二日目は国宝一遍聖絵と時宗の名宝@京博に足を運んだ。2躯の行快作阿弥陀如来像が目当てである。

 

行快作 阿弥陀如来像 木造漆箔 鎌倉時代13世紀 阿弥陀寺

 

 一見して、肩のがっしりとした体躯がみずみずしい像だ。来迎印を結ぶ立像の阿弥陀仏である。足枘に「法眼行快」の銘、納入文書に文暦2年(1235)の年紀がみられる。意志的に見開かれた目がいかにも行快らしい表現だ。左耳の形は快慶に近く、右耳の形は行快によるようにみえた。小鼻のくくりは深く彫る。上唇の方が大きいようにみえた。それぞれ両手相には感情線と知能線を彫るが、右手相は両者を縦に貫く線が一本あった。

 さて、衣文についてだが、おおよそ装飾的な風が強かった。裙の裾は大人しく師の整斉たる処理をおそったとみられるが、像全体をみればひだは峰が太く強い。腹部のV字衣文は密であり、大きく左肩にかかった大衣の端は背に長く垂れている。第三形式の襟の処理だが、二箇所から引き出す以前に、U字状の襟全体を引き出しているようにみえた。これは師風からさらに一歩進んだ形式といえよう。また、左胸に渦文の衣文を確認した。

 今回のためにいくつか文献を読んで予習してきたのだが、行快は体側部を彫り過ぎるくせがあるという旨があり、これが確かめたかったことのひとつだった。実見して気づいたことといえば、確かに行快は左腰を彫り過ぎているものの、それは①袖の存在感を強調するため、そして②衣の中に足があり歩いていることを強調するためであるということだった。すなわち、体側部を深く彫ることでその両側にある袖および足の存在を浮き彫りにしているのだ。本像の袖(特に左)は藤田美術館像と同様に衣そのものの重なりを強調したものであり、正面からみても長く垂れた袖がはらはらと揺れているのが分かる。下から仰ぎみれば、体側部が深く彫られているために、ある種足が浮き出てみえた。

 ところで、これは感覚的に何となく感じたことなのだが、このように体側部を深く彫ることで足の存在を強調したわけだが、この表現が運慶様の阿弥陀如来立像につながっていくのではないかとふと思った。すぐそばに滋賀、蓮台寺の像があったが、これはいわゆる運慶系統の像ではないだろうか。この像は脚部の双曲線状の衣文が縦に長く彫られており、こういう表現は安阿弥様ではみかけないのだが、足を強調するという点でどこか一脈通ずるものがあるかもしれない。左肩にかかる大衣の端が、大きくかかるというのも気になる。行快は運慶の作風に、湛慶は快慶の作風に惹かれたとか、運慶と快慶の作風が平均化されたなどの指摘がなされているが、行快と運慶風の関係を探るのも面白いかもしれない。

 

行快作 阿弥陀三尊像 木造漆箔 鎌倉時代13世紀 聞名寺

 

 

 阿弥陀寺像と同じく来迎印を結んだ立像であるが、聞名寺像は蓮台をもつ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を伴う。勢至菩薩の足枘に「巧匠/法眼行快」、観音菩薩の足枘に「眼行快」の銘が見出されたのは本展の事前調査においてであり、私はネット記事にてそれを知り藤田美術館展とともに行かねばならないなと確信したのだった。

 一見して、阿弥陀寺像にくらべ目は切れ長にしてなで肩の、大人しい印象のものだ。小鼻のくくりは深く彫る。上唇の方が大きい。横長のガラスケース内に三尊が並んで展示されていたので、中尊の耳は遠くてみえなかったが、右耳の上脚はおそらく反っており行快であろうか。脇侍の耳は小さい上に結った髪が耳の上を通ったり装身具が影になったりして確認できなかった。手相に関して、メモによれば右手は感情線と知能線があり左はなしとなっているが、図録の図版を確認すると右手には感情線と知能線にくわえて両者を縦に貫く線が一本みられる。左は金箔がやや残っており判断しづらい。左手はそのせいで分からなかったのだろうが、右手は私の不注意か影の問題で見落としたのだろうか。

 体勢について述べれば、衣が厚くかかっているからそうみえるだけかもしれないが、左肩がやや上がっているようにみえた。阿弥陀寺像と同じく体側部を彫り込み足の実在を強調している。

 衣文に関していえば、表情の大人しさとは異なり阿弥陀寺像と同様に太く力強い衣文であった。裙の裾は阿弥陀寺像よりも賑やかで、左肩にかかる大衣は大きくかかり背部に長く垂れていた。襟は第三形式だが阿弥陀寺像と同じく、U字状の襟全体を引き出していた。左胸と左袖の下端に渦文を確認した。

 脇侍は膝を曲げ腰を折り衆生に語りかける風で、その表情はあくまでも清らかにして穏やかであった。風を受け軽やかにふわりとひるがえる天衣の美しいこと(質感が異なる部分も見受けられたので後補をふくむかも)。裙の折り返しの翻転描写は、特に背部がかなり誇張されていた。脇侍の服制は詳しく分からないが、観音菩薩の腰には裾がキクラゲのようにひらひらした衣をまとっているが、これは勢至菩薩にはみられない。宋風の受容だろうか。ただ宋風にしてはひらひらが大人しい気がする(峰定寺の釈迦像とかとくらべてみよう)。うまく言葉では説明できないが、髻は慶派に典型的な派手な結い方である。ひとつ思うに、銘記は両脇侍から見出されたが、中尊からは見出されていないのが不思議である。行快名義で造立したのであろうが、中尊のみを弟子に任せたりするだろうか。仮に仏に対する遠慮だったとしても、それまでに三尺像はたくさん彫ってきたであろうし、この像に他にはない霊験がありでもしない限り考えられまい。

 と、ここまで書いたが、脇侍はそこまで問題意識をもってみられなかった。というのも中尊にくらべれば造立の機会も多くはないだろうし残存状況もよくないだろうから、あまりみる機会に恵まれない。脇侍について詳しくふれた文献はあるのだろうか。まだまだ勉強が足りないと思うばかり。

 

2躯についての考察

 

 行快の作例はいまだ少なくこれから多くの発見が期待されているので現時点で作風展開や個々の作例の位置づけは早計であろうが、今回の短時間の鑑賞から多少なりとも知見を得られたので、ここに記しておこう。

 作風展開を探るにせよ作例を位置づけるにせよ、まず問題となるのが制作年代である。私見では聞名寺像の方が先行するように思われる。同じ安阿弥様の三尺像で衣文の意匠から渦文の有無まで近似しており比較できる部分は限られる。注目すべきは表情と量感である。聞名寺像は切れ長の目で表情は大人しく、量感は阿弥陀寺像にくらべれば減じられており、師快慶の整斉たる作風に近いように思われる。ひるがえって阿弥陀寺像の見開きの強い目や肉感的な造形性は師の作風とはやや径庭があり、むしろ行快風が醸し出されている。全ての場合においていえるわけではないが、作家の作風とは平凡なもの、あるいは師に倣ったものから徐々に独自のものへと展開していくものであり、この2躯をそれに当てはめれば、聞名寺が先、阿弥陀寺像が後となる。

 ただし、ここで留意したいのが大報恩寺の本尊釈迦如来像である。2躯と同じく法眼時代の造立だが、そこには見開かれた目、賑やかな衣文、がっしりした肉どりが明らかである。この像は安貞元年(1227)と明確に年が判明しており、それは法眼時代のごく初期である。とすると行快は法眼に叙された当初(師快慶が没してからそうは経っていない頃)からすでに自らの作風を確乎としてもっていたことになり、単純に平凡から独自へ変化する作風展開では追えない作家なのかもしれない(また、行快作が確実視されてはいないが、浄土宗(玉桂寺)の像は建暦2年(1212)の造像である)。すなわち、師に倣った作風と自らの作風を同時並行で使い分けた可能性が考えられないだろうか。

 また、2躯にみられるばさばさとした袖の処理は行快の特徴としてとらえられないだろうか。「開眼/行快」として造像に参加した藤田美術館の地蔵菩薩像もふくめ、阿弥陀寺像、聞名寺像の袖は、衣そのものの重なりを強調した描写がなされている。特に藤田美術館像は快慶が大仏師としてのみをふるったはずだが、そこにわざわざ行快の銘がそえられるということはより積極的に行快の作風をみてとってよいのではないか。そこで行快作像と共通して見出せる点が、袖の描写だったのである。また、これは自分でも後付けのような気もするが、今になって図録をみると藤田美術館像も体側部を深く彫っているように思われる。いずれにせよ、この3躯には衣の中の脚部の存在を意識させる描写が濃厚である。

 図録には、北十万像を引き合いに出して阿弥陀寺像が先行するとの解説が載っている。北十万像は実見したことがなく読んできた文献の中でも中心的に論じられておらず、頭にイメージが浮かぶほどでもなくノーマークだった。したがって私はこの解説について反論したいとかはなく、そうなのかぁということしかできない。

 ところで今、北十万像を論文の図版で確認すると示唆的なものを感じる。というのも、他像にくらべ大衣は肩に大きくかかっており、脚部の双曲線状の衣文は縦の方向性が強くなっていて、これはむしろ運慶様の特徴である。行快は運慶風に、湛慶は快慶風に接近していったとか、運慶快慶の作風が平均化したなどの指摘があるが、それを証する作例のようにも思われる。

 また、渦文について言及したが、これは快慶の晩年から行快へと受け継がれた意匠のようで、作風展開をたどる上で重要なポイントである。平安初期の木彫像にもこの点は共通し、なら仏像館を回っていると数躯の平安仏からその意匠が見出せた。慶派の像には平安仏からの学習が指摘されているが、これもそれに数えられるだろう。

 

 以上、長々と書いてしまった。自分でもこんなに長くなるとは思っていなかった。書いているうちに色々な考えが湧き上がってきたのだ。像のディスクリプションはメモに基づいているものの、考察の部分はパソコンを前にして考えたといっていい。展示室を出て旅行を終えてから書いたものなので、本物をみた後の感想とはいいがたいかもしれない。

 この旅行での鑑賞のために論文をいくつか読んできたのだが、かなりためになった実感がある。行快はいまだ研究途上にあり、先行研究を把握した上でみるのは格別だった。問題意識をもってみることの面白さに気づけたように思う。