燐夢☆太郎の「スーパー銭湯へ行こう!」 -14ページ目
3)温浴施設明暗期~昭和の終わりとバブル崩壊~

1980年代後半、昭和時代の終わりを目前にして高度経済成長期を経た日本
は先進国の仲間入りを果たし、敗戦ショックという記憶は風化しつつある平穏
な時代を迎えようとしていました。好景気=バブル期真っ只中の日本は誰も
彼も未来の輝かしい日本を信じて疑わない、そんな時代に突入しようとして
いたのです。しかしながら神様は好景気に浮かれた日本に更なる試練をお与
になるのです。
昭和天皇の崩御により激動の時代「昭和」は終わりを告げ、平成の幕開けが
コールされました。昭和天皇崩御に伴い、日本には自粛ムードが漂い始める
のです。そしてもう一つ終幕を告げた出来事が起こります。イワユル「バブル
崩壊」であります。一説には1991年とも1992年とも言われる「バブル崩壊」で
ありますが、昭和天皇崩御への自粛ムードも冷めやらぬ時期でしたが自粛に
より消費行動が抑制された反動が、新たな消費への喚起を促した時代でも
あったのですが、そこに直撃したのがバブル崩壊だったにも関らず「バブルの
余韻」に日本国民がまだ浸っていた時代でもありました。
「失われた10年」を迎えるにはホンの少しだけの余力が日本にはあったので
あります。そんな「バブルの余韻」期の日本で前述の「健康ランド」業態を形成
した温浴施設に加えて、更なる温浴施設が続々とオープンするのです。
地価が天井知らずで上昇した日本でしたがバブル崩壊と共に下落の一歩を
辿ります。地価下落の底が見えてくるのはマダマダ先なんですが、地価上昇
が反転して下方に向ったことが新たな温浴施設建設にプラスに作用したことは
想像に得難くありませんでした。
よって1991年から2000年の間にオープンした温浴施設は大阪や神戸などの
都心にあったり、交通アクセスには不便の無い場所に出来上がって行くので
あります。平成3年にオープンの神戸クアハウス、平成4年には松原天然温泉                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   燐夢☆太郎の「スーパー銭湯へ行こう!」
YOU・ゆ~、平成7年にはミリカ天然温泉 千里の湯(現在は廃業してまいまし
た)、平成8年には御隆倶楽部(現在のスパ江戸堀)、前身がホテルリンクス
大阪のSPAなにわ天然温泉花乃井だったスーパーホテルCity大阪天然温泉
が平成9年にオープン、そして大型スパ施設「スパワールド世界の大温泉」も
同平成9年オープンします。そして平成10年には兵庫県三田市の新興住宅街
のど真ん中にあった「さんだネスパ」がオープン(現在は三田温泉熊野の郷)
します。まだまだ他にもあるのですがスパワールドがオープンした平成9年、
1997年の前後は正に温浴施設の新設・リニューアルオープンのラッシュでし
た。この時代の特徴としては公営の温浴施設も多数あったことでしょうか。
バブル崩壊により当時の政権与党への責任追及の風潮が蔓延していた時代
に官公庁主導による福祉施設、特に厚生年金基金をベースにした宿泊施設
が「ハコモノ行政」として年金のムダ遣いとしてヤリ玉に挙げられた時期でも
あったのですが、他方では「地方の時代」と言われ、そうした政権与党主導の
キャンペーンもあって「平成の大合併」と言われた地方自治体の再編にアメ玉
として用意されたのが「ふるさと再生」などの地方交付税のバラマキだったの
です。今度は官公庁ではなく、地方自治体による「ハコモノ行政」が始まった
時期でもありました。オラが街に、オラが村に「スパ」が出来て行く訳です。
この辺りの御話は別途させて頂くとして、前述のバブル崩壊直後の「バブルの
余韻」時期の温浴施設に話を戻しますと、この平成の時代1991年~2000年
には「スパワールド世界の大温泉」に見られるような「スパ」や「クアハウス」
と言った業態が現われ始めるのです。
これら平成の「スパ」「クアハウス」は巨大温浴施設ですが、「紅葉パラダイス」
のような昭和の巨大レジャー施設とは明らかに趣きが違っていました。
まず、温泉にテーマを絞った施設であること。そして「スパ」「クアハウス」等の
呼称からも御分かりになると思いますが、ヨーロッパで使われていた温浴施設
の名称を使うことで20~30代の若者、特に女性を取り込もうとした趣旨が汲み
取れるのではないでしょうか。
平成の時代になり、女性の社会進出が叫ばれた時代、「企業戦士」「エコノミ
ックアニマル」という言葉が主に男性に向けて発せられていたのが、新たに
「キャリアウーマン」「ウーマンパワー」といった女性に向けた言葉が浸透して
いこうとした時代でした。
ウィキペディア:男女雇用機会均等法には「元は昭和47年(1972年)に『勤労
婦人福祉法』として制定・施行されたが~中略~昭和60年(1985年)の改正
により『雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働
者の福祉増進に関する法律』となる。」とあり、通称:男女雇用機会均等法は
改正を重ね、更に改正された平成9年はキシクモ「スパワールド世界の大温泉」
がオープンした年でもあり、この頃から女性の社会進出はスピード感を増して、
更に加速していくのであります。
それまで「サウナ」「健康ランド」の利用者のイメージが男性社会人であったの
に対し「スパ」「クアハウス」は水着着用にて男女が同じフロアでバーデーゾーン
の御風呂を利用する場所であり、男性用の大浴場が女性用の大浴場と広さ
が違う、湯船が違うということはなく、女性も堂々と男性と同じ御風呂を楽しめ
る、そんな「スパ」「クアハウス」と言った温浴施設は、時代の象徴の一つでは
なかったのではないでしょうか。
都会で働く女性が楽しめる温浴施設「スパ」「クアハウス」業態が成立した背景
には前述の「バブルの余韻」の波及もあったのだと思います。
燐夢☆太郎の「スーパー銭湯へ行こう!」
4)温浴施設乱立期~バブルの余韻と女性の社会進出がもたらしたもの~

地方自治体による「ハコモノ行政」の象徴的な都市が大阪市でした。バブル期
に発起した再開発計画はバブル期日本の勢いのままバブル崩壊後もエイヤッ!
と実行に移されたのでした。WTC(ワールドトレードセンター)、ATC(アジアトレ
ードセンター)やOCAT(大阪シティエアターミナル)などムダ行政のヤリダマに
挙げられたのは記憶に新しいところです。
温浴施設に絞って述べると、港区弁天町にある平成5年オープンの商業ビル
「ORC200」に隣接するフライツアィト弁天町は超巨大全天候型プール「Pools」
と天然温泉「湯の国ジャポン」を有した都会のリゾートとも言える施設でした。
その後、運営企業である親会社の流通大手企業の経営破綻によって現在は
「コナミスポーツクラブ弁天町」として営業しています。そして東住吉区矢田川
のほとりにあった「ラスパOSAKA大阪市立ゆとり健康創造館」は平成11年に
オープンした大阪市運営の福利厚生施設でイタリア北部の庭園を彷彿させる
建屋5階分に相当する吹き抜けのバーデーゾーンをメインにした天然温泉が
最大の売りでした。プールやフィットネスクラブ、そして男女別の和風風呂や
リラクゼーションルーム、サウナもありました。しかしながら現在の大阪首長の
打ち出した2重行政の撤廃による事業仕分けの結果、2010年に廃止となりま
す。素晴らしい温浴施設でしたが開業数年で赤字続きだったようです。
この大阪市・大阪府を挙げての事業仕分けによりサマザマな運営施設を廃止
統合させた大阪府・大阪市でしたが、新聞紙面を賑わした天王寺区にあった
「フェスティバルゲート」の経営破綻そして廃止がそのキッカケとなったのでは
ないでしょうか。平成元年に大阪市交通局霞町車庫跡地開発プロジェクトとして
ブチアゲラレタこの大公共事業は、有力企業参加によるコンペティション「土地
信託事業計画提案競技」として大題的に報道されたのを憶えています。
大阪市の保有地でも屈指の面積、しかも西の電気街としても名高い日本橋に
近い超一等地だった為、敷地をAゾーンとBゾーンに区分けされたのでした。
Aゾーンに「フェスティバルゲート」、Bゾーンに「スパワールド世界の大温泉」が
建設され平成9年、両施設とも同時期にオープンしたのでした。
土地信託方式の事業だったため大阪市の直営ではなかったのですが民間の
大手企業に運営されたスパワールドは年を追うごとに利用者を増やしましたが
一方フェスティバルゲートは大手企業と大阪市による第三セクターによる管理
会社によって運営されました。しかしながら開業年以降は利用者減が続いて
平成16年には管理会社を運営していた大手企業がフェスティバルゲート経営
から撤退、フェスティバルゲートは事実上の経営破綻となるのです。
このフェスティバルゲート破綻は日本における「バブルの余韻」の終焉を示す
特徴的な事件だったと、振り返れば思う訳です。
しかしながらヘルスセンター業態を形成した昭和の巨大レジャー施設を彷彿
させる上記施設は「バブルの余韻」が無ければ成立しませんでした。
昭和の巨大レジャー施設と同等の営業面積を持つ「スパ」「クアハウス」業態
を都心に成立させたのですから。また都心に「スパ」「クアハウス」業態が成立
したことが若者、なによりも女性客の獲得に繋がったと思うのです。
そして平成も二桁に突入する時期、21世紀を迎える時代に前述の「スパ」と
「クアハウス」業態により「温泉」は新たな展開を見せることとなるのです。
それが「スーパー銭湯」でした。

5)温浴施設転換期~バブルの余韻を経て失われた10年へ~

平成も二桁に突入し、世間を騒がせた2千年問題、ノストラダムスの大予言
が過ぎ去り、日本は未曾有の不景気「失われた10年」に突入します。
日本はデフレスパイラルにジョジョに突入していくのです。出口の見えない渦。
このデフレスパイラル日本で勢いを伸ばしたのが「安い」を売りにした企業で
した。しかし単に安いだけでは高度経済成長期の「安かろう良かろう悪かろう」
を経験した日本人の支持を得ることはできませんでした。
「安心」を「安価」で提供し「安易」に楽しめる、そんな企業が勢力を増すのです。
ここで言う「安心」とはブランドだったり、利用して気持ちの良い接客だったり、
人それぞれに違うのですが一言で現すなら「満足」させてくれることでしょう。
「安易」は簡単に早く、いつでも店が開いている、予算の範囲で楽しめること
だったり、ボタン一つで商品が届く等、これも人によって違うのだと思います。
つまりは「簡単」であること。そして「安い」、これが共通のキーワードでした。
100円均一の雑貨店、ディスカウントストア、激安スーパー、ファストフード店
ファストファッションチェーン店、ファミリーレストランチェーン、食べ放題チェーン
回転すし、アウトレットモール、コンビニエンスストア、ネットショップ、etc…
これらはデフレスパイラル日本の「個人」と「個人」を繋ぎ合わせる存在でした。
そして運命の如く、デフレの渦に温浴施設も巻き込まれて行くのであります。
「安かろう」「良かろう」「悪かろう」から「安心」「安価」「安易」の時代へ…
こうして「団体」を良しとした日本人は姿を消しました。ポケベルが携帯電話
に変わりMY「ケータイ」を各「個人」思い思いに握りしめて消費行動を起こす、
そんな時代がやってきたのです。
昭和の巨大レジャー温浴施設、ヘルスセンターから24時間サウナ、健康ランド、
平成のスパ、クアハウス、そして現代のスーパー銭湯へ。
スパワールドのオープンした平成9年から数年後、今のスーパー銭湯のオープン
ラッシュとなります。平成12年「河内やまとの湯」「ユーバス堺浜寺店」を皮切りに
ぞくぞくと街中の「スーパー銭湯」がオープンして行くのです。
特に2004年、2005年つまり平成16年と平成17年はスーパー銭湯ニューオープン
のピークだったと思うのです。「鳴尾浜温泉熊野の郷」「天然温泉なにわの湯」
「上方温泉一休」「箕面湯元水春」「源気温泉八尾おゆば」「天然温泉虹の湯
二色の浜店」「つかしん天然温泉湯の華廊」「HATなぎさの湯」「名湯宝乃湯」
「有馬街道温泉すずらんの湯」「さがの天然温泉天山の湯」
もちろん上記以外にも沢山オープンした訳でありますが一旦、置くとしまして。
これら平成のスーパー銭湯が誕生した背景には「バブルの余韻」から醒めた
「失われた10年」の日本経済の作用が、皮肉にも大きく働いたと思われます。
かつては日本の高度経済成長期を支えた生産基地である工場が閉鎖もしくは
移転などで遊休地が飽和状態だったこと、そしてその土地の飽和状態は地価
を下げに下げ、以前は工業地帯だったエリアが部分的に住宅地や準工業地帯
になったりして居住地が増えたこと、その地価の下落が複合店舗による固定費
や減価償却費の分散に伴って、出店リスクを下げたこと、そして前述の安心で
安価で安易な店が客単価を下げてでも、利益を見込めるようになったこと等が
スーパー銭湯のオープンラッシュを呼び込んだのだと思う訳です。
企業・会社が無くなった土地に安価なチェーン店が出来る→チェーン店に関る
企業は経費を抑えて安い商品を納入する→経費、人件費を下げる→従業員は
安い店に行く…まさにデフレスパイラル!
これら、スーパー銭湯が支持された理由は昭和の巨大レジャー施設、ヘルス
センター、健康ランド、24時間サウナ、スパ、クアハウスの美味しい部分だけを
凝縮したところにあると思います。
自宅からクルマでも電車でも行ける、深夜0:00前後まで空いている、癒し処や
食事処もある、大人数収容のサウナがある、大きなサウナがある、大きな湯船
と露天風呂がある、天然温泉がある、新店舗で清潔感がある、そして1000円
以下料金である、これらの要素が各個人のニーズにイズレカが合致しているの
だと思います。
やはりポイントは入館料でしょうか。その料金に見合う館内の設備、シャンプー
ボディソープが無料で利用できる御徳感もあったのだと思うのです。
言わば「価格破壊」とも呼べるスーパー銭湯の攻勢に既存の温浴施設は値下げ
の方向へ逃げざるを得ませんでした。
燐夢☆太郎の「スーパー銭湯へ行こう!」
6)温浴施設変換期~デフレスパイラルにおける昭和の巨大レジャー施設~

この状況の中、今回御紹介の「箕面温泉スパーガーデン」にも変化が訪れます。
2004年には高原スケートリンクなどのエリアを閉鎖し、その跡エリアに大手ゴルフ
用品販売店のゴルフセンターをオープンさせ、館内の一部の改装を開始しニュー
オープンを目指したのでした。
一方、昭和の巨大レジャー施設時代から続く、関西温浴施設の草分け的存在
の「有馬ヘルスセンター」は時代のスーパー銭湯ブームに影響されたのかどう
かは不明ですが、大幅なリニューアルが施されます。
時代のニーズにピッタリと標準を合わせ、従来の1階大浴場の名湯「金泉」を
メインに岩盤浴施設や数十種類の御風呂、現代風のフードコート、癒し処や
エステ処を加え、有馬温泉に縁の深い太閤豊臣秀吉を全面的にモチーフとした
御湯のエンタテイメントパークとも言える「有馬温泉 太閤の湯」として2005年に
生まれ変わったのです。
昭和から続く関西温浴施設の草分けの一方の雄が「有馬温泉 太閤の湯」として
平成のスーパー銭湯にドヤ顔で貫禄を見せ付けた、その一方で箕面温泉スパー
ガーデンは2005年に遂に待望の露天風呂が誕生します。そして2階の大広間を
畳敷きから円卓テーブルに変え、館内各所にあったイートインコーナーを集約して
大広間横の「浪花名店街」へとリニューアルし、昭和の匂いを漂わせていたゲーム
コーナーも改装、他にもミストサウナを増設し、男湯では入口付近にあったサウナ
を湯船と同じフロアに移転したりと、大改装しました。
が、しかし同時に大浴場のロビー奥に会員制のフィットネスクラブが出来たりして
少し時代のニーズからは離れていたように感じました。そして肝心の大浴場です
が、サウナの移転や露天風呂、ミストサウナはできたものの平成のスーパー銭湯
では当たり前となっていた洗い場のシャワーが一部だけしかついていなかったり、
無料使用のシャンプーやリンス、ボディソープもなく、昭和の時代そのままにレモン
石鹸だけが山積みになっていました。新設の露天風呂はどこからかの沸かし湯を
転用した感じで、巨大湯船の御湯と違い塩素臭が漂っている御湯でした。
しかしながら料金は基本入館料大人1300円だったものの夕方5時以降の入館を
料金700円とし、スーパー銭湯の利用料金とほぼ並べました。
料金的には時代のニーズ通りだったかも知れませんが、ケーブルカーを廃止して
設置した展望エレベーターに利用料金が必要だったこと、以前は無料だった駐車
場に料金ゲートを設けたこと、脱衣所のロッカーが開け閉め1回に付き50円が必要
だったこと、同じく脱衣所のドライヤーに料金が必要だったこと、営業時間が22時
(受付は21時まで)だったこと、加えてスーパー銭湯が和風やバリリゾート風など
テーマを持った浴室造りだったのに対して昭和の巨大レジャー施設然り、大は小
を兼ねる大きいだけの湯船に利用客が飽きてしまったこと、などがあって客足は
減る一方でした。欠点ばかり並べてしまったようで本当にツライのですが…
施設内は昭和の巨大レジャー施設の匂いを残していて、その雰囲気が好きな人
には支持されてサマザマな集客イベントや2階の大広間のステージでの大衆演劇
一座による舞台もあって一時は客足も増えるかと思っていましたが、2011年から
2012年に掛けては、そのステージ本数も減少し、遂には大浴場の営業のみと
なって、やっと浴室内に無料のシャンプーやボディーソープも設置し、有料だった
展望エレベーターも無料になったところでしたが、2012年12月に民事再生法の
適用を箕面観光ホテル・箕面スパーガーデンの運営会社が受けたと新聞報道
されたのでした。
しかしながら箕面観光ホテル・箕面スパーガーデンとも現在も営業中でありますが
2013年2月現在、箕面スパーガーデンはリニューアルオープンを目指して改装中
とのことで、代わりに箕面観光ホテルの大浴場の入浴で営業しているようです。
詳しくは箕面温泉スパーガーデン公式サイトで御確認下さい。
建屋4階部分ほどあろうと思われる高い天井に、500人は一度に入浴できそうな
巨大な湯船、以前は一番奥の壁の最上位から流れる御湯の滝がありましたね。
その巨大な大浴場の左手のガラス張りの壁からは箕面の森が見えるのです。
これらの開放感バツグンの御風呂がどう生まれ変わるか期待したい所です。
なが~いブログでしたが、<御気軽度>や<レジャー施設度>はリニューアルした
箕面温泉スパーガーデンを体験して新たにブログに書きたいと思います。
昭和の巨大レジャー施設、関西草分け的温浴施設「箕面温泉スパーガーデン」の
新たな巻き返しを期待して〆にしたいと思います!
頑張れ箕面温泉スパーガーデン!

<箕面温泉スパーガーデン>
http://www.minoo-onsen.co.jp/spa_garden/

参考サイト、参考文献および出典
<箕面市ホームページより「箕面市の現況と課題」>
http://www.city.minoh.lg.jp/kitakyu/documents/03.pdf
<ゆっぽんナビ!温浴最古論争(3)スーパー銭湯編>
日本最初のスーパー銭湯はどこだ?
http://yuppon-navi.jp/column/cat1
<まっぷるマガジン日帰り温泉関西2006年度版>
<ウィキペディア:フェスティバルゲート>

今日の御紹介は「箕面温泉スパーガーデン」なのです。

<スーパー銭湯度☆☆☆☆☆>
昨年、2012年の師走を間近にした11月にショッキングなニュースが舞い
込みました。それは「箕面温泉スパーガーデン・箕面観光ホテル破綻」
の見出しでありました。新聞等メディア発表によると「箕面観光ホテル
そして箕面温泉スパーガーデンの運営会社は2012年10月31日に大阪
地方裁判所へ民事再生法の適用を申請し、同日保全命令を受けた。
負債総額は約36億円~略~」となっていました。
箕面観光ホテル・箕面温泉スパーガーデンの民事再生法適用の申請
のニュースは各メディアで大型倒産ニュースとして取り上げられましたが
実際には廃業したわけではなく、営業は現在、継続中であります。
しかしながらワタクシ、燐夢の個人的な考えであるのですが、高度経済
成長期の日本に誕生した「昭和」のレジャー施設の最後の生き残り組
の一つである「箕面温泉スパーガーデン」が実質的な経営破綻となった
ことは非常に悲しむべきことであるとともに、昭和時代のレジャー産業
の一つの終焉の形であるとも言えるのであります。
シツコイようですが箕面温泉スパーガーデンは民事再生法の適用を
受けたものの現在も営業継続中であります。
ワタクシの世を忍ぶ幼年時代、昭和40年代~昭和50年代の関西エリア
で「日帰り温泉」と言えば正しく「みのお」なのでした。
「箕面温泉スパーガーデン」という温浴施設はワタクシの「温泉ライフ」
において常にストライクど真ん中!の位置にあり続けた存在なのであり
ます。今回はそんな「箕面温泉スパーガーデン」への新たな再起への
期待を含め、そして昭和年代における関西温浴施設レジャー史も絡め
ながらブログを書きたいと思います。m(_ _)m
大阪府でも北摂エリアの一つの都市に数えられる箕面市でありますが
大阪府内においても大阪市の中心とも言える北区や中央区などのビジ
ネス街へも好アクセスな関西屈指の高級住宅街の一つであります。
また箕面山の頂に「箕面滝」「勝尾寺」「紅葉」「サル」などの名所・名物
を有する自然豊かな観光地でもあるのです。
ウィキペディアによると「明治百年記念事業のひとつとして~中略~
1967年(昭和42年)12月11日に国定公園に指定された。」とあります。
(ウィキペディア:明治の森箕面国定公園より)また、梅田駅を起点とし
宝塚本線の石橋駅を経由し、その明治の森箕面国定公園の箕面山の
麓を終着駅とする「阪急電鉄箕面線」では「かつて秋の紅葉シーズン等
における休日昼間には、1980年頃まで梅田駅直通の臨時準急電車が
毎時4本ほど運行されていた…」(ウィキペディア:阪急箕面線より)と
あるくらい、昭和時代における関西エリアでも有数の観光地でもあった
のであります。そして住宅地としての箕面市ですが昭和40年前後の我が
国日本の高度経済成長期の恩恵を受けた都市でもありました。
それは高度経済成長期におけるエポックメイキングな出来事の一つに
挙げられる「日本万国博覧会」通称、大阪万博なのであります。
大阪府吹田市での開催が決まるや否や吹田市および近隣都市の交通
網・住宅地の官民入り乱れての大開発が始まったのであります。
「箕面市の現況と課題その3」によると昭和40年以降の大阪万博博覧会
開催決定により昭和40年以降、千里丘陵の開発や阪急電鉄箕面線沿線
の牧落、桜井などの街の宅地開発が住都公団・阪急により急速に進んだ
との旨の記述があります。大阪万博は開催地のみならず近隣都市の開発
を急加速させたのでした。昭和44年には「千里ニュータウン」の宅地造成
が始まり、昭和45年には箕面市と大阪市内を結び南北に高架道路を走ら
せた「新御堂筋」が開通します。この新御堂筋は国道でありながら始点と
終点の間に信号がなく、日本でも屈指の交通量を誇る北摂エリアと大阪
をつなぐ大動脈とも言えると思うのです。南北の大動脈が新御堂筋なら
東西の大動脈である「名神高速道路」そして「東海道新幹線」にアクセス
する形で新御堂筋は流れているのです。
もう一つの南北を走る線があります。ウィキペディアによると昭和45年に
大阪府、阪急電鉄、大阪ガス、関西電力など有力企業により第三セクター
として設立された北大阪急行電鉄による北大阪急行線であります。(ウィキ
ぺディア:北大阪急行線より)
千里ニュータウンの「千里中央駅」と大阪市内を結ぶ、北急沿線には新興
住宅地が造成されました。この好アクセスは住宅需要を箕面市に呼び寄せ
箕面市の人口は昭和55年には10万人を突破します。
昭和44年には大阪船場繊維卸商団地ができ、千里中央とともに新大阪と
並ぶ大阪の新たなビジネスエリアとして隆盛を迎えるのです。
こうなるとオマエタチ、皆々様はお解りでしょう、レジャー施設を初めとする
商業施設がドンドン出来上がっていくわけであります。
燐夢☆太郎の「スーパー銭湯へ行こう!」
1)温浴施設黎明期~高度経済成長期と昭和の巨大レジャー施設~

日本の高度経済成長期、マイカー・カラーテレビ・エアコンが新三種の神器
と言われた時代に日本国民が欲したのは景勝地のレジャー施設でした。
キシクも同じく名神高速道路・東海道新幹線のアクセスエリアである景勝地
琵琶湖エリアのレジャー施設と同時期に「箕面温泉スパーガーデン」は開業
するのです。しかしながら「箕面スパーガーデン」と同時期にオープンした
滋賀県の「紅葉パラダイス」や「びわ湖タワー」と言ったレジャー施設は後
の健康ランドに繋がるヘルスセンターという業態を形成したのでありますが
これらのレジャー施設が元祖ではなく、以前に「ヘルスセンター」の業態を
確立したレジャー施設がありました。阪急電鉄が明治時代に開業させた
「宝塚新温泉パラダイス」を発展させた「宝塚ファミリーランド」であります。
動物園あり遊園地あり、歌劇団あり、植物園あり、そして大温泉ありの巨大
レジャーランドだったのです。そしてその宝塚ファミリーランドから六甲山に
クルマを走らせると、天下人太閤豊臣秀吉の愛した古来より続く温泉郷の
「有馬温泉」があります。この有馬温泉にもヘルスセンターの名を冠した
レジャー施設がありました。それが「有馬ヘルスセンター」でした。
宝塚ファミリーランドは遊園地のイメージが強いですが一時期は「宝塚ヘル
スセンター」の呼称だったこともあり、「有馬ヘルスセンター」と共に関西圏
における昭和40年以前の御気軽日帰りレジャーランドだったと記憶してい
ます。その2大温泉レジャー施設に続いてオープンしたのが「箕面スパー
ガーデン」「紅葉パラダイス」「びわ湖タワー大岩風呂」でした。
高度経済成長期の日本において形成されていった「個人」「核家族」が
週末に「家族」として消費行動するにはこれらのヘルスセンター業態施設
はウッテツケでした。
ショーや御芝居も楽しめて、プールや遊園地も楽しめて、宴会や御食事も
楽しめる、そして最後は家族みんなで大温泉に浸かってヒトッ風呂浴びて
月曜から元気に仕事に行く、学校に行く、パートに行く。そんな週末家族の
ライフスタイルが日本の高度経済成長を更に押し上げた源だったのです。
ですが時代の変化の波は「ヘルスセンター」にも押し寄せます。
核家族は週末に家族になる「団体」だったのですが、更に週末の夜だけ家族
になるというライフスタイルにジョジョに移行し始めます。
昭和50年代~昭和60年代は「家族団らん」よりも「家族崩壊」という言葉が
叫ばれた時代でもありました。
「受験戦争」「企業戦士」「団塊ジュニア」…これら昭和50年代のキーワード
にはモハヤ「家族」を指し示す言葉は何一つありませんでした。
そんな時代を反映するように昭和50年代から24時間営業の商業施設が
チラホラと生まれます。「深夜スーパー」と言われたコンビニエンスストアが
拡大のキザシを見せた時代でもあります。
そして受験戦争に呼応した学習塾の深夜化、企業戦士と言われたサラリー
マンの深夜残業、そして国民に広まったカラーテレビの深夜放送…
家族のライフスタイルが深夜に移行しつつあった時代が昭和50年代だった
のです。そうなると週末の夜をメインとした営業時間に移行せざるを得ない
レジャー施設が増え、その時代の波に乗れなかった施設が淘汰されていく
のも当然と言えば当然だったのです。
前述の「宝塚ファミリーランド」はヘルスセンター色をジョジョに薄めて行き
今で言うテーマパークとしての色合いを濃くしていきます。そして1980年代
には施設内の温浴施設を閉鎖、宝塚ファミリーランドそのものも2003年4月
には閉園してしまいます。因みに本来あった温泉街の宝塚温泉はまだまだ
温泉街の街並を残しており、殆どがホテル業態での温浴施設ですが、1軒
「ナチュールスパ宝塚」が日帰り温浴施設として営業しています。
また「有馬ヘルスセンター」は入館料1900円という料金(あの有馬の金泉
を楽しめるなら高くはないと思いますが)もあってかジョジョに客足も遠のき
ましたが17:00以降の入館料を1000円としたものの、入館受付19:00とし
20:00までの営業という近隣の施設に比べると早い営業終了時間もあって
(実際、ワタクシの幼年期は有馬ヘルスセンターに行く予定が渋滞等で着い
たら夜8時回ってたことが多々ありました)2001年には「有馬ビューホテル
別館日帰り温泉」として時代にニーズに歩みよったものの、2005年には
西日本一と思える御湯のエンタテイメントパーク「有馬温泉 太閤の湯」
としてリニューアルオープンし、現在も営業中であります。
そして「紅葉パラダイス」「びわ湖タワー大岩風呂」「箕面スパーガーデン」
でありますが時代のレジャーの深夜化の波を受けて営業時間を21:00や
22:00までとしたのは良かったのですが、この時代の「大は小を兼ねる」が
ごとくアレモコレもの、テンコ盛りのレジャー施設感は拭えずにいました。
特にびわ湖周辺のレジャー施設温浴施設は関西圏から1時間以上掛けて
高速道路を移動しなければならない場所にあり、関西の典型的な核家族
が居住する「千里ニュータウン」などの居住地エリアからの客足は遠のいて
行く結果となったのです。昭和50年代は「家族レジャー」が1日を費やして
行動する時代から週末の夜に行動するモノに変化していった時代ですから
この変化は当然でありました。さらに追い討ちを掛けるように24時間営業の
健康ランドが各沿線に産声を上げた時代でもあったのです。
その状況もあったのですが「紅葉パラダイス」「びわ湖タワー大岩風呂」は
平成に入って数年後その役割を終えたようにヒッソリと廃業して行きました。
そんな時代の中でも「箕面スパーガーデン」は昭和の草分け的温浴施設
として生き残っていました。
昭和から平成に変わろうという時代でしたが箕面スパーガーデン2階に
あった大ホールでは歌手による歌謡ショーや御芝居が楽しめましたし、同じ
フロアにあった大ゲームコーナーでは1日中楽しめるゲームが沢山ありまし
た。また屋上へのエスカレーターもあって遊園地さながらの遊具もあったり
本当に楽しめました。施設内には大人も楽しめるコインゲームがあったり
あちこちに手軽にテイクアウトして頬張れる軽食コーナーもラーメン、焼き鳥
アイスクリーム、ドリンク、etcありました。夏には「みのお高原プール」そして
冬は高原スケートリンクが営業し春夏秋冬季節を問わず楽しめる場所でした。
しかし時代の変化を感じたのは数年後のケーブルカーの廃止でした。
1993年に廃止されたケーブルカーは阪急箕面駅から箕面スパーガーデン
へと通ずる山腹を走っていて無料でした。そのケーブルカーが廃止直後に
展望エレベーターとなり、利用料金が必要となるのでした。
更には大浴場の一部が改装され2階から1階へ降りる大階段の下にあった
ラジウム泉の湯船が埋められ、2階の踊り場にあったサウナが1階に移動
し、2005年には男風呂に露天風呂が出来たのです。
21世紀になり前述のゲームコーナーが廃止され、大ホールの軽食コーナー
も1部を除いて無くなり、更には施設内の奥にスポーツジム施設が増築され
ました。ここの施設の魅力は豊富な沸出量を誇る天然温泉なのですが少し
違う方向に行っているなと思いました。この変化は後の話なんですが。
ところで日本国民のレジャー嗜好がライフスタイルの深夜化になるに従い
日帰り+アミューズメント+温泉を謳ったレジャー施設は深夜帯の営業を
余儀なくされたのですが、昭和の巨大レジャー施設は基本的に朝もしくは
昼間に出掛けて夕方もしくは夜まで滞在する、という利用方法でした。
それ故、利用料金は1日滞在を基本としたものであり夕方以降の入館時に
料金を割引くという施設も多かったのですが、営業時間は遅くても夜10時
までという施設が圧倒的でした。
昭和50年代~昭和60年代のキーワードの一つに「深夜」がありましたが
この「深夜」の解釈も個人の時代が進むにつれて夜12時を目処に捉えられ
ることが多くなったのです。
核家族やシングル、独身貴族などと言ったキーワードはこの「深夜」と密接
に関係していたのです。当時の企業に週休2日制が広まって行き、アフター
ファイブやらオールナイトという言葉も出始めた時代、これらは「家族」より
も「個人」に当て嵌められた時代であったのです。
家庭用のパソコン、家庭用ゲームが出始めた時代、深夜スーパーと呼ばれ
た「コンビニエンス」が「コンビニ」と言われ始め、深夜営業のファミリーレス
トランチェーンが広まりの兆しを見せた昭和50年~和60年以降は「家族」で
「1日」を費やして行動するレジャー施設は衰退の道を辿るしかありません
でした。加えて「オイルショック」そして「省エネ」の時代もやって来るのです。
高度経済成長が一服した感もあった頃、GDPが世界第2位となった日本
でしたが、これら「オイルショック」「省エネ」はそれまで消費が美徳とされた
日本にも節約意識が芽生える事象となったのです。
そんな時代の変わり目に現在のスーパー銭湯の原型とも言える温浴施設
が続々と誕生するのです。
「深夜」「個人」「アフターファイブ」「オイルショック」そして「省エネ」これらの
キーワードに見事に合致した温浴施設は、それまでの温泉レジャー施設
とは明らかに差別化されていたのです。
まず、市街地もしくはベッドタウンから30分圏内であること。そして駐車場
スペースが多数台分あること。そして1時間前後の滞在でも充分楽しめる
御風呂をメインにした施設であること、だったと思います。
これらの条件に見事合致したのが昭和62年にオープンした大阪府豊中市
の「夢の公衆浴場 五色」でした。
昭和40年代から続く前述の巨大レジャー施設が肥大化し過ぎた感がある
のを横目に、大阪府豊中市という住宅地、しかも幹線道路沿いという立地
や、アクティビティ感溢れるサマザマな工夫を凝らした御風呂群、そして
遠方の温泉地でしか味わえなかった露天風呂を擁した大浴場は当時の
街の銭湯としては画期的で、なおかつ法律上の定めるところの「普通公衆
浴場」の為、街のお風呂屋さんと同一料金で入浴できる御値打ち感から
一時は駐車場待ちで大渋滞するほど大ブレイクしたのでした。
しかもフロントのある1階にはスタンド形式の御食事コーナーもあり飲食も
可能で、尚且つ当時としてはハシリの24時間営業だったことも拍車を掛け
奈良や京都、滋賀などの遠方地から訪問客が押し寄せたのでした。
ワタクシの記憶では世を忍ぶ仮の姿のワタクシの父が土曜日の夜に温泉
に行く予定で準備していたものの、プロ野球ナイター中継の延長戦が気に
なり(もちろん父が)結局、「みのお」も「ありま(ヘルスセンター)」も間に合わ
ずに「五色湯」に行くので結果、家族みんな丸く収まった、チャンチャン!という
記憶があるのですが、オマエタチ皆々様はいかがでしょうか?
燐夢☆太郎の「スーパー銭湯へ行こう!」
2)温浴施設戦国期~オイルショック・省エネを経てバブルの時代へ

昭和62年以降の温浴施設と昭和の巨大レジャー施設、その明暗ですが
前述の「ヘルスセンター」業態を形成した巨大レジャー施設は御芝居鑑賞
から遊園地から御食事からetc…と余りにもサマザマな要素を詰め込んだ
故に施設の営業面積が広大となり、その広大な土地を確保でき且つ好アク
セスのエリアという条件を満たすには遠方地での営業という結果に為らざる
を得なかったのです。また同営業敷地内にあらゆるアクティビティを同居させ
た結果、各アクティビティの減価償却という部分が負担となり、損益分岐点
となる入場者数を常に超満員で維持しなければならないという経費面での
ドンブリ勘定もあったのだということは安易に想像できるのであります。
実際にそういった昭和の巨大レジャー施設の廃業前後の帳面を見たわけ
ではないのですが、ワタクシの記憶ではそれら巨大レジャー施設の訪問時
は常に混雑している、という印象でして、御目当ての温泉でさえも常時満員
で「芋の粉を洗う」が如く押せや押せやの状態だったのです。
更には平成以降登場するスーパー銭湯と言われる温浴施設の流行を考え
ると「温泉」部分に特化し、プラスアルファで岩盤浴・エステ・マッサージなど
の付帯設備で付加価値を加える平成のコンパクトな運営方法が、利用者の
個人志向とマッチし、他方の昭和の巨大レジャー施設は衰退の道を辿ったと
いう現象は必然だったんでしょうね。
「大は小を兼ねる」からは真逆の発想を持ったレジャー施設がドンドン増えて
行くのはオマエタチ皆々様も良く御存知でしょ?
「温泉」はドライブ=小旅行から変化し、パチンコ遊技場やカラオケボックス
や居酒屋・外食チェーンのように街中で楽しむレジャーに変貌を遂げます。
一説では日本初の「スーパー銭湯」とも言われる「夢の公衆浴場 五色」で
ありますが、その要素の一つである「街中」の温浴施設は全く無かった訳で
なく、昭和の風物詩である公衆浴場=街の御風呂屋さん、オフィス街もしく
は通勤沿線にあるアフターファイブのサラリーマン客御用達のサウナ風呂、
そしてスポーツ設備を中心とした公営レジャー施設は存在していました。
これら温浴施設は一般には温泉としては認識されていませんでした。あくま
で沸かし湯であったのです。しかし「夢の公衆浴場 五色」の大ブレイク作用
が有ったか否かは知る由もありませんが前述の街の御風呂屋さん、オフィス
街のサウナ、公営レジャー施設はコゾッテ「沸かし湯」から「温泉」への転換
を図ろうとしたのです。「夢の公衆浴場 五色」がオープンした昭和62年の翌
昭和63年から平成に掛けて一大ブームが巻き起こるのであります。
ある温浴施設は大浴場を改装し露天風呂を初めとしたバラエティ豊かな多種
の湯船を持つスパスタイルの温浴施設となり、一方では現状の設備を活かし
て敷地内をボーリング掘削する事により天然温泉源を掘り当て屋号に堂々
の「天然温泉」を冠して温浴効能を前面に謳った温浴施設もありました。
ワタクシの記憶では昭和62年にJR尼崎駅前に「あま湯ハウス」がオープン
します。当初はイワユル「沸かし湯」の温浴施設でしたが平成12年に営業
敷地内で天然温泉を掘り当て「金の泉 天然温泉 あま湯」となり現在も元気
に営業中です。「あま湯ハウス」は当時は「24時間サウナ」という認識をする
人が多かったのですが、それもその筈、当初の客層は遠方から大阪市都心
に通勤するサラリーマンでした。昭和62年の翌年は国鉄からJRへの移行年
であり、JR尼崎はJR西日本の全線が停車する駅だったのです。終電尼崎駅
止に乗り、あま湯ハウスへ!という人も多かったでしょう。
その昭和62年に「健康ランド」の名称をイッキに関西エリアでメジャーに押し
上げた温浴施設が登場します。それが「天然大和温泉 奈良健康ランド」で
ありました。関西ローカルのテレビCMで「奈良健康ランド」と健康ランドという
名称を一般に浸透させ現在も各地からの利用客で溢れています。
昭和40年代の巨大レジャー施設時代を温浴施設黎明期とするならば昭和
62年から平成初期は正に「温浴施設戦国時代」と呼べるのではないでしょう
か。平成に突入して昭和40年代の巨大レジャー施設はスグサマ廃業・閉鎖
した訳ではなく、しばらくは棲み分けの時代を過ごすのです。
というのはオイルショック・省エネの時代を耐え忍んでやっと底を着いた景気
が、空前絶後の日本の好景気「バブル」への突入する前夜の日本であって
バブル崩壊までは各温浴施設とも共存していたのです。
オイルショック・省エネの時代を経過し、昭和40年代高度経済成長期の猛烈
かつ貪欲な消費行動から、「ゆとり」「いやし」を求めて消費行動を起す日本
へと変化していくのです。
当時を思い起こせば沢山の温浴施設がありました。兵庫県尼崎市にあった
アーバンリゾートクラブ、大阪市東住吉区のわいわいゆ~ランド 長居パーク
温泉、ぽかぽからんど七福の湯(守口市)、漢方薬湯のヘルスライフ大阪は
天王寺にありました。高石市にあった浜寺ジャンボプールで有名な浜寺天然
温泉 元湯羽衣天女の湯、国立文楽劇場の近所にあったヘルスファームは
後に「すこやか文楽温泉」と名称変更して営業していましたが近年廃業。
昭和50年代より営業していた三重県の名阪健康ランドは平成期も営業して
いたが近年、突然閉鎖となり、跡地は現在も廃墟のままでした。
そして昭和63年にオープンしたクアオルトリバティ泉州健康センターはその後
スパ・リゾートリバティの名称でニューオープンしたものの、平成24年に営業
終了となった事は、以前にもこのブログで御紹介しました。更にはヘルスセン
ター発祥の地とも言われる兵庫県宝塚市にあった宝塚チボリ カラカラテルメ
は平成元年オープンですが温泉施設部分の営業を終了し、スイミングプール
等一部の設備だけ運営されているようです。また神戸の新興住宅地である
西神中央エリアにあった神戸スパーランドの跡地は住宅地になってました。
廃業や営業終了した温浴施設バッカリ御紹介して寂しい限りではありますが
逆に昭和62年~平成初期の温浴施設戦国時代にオープンして現在も元気
に営業している温浴施設だってあるのです。
昭和40年に創業、サウナを主体とした温浴施設では老舗である大阪市北区
の「サウナ大東洋」は天然温泉をシッカリ備えた「サウナ&スパ大東洋」の
名称で営業中ですし、浪速区にあった天然温泉とカプセルホテルを備えた
天然温泉健康ランド湯~ing遊は現在サウナ&カプセル天然温泉スパディオ
として営業中、神戸市北区のしあわせの村温泉健康センターは平成元年の
オープン以来名物のジャングル温泉をシッカリ維持しながら現在営業中です。
平成3年オープンのリゾ鳴尾浜は平成8年に天然温泉を掘り当てて、街中で
リゾート感覚で入浴できる温浴施設として定着、営業中であります。
大阪ベッドタウン狭山市のクア・リゾートはいから村はその後、岩盤浴設備
などを導入してリラクゼーション リゾート スパヒルズとしてリニューアル。現在
も元気に営業中であります。
他方、街中銭湯つまり御風呂屋さんでも天然温泉源泉を掘り当てた温浴施設
も多数あって、港区港晴の昭和47年オープンの天然温泉テルメ龍宮や平成
4年オープンの天然温泉太陽温泉は平成17年にリニューアル、その後も御気
軽な温泉銭湯として親しまれています。
まあ、ザッと思い浮かぶまま書き出しましたが、もちろん上記以外にも昭和62
年から平成初期にオープンして現在も元気に営業している温浴施設はあるの
ですが、また別の機会に述べるとします。
これら温浴施設戦国時代の温泉レジャーはまだまだ棲み分けされていたと
申し上げましたが、ジョジョに各施設の明暗が分かれてくるのです。
そんな中でも「箕面温泉 スパーガーデン」は確固たる地位を保っていました。
箕面市という住宅地にあって平日の夜でも訪問して御風呂を楽しめる気軽な
立地でありますが、前述の街中の御風呂屋さんや健康ランドでは味わえない
広大な敷地と巨大な湯船、箕面の滝に囲まれた自然があるのです。
それら街中の温浴施設が太刀打ちできない営業面積と豊富な湧出量の御湯
そしてその御湯で満たされた500人が一度に浸かっても余裕綽々な開放感に
溢れた巨大湯船、これらの開放感と比較して後進の温浴施設はいかに工夫
して利用者に開放感を提供できるのか、その試行錯誤がスーパー銭湯の今
の姿であり、箕面温泉スパーガーデンは正しくスーパー銭湯のベンチマーク
的存在だったと思うのであります。特にワタクシにとっては。

では、「箕面温泉 スパーガーデン」その2を引き続き御楽しみ下さいませ。

今日御紹介するのは「湖國十二坊の森 十二坊温泉ゆらら」なのです。

<スーパー銭湯度☆☆☆>
古代から現代まで歴史の表舞台となった琵琶湖でありますが、それは
湖畔に限ったことではなく、今回御紹介する「湖國十二坊の森 十二坊
温泉ゆらら」の所在する滋賀県湖南市にも当てはまる事だと思うのです。
滋賀県湖南市は滋賀県と三重県の県境である甲賀エリアにある都市で
あります。この湖南市にある善水寺は奈良時代の建立とされており、後
に日本天台宗開祖である最澄により中興したとウィキペディアに記載が
あります。最澄は織田信長が焼き討ちを行った、あの比叡山延暦寺の
開祖であります。最澄により天台宗寺院となった山岳寺院・善水寺は
日本仏教および密教の修行道の礎の場として興隆することとなります。
その善水寺と善水寺の所在する岩根山に連なる阿星山にある常楽寺
そして長寿寺は湖南三山と称され人々の信仰を集めることとなるのです。
また古代だけでなく歴史上、江戸時代天保年間に興った農民一揆の舞台
でもありました。各地で興った農民一揆は大坂で興った大塩平八郎の乱
を象徴とする幕府への反乱へと規模を拡大します。しかし幕府による天保
の改革により一旦は収束へと向かいました…おっと歴史を述べるブログ
ではありませんでした(^_^;
その農民一揆の末に殉職・幕府により処刑された農民達の慰霊碑が
JR三雲駅にあるそうです。
この前述の歴史の舞台となった甲賀郡にあった2つの村、岩根村と三雲
村は昭和30年に合併して滋賀県甲賀郡甲西町へ発展していきます。
ところで日本現代史のエポックメイキングな出来事、「高度経済成長期」
は前述の農民一揆のように日本各地で興ったことではありませんでした。
話を現代に戻しますと昭和30年代に岩根村と三雲村が合併して成立した
甲西町でありますが山あいの農村地であり、人口が2万人を突破したの
が昭和52年だったこの街には琵琶湖湖畔で見られた高度経済成長期
による名勝地・景勝地の一大レジャーブームの余波は届かなかったの
であります。それ故に国宝を擁する善水寺を初めとした湖南三山は周囲
の財政力のある自治体にあるレジャー施設の影に隠れたヒッソリとした
場所だったのです。

燐夢☆太郎の「スーパー銭湯へ行こう!」
高度経済成長期の余波が波及しなかったようにも思える甲賀エリアで
ありますが、当時の内閣府による列島改造計画敢行により一転して
日本経済のメインストリームへと躍り出るのです。
それが昭和39年の名神高速道路と東海道新幹線の開通であります。
この日本の大動脈が開通したことにより、滋賀県湖南エリア~甲賀エリア
は大阪・名古屋の中間位置にあることもあって、新たな産業地域候補と
して一躍脚光を浴びることとなります。
と申しますのも名神高速道路が全線開通となったのが昭和40年であり
ますが、まずは昭和38年に栗東I.C~尼崎I.Cが開通し翌年の昭和39年
に栗東I.C~関ヶ原I.Cが開通、そして昭和40年に全線開通となるのです。
(参考:ウィキペディア 名神高速道路)栗東I.Cを起点に東西へ名神高速
道路が開通したことを考えると「町おこし村おこし」の為の誘致合戦そして
新たな産業地造成への期待が物凄かったのかが想像できるでしょう。
しかしながら甲賀エリア~湖南エリアがレジャー地として花咲くのは平成
に入ってからなのですが、それまでの前説をもう少し述べさせて下さい!
当時の国の各省庁により都市の再生・整備が唱えられたことを受けて
昭和40年には甲西都市計画事業、湖南工業開発土地区画整理事業
が持ち上がります。更には大規模な住宅地を想定したハイウエイサイド
タウンが構想され、当時の日本住宅公団都市再生機構による工業団地
「湖南工業団地」の造成が昭和42年に開始されます。
こうなるとイケイケドンドンで工業・産業が発展するのが我が国日本の
高度経済成長期なのですが一方では環境保全の声も起こっていたので
あります。そして地元の農業を中心とした産業の保全の声もあったのは
想像似難くありません。そして工業団地を中心とした産業発展にともなう
人口増加は住環境の整備にも作用してゆくのです。
それはやはり古代からの景勝地である琵琶湖を擁する滋賀県ですから。
ましてや湖南三山、天保農民一揆の舞台なのですから、そんな声も当然
でしょうね。そんな声を受けたのか受けなかったのは分からないのですが
滋賀県による大津湖南都市計画が人口増に伴い持ち上がり対象エリア
の中でも今回御紹介する「湖國十二坊の森 十二坊温泉ゆらら」の所在
するエリアも甲賀広域都市計画区域の区域区分となるのです。
昭和45年には甲賀郡開発事業団が発足、昭和48年には岩根西地区の
整備事業が始まり昭和51年には岩根東地区整備事業も着手されます。
昭和52年には上下水道管理センターができ、ついには人口が2万人を
突破します。この都市計画は「自然環境保全および公共空地系統の整備
方針」とのことですから、もう御分りでしょう、御約束の公共施設がぞくぞく
出来上がって行くのです。県立の公園に始まりスポーツ施設…etc。
昭和40年代の高度経済成長期に伴う日本国民のレジャーブームからは
遠くなはれていたエリアではありますが、レジャーブームが去った後の
琵琶湖湖畔のレジャー施設がバッタバッタと無くなっていくのを横目に
自治体主導による公共施設が立ち上がります。
まあ、こうなると「イワユル、ハコモノ行政じゃね?」って御思いかもしれ
ませんが…
人口が増加して交通の便が良くなるとナゼか「温泉」って出来るンですよ
ねぇ~実は今回のブログを書くために昭和50年前後のガイドブックを色々
と引っ張り出してきたんですが、この十二坊温泉ゆららのある岩根って
見事に何にも記載がないんですよねぇ!
話を戻しまして、平成5年にはついに温泉レジャー施設の構想が当時の
町長によって持ち上がり、温泉井掘削が開始されます。
この掘削された源泉が温泉の認定を受けた平成6年には温泉名が決定
して「十二坊温泉」と名づけられるのであります。しかしながらタダチに温
浴施設が出来上がる訳ではなく、平成7年に十二坊温泉「温泉スタンド」
が完成します。暫くはこのままだったようですが。それもそうでしょうねぇ!
バブル崩壊直後、未曾有の不景気のトンネルに突入したバッカリの日本
ですから。簡単に町営のハコモノなんてできなかったんでしょう。
ところが折角の「温泉」の認定を受けた源泉、この源泉を有効利用しよう
と「湖國十二坊の森」整備事業着工の運びとなるのです。当時の町長の
英断ですなぁ。そして平成11年4月「湖國十二坊の森 十二坊温泉ゆらら」
が満を持してオープンとなるのです。
そして現在も元気に営業を続けています。チャンチャン!と言いたいとこ
ですが…この平成の時代も大激動でありまして、バブル崩壊の余波は
地方自治体にも波及した時代、当時の内閣府、総理大臣によりブチアゲ
られた三位一体改革により「平成の大合併」とまで言われた地方自治体
の再編が急加速するのであります。そもそもこの平成の大合併って平たく
言えば市町村を合併させて自治体の数を減らして地方交付金を減らそう
ってなもんじゃなかったでしたっけ?まあ、そんな合併もあって平成16年
に十二坊温泉ゆららのある甲賀郡甲西町と同じく甲賀郡石部町が合併
して湖南市になっちゃう訳であります。

燐夢☆太郎の「スーパー銭湯へ行こう!」
それでまだ続きがありまして平成15年に総務省による地方自治法改正を
受けて、指定管理者制度が持ち上がります。平たくいえば市営や公営の
施設をNPO法人、社団法人や一般企業法人に管理・運営させなさいって
ことなんでしょう、この十二坊温泉ゆららもご他聞に漏れず、その対象と
なります。湖南市の入札開示により、高速道路のサービスエリアやパー
キングエリアへの商品サプライヤーからゴルフ場やホテルなどのレジャー
施設まで多種にわたる業務を展開する地元滋賀県の大手企業が運営
管理者の指定を受け、現在の十二坊温泉ゆららは運営されています。
ふ~っ…最近、ワタクシ、自分でも前説が長げ~ぇ!ってツクヅク思うン
ですよね。しかしながら長かろうが短かろうが読む人は読む!読まない人
は読まない!ってのが、このブログであるってことでっさぁ~!
という訳でインプレッションであります。
実は訪問した時は竜王I.Cのすぐ近くにあるアウトレットモールに行った後
に向かいました。477号線から彦根八日市甲西線に入って岩根山方面
を目指します。するとナビの指示通り山に入っていくと幟が沢山あるのが
見えます。山の中腹を切り開いて造成された感じの敷地があり、広大な
しかし区画された駐車場があります。駐車場からは遥か三重県に連なる
鈴鹿の山系が見渡せます。そして駐車場の後ろに自然の岩々を据えた
日本庭園を囲むようにロータリーがあって、その向こうに「湖國十二坊の
森 十二坊温泉ゆらら」の建屋があります。
建屋外観は左手に円形ドーム型の建屋、接続して右手には2階建ての
建屋があって、いかにも町営施設の名残を感じさせます。
駐車場は山の中腹を切り開いて造られた感じですが、建物は山の斜面
を利用して2階が温浴設備と畳の休憩室となっていました。
やはり広いですね~館内構成は1階が入口左手に御食事処があって
中央が円形のエントランスホールですがテーブルもあり、ロビーと言った
ところでしょうか。右手に受付があり、その右手奥にフィットネススタジオ
と介護風呂そして2階への階段があります。
この十二坊温泉ゆららには温泉プール、つまり水着着用で利用するバー
デーゾーンもあります。ガラス張りで広い館内には大きな眼鏡を模した様
なプールが一つ、右手にはジャグジーもあります。この温泉プールに行く
には大浴場の脱衣所に男風呂・女風呂それぞれに通路があります。
そして大浴場、浴室は「修験の湯」と「百伝の湯」とあって日替りで男湯
女湯にそれぞれなるようです。ワタクシ、燐夢が訪問した日に体験したの
が、百伝の湯であります。この百伝の湯の構成はドーム型の建屋に沿う
ように置かれた長船型の湯船が左手にドンッと一つあって、そのガラス窓
はパノラマとなって、鈴鹿の山々の果てまでが手に取れるかの様に一望
できるのです。そして左の壁には十二坊の山の古地図が描かれていて
いにしえの遥か最澄の下で修験に励む御坊様たちの姿に思いを馳せて
しまうのです。それもそのはず、浴室の各御風呂には御坊様を思わせる
名前が付けられています。大浴槽は「善覚院」、かぶり湯「中之坊」そして
水風呂「角之坊」、サウナ「実蔵坊」となっていました。それで露天風呂は
名前なかったような…肝心の泉質ですが残念ながら源泉掛け流しでは
なく、加温加水されいるようで若干の塩素臭はしましたが、そっと湯船に
入るとジ~ンわりと肌に心地よい刺激がある正真正銘の温泉であります。
効能にはラドン含有の記述があり、ジックリと温泉を楽しめました。
そしてサウナは雛壇の座席のスタジアムサウナでして結構熱いです。
しかしながら浴室の死角に設けられたようで細長く、ハッキリ言えば狭い
感じは拭えませんでした。
ワタクシの一番のお気に入りはやはり露天風呂です。広大な露天風呂
ではなく、直径5m程の正円の日本岩風呂が一つある至ってシンプルな
露天風呂なのですが、左に聳える山々を見下ろしての外気浴は格別で
あります。まさに「天空」の露天風呂、ゆららであります。
燐夢☆太郎の「スーパー銭湯へ行こう!」
<御気軽度☆☆☆>
御気軽なのかそうでないのか☆3つは「マアマアじゃね?」ってところナン
でしょうか。大阪近郊からは高速道路を使えばガッツリ日帰りの範囲だと
思います。それと到達するまでの道は結構広い印象でしたが。
しかし大阪から仕事帰りってのはチョット厳しいかも知れません。営業時間
が10:00~21:00(最終受付20:30)だそうですから。それとナンやカンや
で休館日もあるようですので「湖國十二坊の森 十二坊温泉ゆらら」公式
サイトでシッカリと御確認下さい。料金に関して以前はプールのみの利用
や御風呂だけの利用の料金設定もあったみたいですが、現在は御風呂
とプールの利用が大人(高校生以上)1000円・子供(3才~中学生)500円
となっていて、御風呂のみが大人(高校生以上)700円・子供(3才~中学
生)350円のようです。中学生以上は大人料金を設定してる温浴施設が
あることを思えばリーズナブルです。以前はフィットネスルームも使えた
ようですが、現在は完全会員制になっているようなので御注意を!
イズレニしても御訪問の際には「湖國十二坊の森 十二坊温泉ゆらら」の
公式サイトでガッツリと御確認を御願いいたします。

<レジャー施設度☆☆☆☆>
十二坊温泉ゆららの公式パンフレットにあるように「緑と文化のレクリエー
ションゾーン」だと思います。御食事処「レストラン 和亭 ぜんすい」もあり
介護風呂やグラウンドゴルフもあってサマザマな家族形態で楽しめそう
な施設であります。また湖南三山の誉れ高い善水寺を始めとする国宝級
の寺院めぐりもいいんじゃないでしょうか。その御坊様に思いを馳せながら
十二坊の山をハイキングってのもアウトドア派にはナイスプランでしょ!

<湖國十二坊の森 十二坊温泉ゆらら>
http://www.minami-group.jp/yurara/

<出典および参考サイト>
滋賀県ホームページ 大津湖南都市計画 都市計画区域の整備―滋賀県
http://www.pref.shiga.jp/h/toshikeikaku/otsukonanmp.pdf
湖南市ホームページ>市のプロフィール>旧甲西町のあゆみ
http://www.city.konan.shiga.jp/konan1/gaiyo/01kosei.htm
社団法人湖南工業団地協会
http://www.konan-danchi.com/d-4history.htm
湖南市商工会
http://www.konan-sci.jp/kanko-page/jyuniboonsen.htm