本記事は今月に行った展覧会などをまとめたものである。

 

2026年5月に行った展覧会

 

寺宝展・山門楼上特別公開@材木座光明寺 5/3日

 友人とともに。山門からの海の眺めが爽快であった。寺宝展は作品もさることながら、現在も続く本堂修理の発見や成果についての解説が興味深かった。

 

華やぐ北斎江戸絵画―饒舌館長ベストテン―@鎌倉生涯学習センター 5/5火祝

 北斎と江戸絵画の華やぎ@鎌倉国宝館に連携した、河野元昭氏による講演会。立て板に水とはこのこと。

 

文化財調査撮影@某寺 5/7木

 

再訪:下村観山展@東京国立近代美術館 5/10日

 後期展示のため再訪。奇しくも最終日の5/10が観山の命日とのこと。大方の所感は先月号に書いてしまったので、ここでは後期展示に出ていた作品を中心に、軽く書き残しておきたい。

 英国留学の成果として「雨中鷺」(1.3.04・明治41・1908・茨城県近代美術館)が展示されていた。土坡と木々が、近景・中景・遠景という風に配置され、20羽ばかりの白鷺がランダムに配されている。白鷺というモチーフの選択には画面全体を白黒に統一したい意図があるのだろう。この絵の最大の魅力は左の、薄墨による消え入るような木々の描写である。古い水墨画でも似たような表現は散見されるが、雨に阻まれた視界の向こうにみえる木々を、薄墨だけで簡潔に、それでいて前後関係を的確に表現しており、このような陰影や遠近感の処理こそ留学の賜物だったのであろう。ただ、一つ賢しらを申すならば、中央上部、濃墨の梢に少し隠れた皓月の、やや存在感に欠けるのが惜しいように思った。前期展示の「風」(1.3.03・明治41・1908・東京芸大)では、月光・木々・地面に移った影という三つが統一感をもって画面を形作っており、そこに風の動きまで感じることができたが、「雨中鷺」では月から光が降り注いでいるという印象に欠け、つまり月及び月光の存在に必然性がないように思われた。両作は同じ年の作品なので技量が上がったとか下がったとかの話ではなく、作家個人のふり幅なのではあろうが。ただ、繰り返すように、左の木々の描写は絶妙であり追随を許さない。「風」が動であれば、「雨中鷺」は静の作品といえようか。

 後期展示でたのしみにしていたのが、「魔障」(1.3.09・明治43・1910・東博)であった。椎野晃史氏の論文を今年の頭くらいに面白く読んでいたためである。白描で細かく描かれた作品なので、論文を読んだだけでは分からないような細かいところ、例えば筆遣いの違い、化け仏の斜視や薄く毛の生えた手足、各所にはびこる魔物などなど、実物をじっくり観察することができた。ふと気になったのは左上に小さく下弦の月が描き込まれていることである。「修羅道絵巻」(1.1.32・明治33・1900・東博)、「大原御幸」(2.2.06・明治41・1908・東近美)では巻末に月が描かれ、解説ではこれを煩悩の晴れた真如の月として解釈している。「魔障」は絵巻形式の横長の画面となっており、これらの文脈で考えるのは不当ではなかろうが、ただ、こちらは欠けた月となっているので、「魔障」の月を真如の月とは捉えることはできまい。この絵はちょっと風変わりで、観山が何を主張したかったのか判然としないが、化け仏や魔物に気づかずに祈願する僧を風刺的に描いたというところだろうか。だとすれば、月が満ちていないのは納得がゆく。

 先月号では、金地の一双屏風の構図について「小倉山」(1.3.06・明治42・1909・横浜美術館)などにみる木立の描写からモチーフを減らしていった先に「弱法師」(1.4.04・大正4年・1915・東博)が現れたのかも、みたいなことを書いたが、後期展示で「鵜」(1.3.14・明治45・1912・東博)をみたとき、そこまで難しく考えずとも、こういう構図が「弱法師」へとつながってゆくと考えた方が自然かなと思い直した。「鵜飼」(1.4.09・大正7・1918・阿波藍商コレクション)は近代美術に詳しくない私がいうのもなんだが、観山にしては珍しく南画的な印象を受けた。

 「三猿」(1.4.18・大正13・1924・横浜美術館)は「見ざる聞かざる言わざる」を絵画化したものだろう。中央に聾者、その左手前に唖者(指で筆談するか)、右手前には盲者を描く。図録ではあまり気に留めなかったのだが、現物をみてすぐに前期展示の「俊徳丸」(2.2.14・大正11・1922・日本美術院)を想起した。全体的に淡彩で、顔貌や手は写実的に描き、衣服は濃墨と淡墨による墨線を主体として簡略に描いており、手前に濃墨を、奥側に淡墨を用いるところまで「俊徳丸」とよく共通している。両者の制作年は近く、大正元年(1912)の「虎渓三笑」(2.2.08・横浜美術館)もこれに近い筆致や色彩が看取され、この頃の観山の流行りなのかもしれない。また、この考えは穿ち過ぎ(誤用)かもしれないが、障碍者(≒弱法師)や仙人のような出世間的な存在を描く際の方法として、この表現が使われていたのかもしれない。

 再訪で最も印象深かったのは、先述の「大原御幸」の最後の場面、「雲居の月をよそに見んとは」、木々の向こうの空の皓月(この一文、たまたま七五調になってた)。月を中心とした一点透視的な構図と滲んだ彩色によるかき曇るような木々の描写が、物語の終幕にふさわしい。幽絶之至也。右寄りの樹上に猿が一匹描き込まれるのが面白い。確か、明恵上人の樹上坐禅像にはリスが描き込まれていたはずだが、これに似た発想か。左下の目立たない金泥落款が何とも謹直である。

 ちなみに、絵画用具(1.4.R03・神歴博)、絵具(1.4.R04・和歌山県立近代美術館)が展示されていたが、筆の柄に「伊年用筆」「芳崖用筆」という文言が刻まれており、何だろうと思った。

 観山展の後、サラッとMOMAT(常設展)も巡ったら観山筆「清涼殿」(大正13・1924)が出ていた。「信貴山縁起絵巻」延喜加持の巻に由来する清涼殿内に後醍醐天皇の姿を描く。古典作品に基づいた観山らしい一幅。

 

光琳派 国宝「燕子花図」と尾形光琳のフォロワーたち@根津美術館 5/10日

 上記の観山展から梯子。開館85周年記念特別展としてクリーブランド美術館の渡辺始興筆「燕子花図屏風」、深江芦舟筆「蔦の細道図屏風」という在外品が里帰り。国内他館からの借り物も含めて贅沢なラインナップであると同時に始興、芦舟、立林何帠、尾形乾山という一般ではマイナーな絵師の作品をまとめてみられるよい機会。館蔵の「木蓮棕櫚芭蕉図屏風」は、かつてはじめての古美術鑑賞―絵画の技法と表現―@根津美 2016/7/23土~9/4日(下記URL)では「伝立林何帠筆」として展示されていたが、今回は始興のチャプター内で、「「方祝」印」として出ていた。当時、学部生だった私は学科のフリーペーパーみたいなものでこれを取り上げたことがあったのだが、あれから10年を経て、確定ではないが、始興作品として位置づけが変わったということであり、何だかしみじみした気分になった。どの絵師の作品も淡雅な風合い。始興筆「木蓮棕櫚図」(2幅・文化庁)はさっぱりとした水墨表現のなかに赤や青がアクセントとなっており、なかなか好みであった。ちなみに乾山の「色絵槍梅図三角向付」が「前澤友作氏蔵」だったのが、この日のハイライトかもしれない(?)。こうして著名人が名前を出してくれるのは、一般人へ美術を宣伝する効果が多少なりともあるかもしれないので、勝手ながらありがたく思った。

https://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibitions/pdf/list_technique.pdf

 

文化財調査@某寺 5/12火

 

第79回 美術史学会全国大会@学習院大学 5/22金・23土

 最終日24日のみ不参加。

 

伊勢の名刹 専修寺―寺宝からみる公家文化@霞会館記念学習院ミュージアム 5/22金・23土

 上記に合わせて開催したであろう展覧会。初日はサラッと、2日目にじっくり観覧。延応2年(1240)の慶舜作の三尺阿弥陀如来立像が出ていた。また、キャンパス内の旧皇族寮、旧図書館、乃木館などの近代建築を散策。

 

 色々とイベントの多いひと月であったが、なかでも先月の観山展前期に引き続き後期展示も行けたのと、学会のついでに専修寺展を消化できたのが、ノルマ達成といったところだろうか。春から夏への移り変わりに合わせて来月は会期末ラッシュを迎えることとなるが、北野天神@京博吉野大峯@奈良博はいくかどうか分からない。あまり振り回されず行ける範囲をサクサクみてゆこう。

 

行きたかった、話題になっていた展覧会

 

長沢蘆雪@府中市美術館 3/14土~5/10日

 金子信久学芸員による毎年恒例「春の江戸絵画まつり」は惜しまれつつも今回で最後とのこと。私は毎年足を運んだわけではないが、2018年5月に訪れたリアル 最大の奇抜@府中市美術館は指折りのクオリティだった。