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青海林檎です
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今日から久しぶりに歴史シリーズを始めたいと思います
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今日から紹介するのは、南部晴政から晴継、信直、利直の4代に渡って使えた名家老、北信愛(きた のぶちか)です。
北信愛は1523年、三戸南部氏の一門、北致愛(きた むねちか)の嫡男として産まれました。
が、陸奥の歴史にありがちな話ですが、出自についてはっきりと分からないことが多く、北氏の系統図は今のところ発見されていません。
しかし、南部氏一門の中でのそれなりに由緒正しい家柄だったらしく、南部氏の正式な姓である「藤原」を名乗る事を許されていたようです。
南部氏の武将として働いていた信愛ですが、南部晴政と養子の田子信直が、晴政の嫡男誕生によって関係が悪化する中、信直を暗殺の危険から守るため、自身の城に匿ったりもしました。
信直保護の背景には、信愛が信直の叔父(南遠江守)の娘婿であった、という背景があるようです。
信直を保護したとはいえ、晴政との関係が悪化したという話は無く、晴政の嫡男・晴継の烏帽子親を務めたりもしました。
ところが、1582年の冬、晴政の葬儀の帰りに、晴継は暗殺されてしまいます。
この暗殺の背景には、九戸南部氏がいたとも、信直がいたともいわれていますが、直系の男子が晴継以外にいなかったため、にわかに後継者問題が浮上しました。
この後継者問題に際して、信愛は信直擁立のために、とんでもない行動に出たのです。(つづく)
参考サイト
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北信愛 (Wikipedia より)
武家家伝_北 氏
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