津軽塗の国旗、制作中 | 青森の鉛筆

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津軽塗の国旗、トルコに寄贈へ(東奥日報 より)トルコ共和国

 「歴史の中で相手から受けた恩を忘れず後世に伝え、いつか恩返しする。人として大切なことです」-。日産自動車の元技術者で蟹田町(現外ケ浜町)出身の沼田凖一さん(71)=東京都羽村市=は、イラン・イラク戦争が激化した1985年、トルコ政府の救援機でイランを脱出した日本人約250人のうちの1人。トルコによる日本人救出が、明治時代の和歌山沖でのトルコ軍艦エルトゥールル号海難事故の恩返しだと知り、両国の絆を後世に伝える活動を続けている。今秋のトルコ建国記念日には、津軽塗の国旗を寄贈する予定だ。

 沼田さんは自動車のボディーなどの金型設計者。技術指導で何度もイランに長期出張しており、85年当時も同僚らとテヘランに居た。3月17日、イラク側は「あと48時間を過ぎると、イラク上空を通過する飛行機の安全は保証しない」と通告してきた。

 日本政府は、安全が確保できないとして救援機の派遣を断念。沼田さんたちは絶望しかけた時、トルコ航空の特別機に乗れると知り、期限ぎりぎりの同19日夕方、テヘランを脱出。特別機がイラク国境を越え、「ようこそトルコへ」という機長アナウンスが流れた瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が起きたという。

 沼田さんがエルトゥールル号の海難事故を知ったのは、退職後の2008年。「私が生きているのは、いろいろな人たちのおかげ」とあらためて気付き、トルコ大使館や、海難事故の現場だった和歌山県串本町を訪ね、感謝を伝えた。

 また、トルコ大地震(99年)の孤児・遺児を支援する基金に参加。串本町の「ふるさと納税」に寄付し、町内で講演も行った。活動ぶりを報道した和歌山のテレビ番組は、トルコでも放映された。

 さまざまな縁がつながり、海難事故から120年目の2010年、沼田さんはイスタンブールの日本総領事公邸で、あの時のトルコ機の機長オルハン・スヨルジュさんや客室乗務員の4人と再会を果たした。ある乗務員の「子どものころから、エルトゥールル号の事故を教えられて育ちました。日本人を救う仕事に就いたことを誇りに思います」という言葉は、沼田さんの胸に深く刻まれた。

 今年10月29日、トルコ共和国は建国90年を迎える。スヨルジュさんは残念ながら2月に亡くなった。追悼の意も込め沼田さんは、郷土が誇る工芸・津軽塗で作った国旗の制作を、都内の塗り師に依頼した。赤が基調のトルコ国旗。津軽塗の技法の一つ「唐塗」で仕上げられる予定だ。

 <エルトゥールル号の遭難>
 日本とトルコの友好の原点とされる海難事故。1890(明治23)年9月16日夜、オスマン・トルコ帝国(当時)に帰国途中の軍艦「エルトゥールル号」が、和歌山県串本沖で台風に遭遇。岩礁に衝突、沈没して乗組員約650人の多くが命を落とした。生き延びた69人を地元住民が総出で献身的に介抱。一行は日本の軍艦で祖国へ送り届けられた。

本文より

トルコ

こういう話を聞くと、自分が今やっていることも、いつか自分の子供達に還っていくのかなー、と思ってしまいます

参考サイト下矢印

津軽塗の国旗、トルコに寄贈へ(東奥日報 より)トルコ共和国