本記事は今月に行った展覧会などをまとめたものである。
2026年9月に行った展覧会
空海と真言の名宝@東京国立博物館平成館 9/6日
午前に試験の予定が入っていたのでじっくり、たっぷり、の~んびり(ホテル三日月)みられたわけではない。3時から、2時間ほどみて、5時閉館。展示のストーリーなどはなく、とにかく宝物をみせようというトーハク仕事の出開帳。と毒づいてみたが、「弘法大師生誕1250年記念」との銘打ちや図録の中身とかもみると、根拠のない憶測にはなるが、真言宗やマスコミの方から展覧会のパッケージを決め打ちで持ち込まれたんじゃなかろうか。学芸員の主体性があんまりみえてこない点でよい展示とはいえないが色々あるのだろう。ともかくも普段みられないものをみられるのは誠にありがたい限り。
一番の目当てはいくつかの快慶作例。高野山の執金剛神・深沙大将立像(25・26)は初見。派手な動きの像なので衆目を集めていた。側面観では手足、天衣の配置に奥行がなく、横に広がるような正面観を意識した造形となっており、快慶の絵画的な作風を指摘できる。こういうところを運慶に及ばないといってしまえばそれまでだが、そうはいっても迫力のある立派な像である。ちなみに深沙大将像内の宝篋印陀羅尼は「本阿弥陀仏」の署名入りのものが出ていた。三宝院の不動明王坐像(75)は既に一、二度みているかな。やっぱり抜群にうまい。隙がなくまとまりのよい造形をそつなくこなしているあたり、早熟だったんだなと思った。随心院の金剛薩埵菩薩坐像(76)は初見。この像もよいものだと思うが、気になったのが全体の比率からして頭部がやや大きいのではないか。立体曼荼羅として造像され高い須弥壇上に拝者から遠い位置に安置されたとしたら、それを見越して頭部を大きくしたとか考えられるが、どうなんだろう。また、当初は違う尊格だったという説が出されているらしいが、果たして。
二間観音(37)もお出まし。行灯ケースに安置されており、混雑対策のため最前列は立ち止まることが許されず歩きながらみなければならず、止まってみられるのはその最前列の周囲からのみ。截金の施された小さい像だったので近くでみてナンボだと思うところ、ちょっと残念。あと、私は東寺の十二天屏風(14)が好きなのだが、これと同系統と思しい醍醐寺の白描の十二天図像(31)12幅が出ていた。ちょっと気になったのが後者の日天・月天には裙の裾に渦文があったが前者にはなかった。また筆遣いも異なっていた。石山寺縁起絵巻(64)は巻第2が出ており、淳祐と皇慶の場面。長刀をぶん回すのが面白い。
まあ、概ねこんなもん。雑駁な感想になってしまった。そういや、試験会場から上野にいく途中の昼ご飯に入った正華(五反野店、駅の目の前)がいかにも昭和の町中華って感じでとてもよかったな~。
南都仏画@奈良国立博物館 9/12土 13日 図録購入
なかなか予定を組めず最終日滑り込みとなった。初日の9/12土に珠玉の仏たち@奈良国立博物館仏像館、翌日の9/13日に南都仏画@奈良国立博物館東西新館をみた。
前日に慌てて宿をとったし朝起きるのが得意ではなく家を出るのも遅かったので何となく投げやりな心持ちで出発したが、新幹線内で長命寺地蔵菩薩立像の『日本彫刻史基礎資料集成』鎌倉時代造像銘記篇とかの解説を読んだり近鉄線の車窓から田園風景を眺めたりしているうちにだんだんと旅情が湧いてきた。奈良博に着く頃には15:00頃になっており、いくら土曜の今日が19:00閉館だからといって今から特別展を消化するのは難しかろう、いつまでもあるとおもうな何とやらとはよくいうが爆破予告で臨時休館なんてことはあるまい、ということで南都仏画は明日にお預け、初日は仏像館をみることにした。
仏像館での目当ては前掲の長命寺地蔵菩薩立像である。定期的に展示替えを確認してもここ数年なかなか現れることがなかったのだが、ようやく初めて生でみられた。この像はかつて深く考える機会があっておおよそのことは知っていたのだが、やはり原物をみないわけにいはいかない。新幹線内でめぼしいところに赤線を引いておいた解説を片手に問題意識を持って熟覧。この像は保存状態が良好で光背・台座に至るまで欠失や亡失が極めて少ないため、解説では当初の錫杖・光背・台座についても形状記述が詳しくなされている。今回の観覧の目的の一つはこれらの記述と原物とを突き合わせながら確かめることであった。もちろん純粋に鑑賞したり作風を理解したりすることはいうまでもない。体軀の表現に硬さがあり衣の動きも目立たないが、一歩踏み出すに伴ってわずかに左(向かって右)に傾いた体勢や正面の大衣裾のゆらめきにはみるべきものがある。線条的にしのぎ立った衣文は立体感こそ乏しいものの、位置をずらしたり間隔に変化を加えたりとある種絵画的な美しさが認められる。総じて長命寺像は静謐さのなかに衣文の装飾性とひかえめな動勢とがよく調和したものといえよう。
ちなみにこの像は表面の黒変が強い一方、箇所を選べば当初の截金が綺麗にみえるのだが、単眼鏡で覗くと暗くみえづらかった。私の視力や眼鏡の問題ではなく恐らく館内の照明の加減によるものと思われる。単眼鏡を覗くと入ってくる光の量が少なくなり視界がぼんやりとしてしまうというところではなかろうか。仏像館は照明が明暗の強弱をつけた劇的なものではなく壁の色は白であり劇的な演出のない落ち着いた空間でみられるよいものだと思っていたし、今でもそれは思うのだが、こういうこともあるのだなと思った。もちろん明暗を強調してしまうと暗部がみえなくなってしまうし、かといって全方向から強い光を当てることは現実的に不可能だろう。ともあれ、肉眼でも綺麗にみえたし時間をかけて贅沢にじっくりみられたので満足であった。個人的なことながら私はこの像を思うときいくつかの苦い思い出がまとわりついてくるのだが、今回熟覧したことでこれらがある種供養されたような気がした。
この他、京都・金胎寺の弥勒菩薩坐像が修理後初公開されていた。興福寺の広目天立像(平安~鎌倉時代・12~13世紀)は造形もさることなが彩色がよく残っており、もっとみていたかった。もしかしたら南都仏画展にあわせて出したのかもしれない。また、奈良博所蔵の13世紀の毘沙門天立像はいかにも慶派の作風でちょっと気になった。おなじみの快慶の裸形阿弥陀如来立像・菩薩面はいうまでもなし。
あと、展示室に入る前にほんの少し地下回廊を通ったのだが、ボランティアガイドによる教育普及イベントがおこなわれていた。ハイレベルな展示とこういう企画とを両方こなすというのは予算や人手、スペースなどの点からしてどこの館でもできることではないが、奈良博はお手本のような博物館だなと感心した。
閉館間際、長命寺像を見納めしていると若い男性に声をかけられた。その人は近くにある別の地蔵菩薩像をみていたのだが、熱心にみている私が気になったようであった。彼は仏像が好きで出身は京都のところ仏像をみるために奈良に住んでいる云々。
夕飯はJR奈良駅近くの天理スタミナラーメン。美味しかったがセットで頼んだ半チャーハンともどもやけにしょっぱかった。西国だからといって薄味とも限らないのか。
翌日、今は観光案内所となっている旧奈良駅舎を少し眺めてから奈良博へ。10時半頃からいよいよ本命の南都仏画展を見始めた。冒頭は伝橘夫人念持仏厨子(1)。その周りには法隆寺金堂外陣の壁画を、柱なども含めて建物ごと再現した展示がなされていた。恐らく便利堂とかの写真や画家たちによる模写をデジタル処理か何かで高精細にして原寸大で印刷したのだろう。ピンボケもなくこれだけの大きさで出力できるのが凄い。
メインはやはり、ボストン美術館の法華堂根本曼陀羅(40)と東大寺の倶舎曼荼羅(41)である。谷口耕生氏の論文「俱舎曼荼羅と天平復古」で予習してきたためこれを確認するような鑑賞になってしまったが、予習しなければ何も知らないままなのだから、これくらいが丁度よい。ボストン本は剥落や退色が甚だしいが台座の蓮弁、脇侍の衣の細やかな描写が印象に残った。背景に広がる山水や霊芝雲も雄大。本展の最後に掲げられた復元模写(171)にみる透き通るような天衣や光背の描写を思うとき、ボストン本の表現は立体感を旨とするものであったと理解された。一方、倶舎曼荼羅は先行図像を取り合わせたものであり構図の点で立体感はあまり期待できない。また谷口氏の指摘の通り色彩もある程度日本的な、平明なものになっているように思えたが、それでもなお脇侍の条帛の照暈(?)などにボストン本の面影をみてとれるように思った。そしてこういう衣文の色彩表現は宝山寺の弥勒菩薩像(49)にもみることができ、さらに倶舎曼荼羅と宝山寺本とでは菩薩の台座の形式が近く、この辺りに南都仏画の伝統をみてとれるかもしれないと素人ながら思った。とはいえ件の論文の最後によれば俱舎曼荼羅や宝山寺本を南都仏画の中にどう位置付けるかは込み入った議論が必要らしい。彫刻史でも肥後定慶の菩薩像の成立や定義、その伝播をどう考えるかは議論の余地があると思うが、そんな感じだろうか。関連作例として東大寺戒壇院扉絵図(42)も展示されており、俱舎曼荼羅と扉絵図とで四天王の甲の文様が一致することなどを確かめた。ちなみに扉絵図の多聞天の横顔は別章に出ていた天平の伎楽面を思わせるものがあり、こういうところでリンクするのが面白い。
叡尊・善春・明澄らによって修理、補彩された虚空蔵菩薩坐像(21)の美しいこと。いつまでもみていられる。金剛院の快慶作・執金剛神像(61)もじっくりとみた。今回仏画の展覧会でみたこともあって、作者が原像をみられたのか絵図から立体化したのかは造形のみならず彩色を比較することでより詳しく検討できるなと思った。余談だが、修学旅行か何かできていたと思しい女学生らが、法隆寺の観音菩薩立像(22)の板光背をみて昔のサーフボード云々、ダーツの的云々
後半の始まりは、一室まるごと内山永久寺特集。ボストン美術館の里帰り品も含まれる。部屋中央に仏師康円、絵仏師重命による不動明王及び八大童子像(72)。表面によく残った彩色を『集成』の記述と併せて熟覧した。ただ、露出展示とはいえ距離があったし経年劣化でみえづらいところもあった。記述から輪宝文と繧繝とを多用しているのがうかがえ、繧繝はさすがにみえなかったが輪宝文は確かに多かった。一番感じたのは、文様を言葉で記述することの限界であった。記述では唐草文とか団花文とか出てくるが、これ以上詳しく記述するのはなかなか大変。何事も限界がある。まあ、私はその限界に到達すらしていないのだから、精進してゆこう。
京都・正寿院の不動明王坐像(74)も熟覧。この像についてはかつて深く考える機会があり、自分のなかで一応答えが出ているので、それを念頭に気楽にみることができた。やはり、いい像である。仏像館の方でよく出ているものだが、今回は行灯ケースでの展示。ケースを壁際に寄せていたので真背面からはみえなかったが、ほぼ全方向からみられたのが嬉しかった。東博の愛染明王坐像と厨子(75)は別々に展示。圧倒的な色彩。あと、個人蔵の地蔵菩薩立像(73)は、元来一具ではないようだが、光背の形式が長命寺像とかと共通するので特記しておく。
後半は中世の作品が増えてくる。全く詳しくないのであまり書くこともないのだが、華厳宗の先師を描いた絵、太子信仰関連の作品などなど。観重筆仏涅槃図(121)は鮮やかな色彩がとても好みで狩野元信の釈迦堂縁起や土佐光茂の桑実寺縁起など同時代の寺社縁起絵巻を思い出した。世俗画の絵師もこういう仏画を参照していただろうと思うが、この辺りって研究されているのだろうか。私が知らないだけか。例によって快成の地蔵菩薩立像(124)、愛染明王坐像(125)もお出まし。やはり善派仏師の辺りを改めて考えねばなあ。さらに進んで第7章の春日曼荼羅のところはかなり飛ばしてしまったが、春日龍珠箱(147)の色彩の美しさは驚異的であった(私がみたのは後期展示の内箱)。あと、春日社本殿御間塀下絵(149)などで示された春日絵所が代々描き継いだという辺りは面白かった。
4:40頃に見終わった。結局昼ご飯を食べずに6時間ほどぶっ通しでみていたことになる。久しぶりに純粋に美術史を愉しいと思えた。当然図録を購入した。最終日とあって出入口では館長や学芸員が帰る観覧客を送別していた。本当なら明日もゆっくり寺巡りでもしたいところだが、矢の如く帰ってきた。
蛇足ながら、最後に賢しらを申しておく。前半(内山永久寺の辺りまで)があまりにも豪華すぎて、後半がややトーンダウンしたように思った人は多少はいたのではないか。また、これは今こうして所感を書いていて思ったことだが、「南都仏画」展を名乗るならば、伝統・古典としてまなざされた対象だけを並べた名品展とするだけでなく(まなざしを動詞化するなという批判は甘んじて受け入れる)、その伝統・古典を継承し、再生産した中世以降を丁寧に掘り下げねばならないであろう。単純に私が詳しくないからそこを見落としていただけかもしれないし、スペースの問題もあろうし、そもそもお前だって春日曼荼羅の辺りを飛ばしたじゃないかといわれれば確かにその通りなのだが。これをいい機会に図録を読んで勉強しろ!
毎月のことだが展覧会に1つか2つくらいしかゆかなくなってしまった。時間的にも体力的にも制約があるし、今の私にはインプット以外のことに注力せねばならない。学部生のころ(~2019年度)の月刊美術報知をみると狂ったような頻度で足を運んでおりこんな時間があったならもっと勉強すればよかった、もっと違うジャンルもみたらよかったと思わんでもないが、しかし過去にこれだけいったからこそ今の自分があり、今、わざわざ頻繁にいかなくてもいいような余裕があると思うとあれでよかったのかもしれない。といっても自分の勉強に集中できているかといえばそうでもないのだが。程度の差こそあれ、人生はこうやって進んでいってしまうのだろう。
ちなみに6日に奈良国立博物館・仏教芸術学会共同企画 報告と座談会「南都仏画研究の現在」・特別鑑賞会・懇親会@奈良博が開催されたが、上記の通り試験の日程が入っていたこともあり不参加。
行きたかった、話題になっていた展覧会
没後50年 髙島野十郎展@松涛美術館 7/4土~9/6日
昭和100年記念特別展 昭和と金沢文庫@金沢文庫 7/25土~9/13日
祈りと救いの美―国宝 普賢菩薩騎象像との出会い@大倉集古館 7/28 火~9 /27 日
没後50年記念 鳥居言人 歌舞伎絵と新版画@太田記念美術館 9/1火~9/27日
