着のまま、ビニール袋に取り敢えずの生活必需品を入れただけの持ち物を持ち、子供の手を引いて、文字通り「着の身着のまま」という姿でテヘラン空港に駆けつけた人もいました。

日本人が乗り込む機体はDC10。当時のトルコ航空が持つ虎の子大型機です。もう一機100人乗れる中型機がトルコ人に当てられていました。

飛行機の搭乗口が開くや日本人が駆け込み、215名の搭乗が終わりました。乗務員達はその時、「乗客とともにこの空域の危険、恐怖を共有できました。できるかぎりのサービスをしてあげよう」と思ったそうです。

飛行機が空港に到着してから離陸するまで、わずか30分程度だったそうです。
1機は19日の19時15分 そしてもう一機は直前の20時ごろ飛び立ちました。
2機はそれぞれ異なる高度で飛びました。
実はこの時間差にはある重大な意味があったのだそうです。


それは、もし敵の戦闘機が撃墜しようとして飛来してきたなら、真っ先にトルコ人が乗った方の飛行機が発見される。という時間軸と空間軸を組んでいたのだそうです。

そしてトルコ人の乗った飛行機が囮となって攻撃されている間に、日本人の乗った飛行機は難を逃れる。というプランを機長達が組んでいたことが後から判りました。

とあれ、2機の救難機は  眼下にアララット山を確認します。
標高5165メートル、イランとトルコの国境に位置しているこの山を通過すると、スヨルジョ機長はアナウンスを行いました。
「ご搭乗の皆様、日本人の皆様、トルコにようこそ」

機内に大歓声があがった。日本人乗客たちは口々に叫んだ。
 「トルコ領に入ったぞ!」「イランを脱出したぞ!」「やった! やった!」「万歳! 万歳!」泣き出した人たちも多かった。殊に家族連れの日本人達は涙を浮かべつつ、なりふり構わず、喜びを爆発させていた。


さらに、2機の飛行機がテヘランから飛び立った後、テヘランにはまだ500人のトルコ人が残っていました。彼らは日本人に飛行機の席を譲り自分達は陸路を車でトルコまで帰ったのです。テヘランからイスタンブールまで、猛スピードで飛ばしても3日以上はかかる道程。つまりトルコは自国民を遠路はるばる車で帰国させてまで、外国人である日本人に特別機を提供して、救出したことになるのです。


「こんなこと、日本だったら許されるだろうか?」

 救援を要請した商社マンが、先ず怖れたのはマスコミの反応だったそうです。
彼はこう書いています。

「外国人である日本人を優遇し、自国民たるトルコ人を粗末に扱った」と報道しかねない。野党がスキャンダラスにこの件を取り上げ、オザル首相批判を行っても不思議ではない。ましてやトルコ人は熱狂的な愛国者である。
 しかし、それらは全くの杞憂(きゆう)であった
 トルコ国民の度量の大きさに私は感銘を受けた。武勇で鳴らしたオスマントルコは、日本と同じサムライの国である。トルコ人は「あなたを独りにしておかない」という。困ったあなたを放ってはおかない、という意味である。「武士の情け」と同じ心だろう。
しかし、わたくしは、あなたがいう日本の侍はすでに絶滅してしまいました。と言いたいのです。
そしてできることなら、反論が欲しいとおもうのです。「ここにいるぞ」と。


この事件の後、この商社マンと民間レベルでの交流はあったものの、日本から正式に感謝の意を表したのは、何と21年も経ってからでした。

平成18(2006)年1月、小泉首相はトルコ公式訪問の事前説明で、トルコ航空によるテヘラン在留邦人救出事件の話を聞いて感激します。
そして、その年5月17日にテヘランで、トルコ航空の元総裁、元パイロット、元乗務員たち11名の叙勲を行ないました。通常、日本政府が外国人に対して行う叙勲は20名程度ですが、この年はそれに加えて、トルコ航空関係者11名の大量叙勲を行ったのです。
この日本人救出の功労者であるオザル首相は、残念にもすでに亡くなられていました。
オザル首相に対する感謝の気持ちは、未亡人に対して小泉首相の感謝状という形でが贈られましたが、あまりにも遅い日本政府の対応でした。


当時の総理大臣は中曽根康弘でした。彼は日本人約200名の命をどう考えていたのでしょうか。
それとも、日本人の命を外国に助けて貰った事で、恥ずかしくて知らないふりを決め込んだのでしょうか。
いずれにしても、有り難う さえ言えない人間を政治家にしてはいけませんね。

こういうお話と、日本が朝鮮を清国の支配から救ってあげたという功績を一緒に教科書に載せなければいけないのではないでしょうか。


そしてこれ。あまりにも違う韓国のサポーター。朝鮮語には「恥」という言葉が無いのでしょうね