本記事はTwitterの菁山房 琳阿弥陁佛(@ogatakourinpa)の#琳華集でのツイートの内、行った展覧会についての感想の呟きを手短にまとめたものである。
2025年8月に行った展覧会
西遊@京都 8/23土~24日 図録購入
23土に修理完了記念 特集展示 重要文化財 釈迦堂縁起@京都国立博物館平成知新館、24日の午前は蓮華王院三十三間堂を参詣、その後、再び同展を鑑賞、午後は公益財団法人仏教美術研究上野記念財団研究発表と座談会 清凉寺釈迦如来像と釈迦堂縁起@京都国立博物館平成知新館B1講堂を聴講した。
釈迦堂縁起は前後期で巻替があり、私はシンポジウムに合わせて会期末の滑り込み、すなわち後期展示をみた。事前に通販で買った図録を、翻刻も含めて全て読んでいたし、専門でもなく問題意識をもっていたわけでもないので、現地で根を詰めてというほどでもなく、図録に書いてあった内容を確かめることを頭の片隅に絵を愉しみつつ、詞書の読めそうなところを軽く読んで、知らないくずし字をメモするという、何とも気楽な物見遊山であった。
全体を通して地に施された金泥が綺麗であった。やまと絵@東博で桑実寺縁起をみた時にも感じたことだが、これは原物をみてこそである。あと、全巻を通して顔を横、斜め後ろから捉えた際、頬骨が出るという特徴が見出せた。巻第2の第4~6段にかけて降魔、悟りを開き、説法する場面を、釈迦の座った姿を繰り返しながらも金泥を増やすことでパワーアップしてゆく様を視覚的に表現しているのが面白かった。釈迦や天女の服制や魔物の甲制をみると混乱なくちゃんと描写できている。背景の炎は伴大納言絵巻を思わせた。同巻最後の第7段の涅槃の場面はマンネリを避けるためなのか、斜めからのアングルになっていた。巻第3最後の第3段はかの有名な、釈迦と鳩摩羅琰とが互いに背負いあう場面。奥行を豊かに表現する重層的な絵作りは出色である。まことに眼福であった。巻第5の第4段はやや遅れて描かれたということは図録を読んで既に知っており、確かに作風が違うなと思った。ただ、それはいわれれば気づく程度の差異であるようにみえた。これは図録でみた時と原物でみた時の印象の違いもあるし、場面がここだけ日本の風景風俗なので比較しづらいというのもあるし、何より私の眼がなっていないというのもあろう。あと、この場面の船の帆先の旗のなびく向きが描き直されているのも確認した。図録には赤外線写真が載っていたが肉眼でもみえた。追い風、向かい風を勘違いしたわけだが、確かにその気持ちは分からんでもない笑。ともかくも、濃彩は眩く、山や建物の構図は破綻なく、描き込みも細やかな入念の作であった。展示ケース内に等身大(?)の清凉寺釈迦像パネルが掲示されていたが、超国宝@奈良博の時に使ったものを譲り受けたらしい。
関連展示として同時代の絵巻、真如堂縁起、酒飯論、壬生地蔵縁起が出ていた。各々作風に違いがあることを実感。真如堂縁起の詞書は、冒頭にデカデカと「安嘉門院」と書かれるなど、堂々たる書が印象に残った。後奈良天皇とか尊鎮法親王の手だろうか。因みに桑実寺縁起も出ているということで翻刻をコピーし持参していったが、生憎これは前期展示であったようでお目にかかれなかった。あのパノラマ絵巻をみるなら平成知新館の長い壁面ケースは持って来いだったろうに。この点は口惜しい限り。
この他は新収蔵品展とか、常設展以上企画展未満みたいな規模の展示とか、諸々。妙心寺屏風は海北友松、狩野山楽の一双屏風が3件。ここの展示室は引きがあるので屏風の展示に適していることを実感。友松も山楽も特に好みというわけでもないけれど、あぁ、いい空間だな、と思った。
仏像は安祥寺の五智如来が堂々と(背面をみるべし)。高山寺の重文・薬師如来坐像(木心乾漆・8世紀。こちらも背面をみるべし)。善願寺の僧形坐像(唐9世紀)。これは浅草寺や観心寺にも同形がある(わけあって懐かしく思い出した)。彫りは少ないが要領を得ており、目に石を嵌めるのと相まって、中々生々しい。大阪清泰寺の菩薩坐像二軀(9世紀)。奥健夫氏の論文で取り上げられている。腋や肩甲骨の表現、深い膝奥などがみどころ。耳の形も当時の傾向を示すようにみえた。後補と思うが、これに施された截金の文様の名前が出て来なかった。有職事典とか、一冊アンチョコを買った方がよさそう。日々の鍛錬の不足を思い知った。ちなみに、初日の鑑賞後、某先生とスタバで歓談にあずかった。ありがたい限りである。
翌朝は眠りが浅く早起きで、この時間ではコンビニかマクド(マックとタイプしたが郷に入りては郷に従えということで)くらいしか開いていないなと思いながら歩いていたら、図らずも七条大橋にほど近いアマゾンという昭和風情のいい感じの喫茶店をみつけ、トーストサンドとホットコーヒーといういい感じの朝食をとり、それでもなお京博開館までいい感じに時間があったので、三十三間堂を拝観した。京博に来るたびに横目にスルーしてしまっており、灯台下暗しはよくないというわけで。建築としては、写真撮影不可なのが惜しいが、内部の梁の堂々たる構造が印象深かった。千手観音立像は所々「創建像」や「湛慶作」など札が立っており、それをよすがに作風を考えながらみた。湛慶は顔立ちがハッキリして作風は一定しており、造像責任者、慶派棟梁としての腕前を感じた。康円も顔立ちがハッキリしていたと思うが、衣文表現には振り幅があるように思った。院継(809号)は衣文線がハッキリ表され、慶派でないからといって表現が大人しいわけではないのかもしれない。残念ながら行快作像は奥の方の段にあったのか、どこにあるか分からなかった。二十八部衆は鎌倉時代中後期の作風だなという印象。腕を振り上げるにも後ろに振りかぶるというほどの動きをみせず、立体性や空間性みたいなものをそこまで発揮していないようにみえた。全体的に様式化が進んだ印象。当初なのかは分かりかねるが、彩色や截金は大振りで時代の下降を感じた。ただ、ちらほら運慶風の願成就院像のような神将形もみられたし、何よりこれだけの群像を作り上げたのはやはり凄い。本尊は正面から拝むしかないので破綻ない立派な仏像くらいしか感想がでてこなかった(そんなんでいいのか…)。
上野財団のシンポジウムは皿井舞、山川暁、井並林太郎、本井牧子各氏による研究発表の後、稲本泰生氏司会による座談会というものであった。本尊の彫像(皿井)、展覧会の絵巻(井並)という美術史の視点に加え、染織史(山川)、説話文学(本井)という異分野の登壇者らによる多角的な内容であり、質疑応答も含め専門的な内容であった。口頭による内容なので正確にとはゆかないが、記憶に残ったこと、私的に勉強になったことを少し書き残しておこう。
井並氏によると真言系「学侶」の下に位置した浄土系、勧進聖の「本願」が本絵巻の制作主体であり、彼らが漢画系の元信にその制作を依頼し、前半の大部を天竺震旦での仏伝に費やしたのは、自らの正統性を強調したかったからであるとのことだった。また、元信はこの仕事を通して、勧進聖、浄土教の僧、ひいてはそれを信仰した貴族(二尊院・三条西家)を顧客として獲得したのではないかとのこと。座談会での質疑応答では、絵画専門の井並氏が彫刻専門の人々に「素人質問なんですけど、先の国宝展@奈良博で釈迦如来像をみた際、意外と人体の抑揚とかがよく表されていて生々しく、特に手の造形に写実性を感じたのですが、そういうところから生身性がきているのですか」という旨の質問をしており、結局その解釈は彫刻史側から否定されたのだが、その際の稲本氏による「形式によって生身性が保たれているのであって、写実性=生身性というわけではない」という旨の説明が、とても明快に感じた。また、井並氏が、絵巻後半が未完となったことについて、「天皇、公家が参与せずに勧進のみで全8巻を作るのは難しく、奝然御遠忌を過ぎてしまうとモチベーションの維持も難しかった」という説明した後に、「3時間越えの映画をクラウドファンディングだけで作ろうとするようなもの」と例えていたのは分かりやすかった。稲本氏が「出開帳において本絵巻が公開、絵解きされたというが、実際どういうものだったのか」と質問していたが、井並氏は「中世当初はそこまでオープンではなかった。かといって秘匿秘伝というわけでもない」と、本井氏は「想定読者/閲覧者はいただろうが、実際にその層にみせたかは分けて考えるべきである」との返答であった。この点については私も図録を読んで予習したときに「参詣曼荼羅のような掛幅でもないのに絵巻を(不特定多数に)みせるというのはどういうことなんだろう」と疑問を持ったところであったので、このやりとりを聞けてよかった。研究者でもその具体的な在り方は分からないらしい。
親と子のギャラリー 仏さまのかたち―写す、伝える、広がる―@東京国立博物館平成館 8/29金
https://x.com/ogatakourinpa/status/1961293817266544904
考古の部屋から廊下を挟んだ企画展示室にて。白描図像や近代の模写、江戸時代の仏画の20件。最近わけあって模写された仏画に興味があり、それで足を運んだのである。当時の人々がどのように模写したか正確なところは分からないようだが、油を浸したトレーシングペーパーのような紙を原本の上に置いて透き写ししたらしく。その工程がパネル展示されていた。
寛永寺@東京国立博物館本館 8/29金
創建400年を記念した特集展示。江戸の鬼門の守りとして比叡山に見立て、不忍池は琵琶湖に見立て、現在の上野公園にあたる場所に創建された寛永寺。13世紀の慶派っぽい観音菩薩立像や五重塔安置の四仏(寛永16年・1639)、康乗の釈迦如来坐像(寛文4年・1664)が出ていた。中々整った姿である。黒髪山という盆石とその由来を描いた黒髪山縁起絵巻(文化10年・1813)なるものが出ていた。石は中村仏庵なる人が日光から江戸に持ち帰ったもので、詞書を本人が、絵を鍬形蕙斎が描いた。当時の文化人が黒髪山を鑑賞する場面が出ており、加藤千蔭や村田春海などがいた。なお、先に記した通り模写に興味があるため徳川家康像を模写した森田亀太郎、嵯峨天皇像を模写した高島千載をここに記録しておく。
この後、国宝室(第2室)で藤原行成の白氏詩巻をみて、その隣の第3室で星光寺縁起絵巻の巻下を熟覧鑑賞した。東博コレクション展(常設展)の展示替が8月中旬にあって、替わった後に何が出ているのか知らず、当日何の気なしにホームページをみたらこれが出ていて、棚からぼたもちの気分であった。巻上は2023年12月のやまと絵@東博平成館でみたのが最後だが、巻下は2022年10月が最後である。その時は冒頭が少し巻かれていて極書までみられたが、今回は冒頭から第6段の絵まで。これで巻下は全てみたことになる。翻刻を携えていたが、それをみずとも詞書はほとんど読めた。第1段は尼が六角堂で夢想を得るという話だが親鸞の六角夢想を基にしているのだろう。建物の構図や灯篭の配置も共通している。第3段の尼の家の場面で尼の背後に細長い白い紙が丸まっていて、前にみたときも気になったのだが、もしかしたら紐を通した銭を包んでいるのだろうか。あるいは当時貴重品だった紙そのものか。第4段の地獄巡りで、こちらに背を向けて座る赤鬼がいる。この鬼が扱っている棚のようなものが何なのか気になっていたのだが、詞書に「赤色の大鬼王吹かはといふものにて/火をふくほのほ虚空にみてり」とある中の「吹かは」を指しているのかと思ったが、「吹かは」が何なのか分からない。それにしても、この長尺の第4段は本当に見応えがある。長いので絵巻全体の配分が悪くなっているくらいだが、こういうことは縁起絵巻でよく起こることである。自分が絵師だったらどう配分するかを考えながらみるのも面白いものである。本作は先行研究によって模本とされており、確かに霞や前栽の淡く簡略な表現はそれを首肯させるものである。ただ、それによって生まれる枯淡な趣が何とも好ましい。まことに眼福であった。
交流の記録―遊行寺中近世文書を中心に―@遊行寺宝物館 8/30土
わけあって遊行寺に用があり、そのついでに拝見。綸旨とか武家の書状とかがずらりと並び、冷泉為和の古今和歌集や由阿の詩林采葉抄などの和歌関連の文献も。貴重な品々の展観であると同時に庶民宗教のイメージをひっくり返すような内容でもあった。。
今月は数が少ないのに長々と書いてしまった。本当は自分の勉強をせねばならぬのだが、自分の専門ではないとはいえ見逃せないものが出ていたので、ついつい足を運んでしまった。来月こそは自分の勉強をしたいものである(いったい何回これをいうんだ)。
ちなみに1金に、6月7日(土)に生放送された平沢進のBSP「タオの3つのエコー編」をみたこと、2土に亜種音TV第4期、平沢進のBSP「unZIP編」をみたこと、30土に某所で文化財を調査したことを記録しておく。平沢は中国での初の海外公演を終え、亜種音TVを終わらせ、ついに新譜を発売し、その公演を開催しようというところである。たのしみである。
行きたかった、話題になっていた展覧会
極上の仮名 王朝貴族の教養と美意識@五島美術館 6/24火~8/3日
唐絵 中国絵画と日本中世の水墨画@根津美術館 7/19土~8/24日
こもんじょ沼―中世鎌倉の古文書入門―@鎌倉国宝館 7/12土~8/31日 図録頂戴
日本美術の鉱脈展 未来の国宝を探せ!@大阪中之島美術館 6/21土~8/31日
仮名展は行きたかったというのもあるし、翻刻付きの図録が充実していて欲しくなった。唐絵展は鶉図や漁村夕照、観瀑図などが出ている贅沢ぶり。これを自前の企画展としてやってしまうコレクションの充実ぶりよ。古文書展はわけあって早々と図録を入手できて詠み終わったのだが、現地には向かえなかった。鉱脈展は監修者山下裕二氏の考えた「奇想の系譜」みたいものだったようだ。
