1980年代後半、昭和時代の終わりを目前にして高度経済成長期を経た日本
は先進国の仲間入りを果たし、敗戦ショックという記憶は風化しつつある平穏
な時代を迎えようとしていました。好景気=バブル期真っ只中の日本は誰も
彼も未来の輝かしい日本を信じて疑わない、そんな時代に突入しようとして
いたのです。しかしながら神様は好景気に浮かれた日本に更なる試練をお与
になるのです。
昭和天皇の崩御により激動の時代「昭和」は終わりを告げ、平成の幕開けが
コールされました。昭和天皇崩御に伴い、日本には自粛ムードが漂い始める
のです。そしてもう一つ終幕を告げた出来事が起こります。イワユル「バブル
崩壊」であります。一説には1991年とも1992年とも言われる「バブル崩壊」で
ありますが、昭和天皇崩御への自粛ムードも冷めやらぬ時期でしたが自粛に
より消費行動が抑制された反動が、新たな消費への喚起を促した時代でも
あったのですが、そこに直撃したのがバブル崩壊だったにも関らず「バブルの
余韻」に日本国民がまだ浸っていた時代でもありました。
「失われた10年」を迎えるにはホンの少しだけの余力が日本にはあったので
あります。そんな「バブルの余韻」期の日本で前述の「健康ランド」業態を形成
した温浴施設に加えて、更なる温浴施設が続々とオープンするのです。
地価が天井知らずで上昇した日本でしたがバブル崩壊と共に下落の一歩を
辿ります。地価下落の底が見えてくるのはマダマダ先なんですが、地価上昇
が反転して下方に向ったことが新たな温浴施設建設にプラスに作用したことは
想像に得難くありませんでした。
よって1991年から2000年の間にオープンした温浴施設は大阪や神戸などの
都心にあったり、交通アクセスには不便の無い場所に出来上がって行くので
あります。平成3年にオープンの神戸クアハウス、平成4年には松原天然温泉
YOU・ゆ~、平成7年にはミリカ天然温泉 千里の湯(現在は廃業してまいまし
た)、平成8年には御隆倶楽部(現在のスパ江戸堀)、前身がホテルリンクス
大阪のSPAなにわ天然温泉花乃井だったスーパーホテルCity大阪天然温泉
が平成9年にオープン、そして大型スパ施設「スパワールド世界の大温泉」も
同平成9年オープンします。そして平成10年には兵庫県三田市の新興住宅街
のど真ん中にあった「さんだネスパ」がオープン(現在は三田温泉熊野の郷)
します。まだまだ他にもあるのですがスパワールドがオープンした平成9年、
1997年の前後は正に温浴施設の新設・リニューアルオープンのラッシュでし
た。この時代の特徴としては公営の温浴施設も多数あったことでしょうか。
バブル崩壊により当時の政権与党への責任追及の風潮が蔓延していた時代
に官公庁主導による福祉施設、特に厚生年金基金をベースにした宿泊施設
が「ハコモノ行政」として年金のムダ遣いとしてヤリ玉に挙げられた時期でも
あったのですが、他方では「地方の時代」と言われ、そうした政権与党主導の
キャンペーンもあって「平成の大合併」と言われた地方自治体の再編にアメ玉
として用意されたのが「ふるさと再生」などの地方交付税のバラマキだったの
です。今度は官公庁ではなく、地方自治体による「ハコモノ行政」が始まった
時期でもありました。オラが街に、オラが村に「スパ」が出来て行く訳です。
この辺りの御話は別途させて頂くとして、前述のバブル崩壊直後の「バブルの
余韻」時期の温浴施設に話を戻しますと、この平成の時代1991年~2000年
には「スパワールド世界の大温泉」に見られるような「スパ」や「クアハウス」
と言った業態が現われ始めるのです。
これら平成の「スパ」「クアハウス」は巨大温浴施設ですが、「紅葉パラダイス」
のような昭和の巨大レジャー施設とは明らかに趣きが違っていました。
まず、温泉にテーマを絞った施設であること。そして「スパ」「クアハウス」等の
呼称からも御分かりになると思いますが、ヨーロッパで使われていた温浴施設
の名称を使うことで20~30代の若者、特に女性を取り込もうとした趣旨が汲み
取れるのではないでしょうか。
平成の時代になり、女性の社会進出が叫ばれた時代、「企業戦士」「エコノミ
ックアニマル」という言葉が主に男性に向けて発せられていたのが、新たに
「キャリアウーマン」「ウーマンパワー」といった女性に向けた言葉が浸透して
いこうとした時代でした。
ウィキペディア:男女雇用機会均等法には「元は昭和47年(1972年)に『勤労
婦人福祉法』として制定・施行されたが~中略~昭和60年(1985年)の改正
により『雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働
者の福祉増進に関する法律』となる。」とあり、通称:男女雇用機会均等法は
改正を重ね、更に改正された平成9年はキシクモ「スパワールド世界の大温泉」
がオープンした年でもあり、この頃から女性の社会進出はスピード感を増して、
更に加速していくのであります。
それまで「サウナ」「健康ランド」の利用者のイメージが男性社会人であったの
に対し「スパ」「クアハウス」は水着着用にて男女が同じフロアでバーデーゾーン
の御風呂を利用する場所であり、男性用の大浴場が女性用の大浴場と広さ
が違う、湯船が違うということはなく、女性も堂々と男性と同じ御風呂を楽しめ
る、そんな「スパ」「クアハウス」と言った温浴施設は、時代の象徴の一つでは
なかったのではないでしょうか。
都会で働く女性が楽しめる温浴施設「スパ」「クアハウス」業態が成立した背景
には前述の「バブルの余韻」の波及もあったのだと思います。
4)温浴施設乱立期~バブルの余韻と女性の社会進出がもたらしたもの~
地方自治体による「ハコモノ行政」の象徴的な都市が大阪市でした。バブル期
に発起した再開発計画はバブル期日本の勢いのままバブル崩壊後もエイヤッ!
と実行に移されたのでした。WTC(ワールドトレードセンター)、ATC(アジアトレ
ードセンター)やOCAT(大阪シティエアターミナル)などムダ行政のヤリダマに
挙げられたのは記憶に新しいところです。
温浴施設に絞って述べると、港区弁天町にある平成5年オープンの商業ビル
「ORC200」に隣接するフライツアィト弁天町は超巨大全天候型プール「Pools」
と天然温泉「湯の国ジャポン」を有した都会のリゾートとも言える施設でした。
その後、運営企業である親会社の流通大手企業の経営破綻によって現在は
「コナミスポーツクラブ弁天町」として営業しています。そして東住吉区矢田川
のほとりにあった「ラスパOSAKA大阪市立ゆとり健康創造館」は平成11年に
オープンした大阪市運営の福利厚生施設でイタリア北部の庭園を彷彿させる
建屋5階分に相当する吹き抜けのバーデーゾーンをメインにした天然温泉が
最大の売りでした。プールやフィットネスクラブ、そして男女別の和風風呂や
リラクゼーションルーム、サウナもありました。しかしながら現在の大阪首長の
打ち出した2重行政の撤廃による事業仕分けの結果、2010年に廃止となりま
す。素晴らしい温浴施設でしたが開業数年で赤字続きだったようです。
この大阪市・大阪府を挙げての事業仕分けによりサマザマな運営施設を廃止
統合させた大阪府・大阪市でしたが、新聞紙面を賑わした天王寺区にあった
「フェスティバルゲート」の経営破綻そして廃止がそのキッカケとなったのでは
ないでしょうか。平成元年に大阪市交通局霞町車庫跡地開発プロジェクトとして
ブチアゲラレタこの大公共事業は、有力企業参加によるコンペティション「土地
信託事業計画提案競技」として大題的に報道されたのを憶えています。
大阪市の保有地でも屈指の面積、しかも西の電気街としても名高い日本橋に
近い超一等地だった為、敷地をAゾーンとBゾーンに区分けされたのでした。
Aゾーンに「フェスティバルゲート」、Bゾーンに「スパワールド世界の大温泉」が
建設され平成9年、両施設とも同時期にオープンしたのでした。
土地信託方式の事業だったため大阪市の直営ではなかったのですが民間の
大手企業に運営されたスパワールドは年を追うごとに利用者を増やしましたが
一方フェスティバルゲートは大手企業と大阪市による第三セクターによる管理
会社によって運営されました。しかしながら開業年以降は利用者減が続いて
平成16年には管理会社を運営していた大手企業がフェスティバルゲート経営
から撤退、フェスティバルゲートは事実上の経営破綻となるのです。
このフェスティバルゲート破綻は日本における「バブルの余韻」の終焉を示す
特徴的な事件だったと、振り返れば思う訳です。
しかしながらヘルスセンター業態を形成した昭和の巨大レジャー施設を彷彿
させる上記施設は「バブルの余韻」が無ければ成立しませんでした。
昭和の巨大レジャー施設と同等の営業面積を持つ「スパ」「クアハウス」業態
を都心に成立させたのですから。また都心に「スパ」「クアハウス」業態が成立
したことが若者、なによりも女性客の獲得に繋がったと思うのです。
そして平成も二桁に突入する時期、21世紀を迎える時代に前述の「スパ」と
「クアハウス」業態により「温泉」は新たな展開を見せることとなるのです。
それが「スーパー銭湯」でした。
5)温浴施設転換期~バブルの余韻を経て失われた10年へ~
平成も二桁に突入し、世間を騒がせた2千年問題、ノストラダムスの大予言
が過ぎ去り、日本は未曾有の不景気「失われた10年」に突入します。
日本はデフレスパイラルにジョジョに突入していくのです。出口の見えない渦。
このデフレスパイラル日本で勢いを伸ばしたのが「安い」を売りにした企業で
した。しかし単に安いだけでは高度経済成長期の「安かろう良かろう悪かろう」
を経験した日本人の支持を得ることはできませんでした。
「安心」を「安価」で提供し「安易」に楽しめる、そんな企業が勢力を増すのです。
ここで言う「安心」とはブランドだったり、利用して気持ちの良い接客だったり、
人それぞれに違うのですが一言で現すなら「満足」させてくれることでしょう。
「安易」は簡単に早く、いつでも店が開いている、予算の範囲で楽しめること
だったり、ボタン一つで商品が届く等、これも人によって違うのだと思います。
つまりは「簡単」であること。そして「安い」、これが共通のキーワードでした。
100円均一の雑貨店、ディスカウントストア、激安スーパー、ファストフード店
ファストファッションチェーン店、ファミリーレストランチェーン、食べ放題チェーン
回転すし、アウトレットモール、コンビニエンスストア、ネットショップ、etc…
これらはデフレスパイラル日本の「個人」と「個人」を繋ぎ合わせる存在でした。
そして運命の如く、デフレの渦に温浴施設も巻き込まれて行くのであります。
「安かろう」「良かろう」「悪かろう」から「安心」「安価」「安易」の時代へ…
こうして「団体」を良しとした日本人は姿を消しました。ポケベルが携帯電話
に変わりMY「ケータイ」を各「個人」思い思いに握りしめて消費行動を起こす、
そんな時代がやってきたのです。
昭和の巨大レジャー温浴施設、ヘルスセンターから24時間サウナ、健康ランド、
平成のスパ、クアハウス、そして現代のスーパー銭湯へ。
スパワールドのオープンした平成9年から数年後、今のスーパー銭湯のオープン
ラッシュとなります。平成12年「河内やまとの湯」「ユーバス堺浜寺店」を皮切りに
ぞくぞくと街中の「スーパー銭湯」がオープンして行くのです。
特に2004年、2005年つまり平成16年と平成17年はスーパー銭湯ニューオープン
のピークだったと思うのです。「鳴尾浜温泉熊野の郷」「天然温泉なにわの湯」
「上方温泉一休」「箕面湯元水春」「源気温泉八尾おゆば」「天然温泉虹の湯
二色の浜店」「つかしん天然温泉湯の華廊」「HATなぎさの湯」「名湯宝乃湯」
「有馬街道温泉すずらんの湯」「さがの天然温泉天山の湯」
もちろん上記以外にも沢山オープンした訳でありますが一旦、置くとしまして。
これら平成のスーパー銭湯が誕生した背景には「バブルの余韻」から醒めた
「失われた10年」の日本経済の作用が、皮肉にも大きく働いたと思われます。
かつては日本の高度経済成長期を支えた生産基地である工場が閉鎖もしくは
移転などで遊休地が飽和状態だったこと、そしてその土地の飽和状態は地価
を下げに下げ、以前は工業地帯だったエリアが部分的に住宅地や準工業地帯
になったりして居住地が増えたこと、その地価の下落が複合店舗による固定費
や減価償却費の分散に伴って、出店リスクを下げたこと、そして前述の安心で
安価で安易な店が客単価を下げてでも、利益を見込めるようになったこと等が
スーパー銭湯のオープンラッシュを呼び込んだのだと思う訳です。
企業・会社が無くなった土地に安価なチェーン店が出来る→チェーン店に関る
企業は経費を抑えて安い商品を納入する→経費、人件費を下げる→従業員は
安い店に行く…まさにデフレスパイラル!
これら、スーパー銭湯が支持された理由は昭和の巨大レジャー施設、ヘルス
センター、健康ランド、24時間サウナ、スパ、クアハウスの美味しい部分だけを
凝縮したところにあると思います。
自宅からクルマでも電車でも行ける、深夜0:00前後まで空いている、癒し処や
食事処もある、大人数収容のサウナがある、大きなサウナがある、大きな湯船
と露天風呂がある、天然温泉がある、新店舗で清潔感がある、そして1000円
以下料金である、これらの要素が各個人のニーズにイズレカが合致しているの
だと思います。
やはりポイントは入館料でしょうか。その料金に見合う館内の設備、シャンプー
ボディソープが無料で利用できる御徳感もあったのだと思うのです。
言わば「価格破壊」とも呼べるスーパー銭湯の攻勢に既存の温浴施設は値下げ
の方向へ逃げざるを得ませんでした。
6)温浴施設変換期~デフレスパイラルにおける昭和の巨大レジャー施設~
この状況の中、今回御紹介の「箕面温泉スパーガーデン」にも変化が訪れます。
2004年には高原スケートリンクなどのエリアを閉鎖し、その跡エリアに大手ゴルフ
用品販売店のゴルフセンターをオープンさせ、館内の一部の改装を開始しニュー
オープンを目指したのでした。
一方、昭和の巨大レジャー施設時代から続く、関西温浴施設の草分け的存在
の「有馬ヘルスセンター」は時代のスーパー銭湯ブームに影響されたのかどう
かは不明ですが、大幅なリニューアルが施されます。
時代のニーズにピッタリと標準を合わせ、従来の1階大浴場の名湯「金泉」を
メインに岩盤浴施設や数十種類の御風呂、現代風のフードコート、癒し処や
エステ処を加え、有馬温泉に縁の深い太閤豊臣秀吉を全面的にモチーフとした
御湯のエンタテイメントパークとも言える「有馬温泉 太閤の湯」として2005年に
生まれ変わったのです。
昭和から続く関西温浴施設の草分けの一方の雄が「有馬温泉 太閤の湯」として
平成のスーパー銭湯にドヤ顔で貫禄を見せ付けた、その一方で箕面温泉スパー
ガーデンは2005年に遂に待望の露天風呂が誕生します。そして2階の大広間を
畳敷きから円卓テーブルに変え、館内各所にあったイートインコーナーを集約して
大広間横の「浪花名店街」へとリニューアルし、昭和の匂いを漂わせていたゲーム
コーナーも改装、他にもミストサウナを増設し、男湯では入口付近にあったサウナ
を湯船と同じフロアに移転したりと、大改装しました。
が、しかし同時に大浴場のロビー奥に会員制のフィットネスクラブが出来たりして
少し時代のニーズからは離れていたように感じました。そして肝心の大浴場です
が、サウナの移転や露天風呂、ミストサウナはできたものの平成のスーパー銭湯
では当たり前となっていた洗い場のシャワーが一部だけしかついていなかったり、
無料使用のシャンプーやリンス、ボディソープもなく、昭和の時代そのままにレモン
石鹸だけが山積みになっていました。新設の露天風呂はどこからかの沸かし湯を
転用した感じで、巨大湯船の御湯と違い塩素臭が漂っている御湯でした。
しかしながら料金は基本入館料大人1300円だったものの夕方5時以降の入館を
料金700円とし、スーパー銭湯の利用料金とほぼ並べました。
料金的には時代のニーズ通りだったかも知れませんが、ケーブルカーを廃止して
設置した展望エレベーターに利用料金が必要だったこと、以前は無料だった駐車
場に料金ゲートを設けたこと、脱衣所のロッカーが開け閉め1回に付き50円が必要
だったこと、同じく脱衣所のドライヤーに料金が必要だったこと、営業時間が22時
(受付は21時まで)だったこと、加えてスーパー銭湯が和風やバリリゾート風など
テーマを持った浴室造りだったのに対して昭和の巨大レジャー施設然り、大は小
を兼ねる大きいだけの湯船に利用客が飽きてしまったこと、などがあって客足は
減る一方でした。欠点ばかり並べてしまったようで本当にツライのですが…
施設内は昭和の巨大レジャー施設の匂いを残していて、その雰囲気が好きな人
には支持されてサマザマな集客イベントや2階の大広間のステージでの大衆演劇
一座による舞台もあって一時は客足も増えるかと思っていましたが、2011年から
2012年に掛けては、そのステージ本数も減少し、遂には大浴場の営業のみと
なって、やっと浴室内に無料のシャンプーやボディーソープも設置し、有料だった
展望エレベーターも無料になったところでしたが、2012年12月に民事再生法の
適用を箕面観光ホテル・箕面スパーガーデンの運営会社が受けたと新聞報道
されたのでした。
しかしながら箕面観光ホテル・箕面スパーガーデンとも現在も営業中でありますが
2013年2月現在、箕面スパーガーデンはリニューアルオープンを目指して改装中
とのことで、代わりに箕面観光ホテルの大浴場の入浴で営業しているようです。
詳しくは箕面温泉スパーガーデン公式サイトで御確認下さい。
建屋4階部分ほどあろうと思われる高い天井に、500人は一度に入浴できそうな
巨大な湯船、以前は一番奥の壁の最上位から流れる御湯の滝がありましたね。
その巨大な大浴場の左手のガラス張りの壁からは箕面の森が見えるのです。
これらの開放感バツグンの御風呂がどう生まれ変わるか期待したい所です。
なが~いブログでしたが、<御気軽度>や<レジャー施設度>はリニューアルした
箕面温泉スパーガーデンを体験して新たにブログに書きたいと思います。
昭和の巨大レジャー施設、関西草分け的温浴施設「箕面温泉スパーガーデン」の
新たな巻き返しを期待して〆にしたいと思います!
頑張れ箕面温泉スパーガーデン!
<箕面温泉スパーガーデン>
http://www.minoo-onsen.co.jp/spa_garden/
参考サイト、参考文献および出典
<箕面市ホームページより「箕面市の現況と課題」>
http://www.city.minoh.lg.jp/kitakyu/documents/03.pdf
<ゆっぽんナビ!温浴最古論争(3)スーパー銭湯編>
日本最初のスーパー銭湯はどこだ?
http://yuppon-navi.jp/column/cat1
<まっぷるマガジン日帰り温泉関西2006年度版>
<ウィキペディア:フェスティバルゲート>



