展覧会に行くと毎回その感想をツイートしている。しかし、大報恩寺展では十大弟子像、六観音像という(正確な言い方ではないが)群像彫刻が出品されており一体ずつ比較してみていくのだが、それを1つ140字で連続ツイートするのは書きづらく読みづらい。ということでブログの記事で感想をつづっておく。ブログ記事といっても元々ツイートすべきところを移してきただけなのでメモ程度のものであるが、ご了承願いたい。

 

京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ@平成館 10/20土

 

 

 運慶展と同じようにとにかく仏像をみせようという展覧会。三部構成で、冒頭は大報恩寺、経王堂の歴史について絵画などを並べる。続いて快慶、行快の仏像、最後に定慶の仏像である。

 

冒頭の最後には誕生釈迦仏立像(5)。キャプションによれば行快の作とある。顔や衣文をみても分からなかったが、耳の上脚が真上を向いているのをみて行快と納得。

 

 快慶は建保6年(1218)に清凉寺の釈迦如来像を修理しているが、こういうゆかりによって千本釈迦堂こと大報恩寺の造像につながったのだろうか。

 

 行快の釈迦如来坐像(1)は、十大弟子像と同じく思っていたよりも小さかった。切れ長で湾曲のある目は意思的で、張りのある頬もあって全体としてアクの強い印象の顔であった。肉身は張りがあり、特に大きく出した右腕は瑞々しく、浄土寺の裸形阿弥陀像を思わせた。精悍な姿であり特に横顔はイケメンである。衣文は特に襟元が複雑で、師快慶の影響か。足(特に右)が埋もれ気味だったのはやや気になった。左足の上に半円状に衣がかけられているが、こういう形は仏師の形が出るので頭に留めておきたい。耳は上脚が上がる行快の耳だった。意外と対耳輪がせり出していた。

 

 天王および羅刹立像(4)は、誇張された筋肉表現が高野山の快慶作執金剛神、深沙大将像を思わせる。

 

 十大弟子立像(2)はどの像も彩色がよく残っており観応えがあった。一体ずつみれば作風の差異はあれど群像としてまとまりがある。以下、観た順に一躯ずつ所感を述べていく。大方、耳の形、衣文や肉体表現をみて快慶派か運慶派かの作風検討をしたので箇条書きで味気ないがご了承願いたい。判断基準は、快慶派は肉体表現が平面的で穏やか、衣文が丁寧に連なる、一方運慶派は肉体表現が立体的、衣文はあまり表さず中の肉体を感じさせる、が主なところである。流派関係なく一つの作品としてよかったものには◎をつける。

 

 ◎羅睺羅立像(2–9)。快慶派の作である。決して深くない整った衣文、整った顔立ち、平たい肉どりで胴は薄い。右耳は上脚が上を向き行快と思われるが、左耳はそこまで上を向かないので快慶か。

 

 大迦葉立像(2–3)。頭、顔の肉どりに起伏があり衣文は少ないところからして、快慶派ではない。耳の形が違う。

 

 ◎迦旃延立像(2–6)。いかにも運慶派らしい像。顔に起伏があるのは快慶派らしくないが、生々しさがありとてもよい。肉体描写が優れており横から観ると胴が分厚い。耳の形は快慶派らしからず、衣文もまばらで違う。

 

 ◎阿那律立像(2–7)。一目みて快慶派と確信。ふくよかな顔は東大寺の快慶作地蔵菩薩像と挿げ替えても違和感がないのではと思うくらい清らかである。漣のように連なるV字の衣文がいかにも快慶風であり、胴が薄く、平面的な意識を感じさせる肉どりも同様である。

 

 舎利弗立像(2–1)。下手、稚拙な印象を受けた。顔の皺は無理矢理感があり不自然である。衣文に意が払われておらず足の部分はそれが顕著であるが、肉体表現には意が払われている。頭が大きいのは知恵第一ゆえか。耳の形が違う。

 

優波離立像(2–8)。快慶派の作である。衣文は、下半身正面から右足にかけて漣のように整理されているが、左腕に複雑さを加えるところをみると行快か。胴は薄く平面重視だが肉どりは瑞々しい。耳は上脚が上を向き行快である。

 

目犍連立像(2–2)。足枘の銘に「巧匠法眼快慶」とあり快慶の作である。顔はやや誇張気味で皺は細やかに表される。眉はせり出して彫られているが、これは分厚い眉毛か。口元の下がり具合は重源像に似ているようにも思う。喉の描写が丁寧で、深く皮膚が落ち骨ばる。腕も骨ばり血管まで浮き出る。その他あばら骨が浮き出て屈んだ姿勢をみるに、瑞々しさよりも老いが勝っている。衣文線は細く大人しいが、左腕の皺で変化をつけている。晩年の作ゆえに作家としての勢いはみられない。耳は快慶のそれだった。台座の「正三位行兵部卿 藤原朝臣忠行」の銘文も確認した。

 

富楼那立像(2–5)。快慶派の作である。袖のV字の衣文が賑やか。他の像に比べ肌が平らである。他の像よりも顎が張っているのは何故だろうか。工房が用意している顔つきのレパートリーの一部と考えるのが穏当だろうが。耳は上脚が上を向く行快のそれ。

 

須菩提立像(2—4)。快慶派の作ではない。一つ一つの衣文線は深いが全体として衣文に意を払っていない。顔はゴツゴツし、胴が厚い。耳は快慶工房の耳ではない。

 

阿難陀立像(2—10)。快慶派の作である。面長で平たい肌。袖から連なる漣のようなV字の衣文が印象的であった。行快らしい衣文の複雑さがないので快慶か。胴は薄い。耳は上脚が上を向くが、完全に上を向いていないので快慶と行快の判断がしがたい。

 

阿難陀像像内納入文書(3)。実尊願文(3—1)は仮名消息を紙背にしている。阿弥陀経巻数摺札(3—3)は経を千遍か万遍か唱えるごとに、その回数を記録するために摺り物を貼っていったのだろうか。納入品は昔人の信仰のかたちが垣間見えるのが面白い。

 

十大弟子像は以上である。一つ一つ流派についての所感を述べたが、作風検討の基準は何も初めから分かっていたわけではない。Twitterでフォロワーさんが工房内における作風の違いがあるのが分かったという旨のツイートをしていた。自分にも分かるかなと不安がりながらも「快慶の柔和な作風もあるしそれ以外もあるだろう」くらいの漠然とした認識で会場に入ったが、一つ一つみていくうちに快慶派らしさ、運慶派らしさが浮き出てきたのが実際である。こういう風にみていくのも美術鑑賞の面白さである。

 

 釈迦、十大弟子像と六観音の間のパーテーションには仏後壁画の解説パネルがあった。当初は釈迦、弥勒、文殊、十大弟子像が安置されていたようだが、思うにこれらの尊像構成はこの仏後壁画も考え合わせなければならない。

 

 最後は定慶の六観音だ。これまで定慶はしっかりみたことがなかったので、とにかく顔、衣文などを目に焼き付けるようにみた。あまり突っ込んだ感想を残せてはいない。全体的に作風は統一されているが、顔の描写、衣文の表現で定慶に近い作風とそうでない作風を見分けることはできる。ただ、定慶の作風が何たるかまでは掴むにはいたっていない。十大弟子像に時間をかけすぎて(単純計算で1体5分でも全てみるのに50分かかる笑)こちらは消化不良だった。再訪では尻尾だけでも掴みたい。以下、みた順に述べていく。

 

如意輪観音像(6—6)。像の前に立った時いい匂いがした。代用とはいえカヤを使用した檀像である。当初はもっといい匂いがしたのだろう。

 

准胝観音像(6—5)。最も定慶らしい作風。装飾的な作風で髪際がうねるのが特色。彫りが鋭く、衣文やまぶたが鎬立つのが定慶らしさか。正面の結び目が珍しい。胴長な印象を受けた。

 

十一面観音像(6—4)。面長で頭が大きくみえる。全体的に大人しい印象。

 

馬頭観音像(6—3)。大人しい印象。

 

千手観音像(6—2)。定慶から最も遠い作風に思えた。伏し目がちの目が違う。第一手の肘にかかる天衣が装飾的である。

 

聖観音像(6—1)。全体的に大人しいが衣文が賑やかである。

 

全体について。両足首の外側の衣文に表されるつまみ上げられたような描写だが、准胝、馬頭、千手、聖にみられる(十一面にもみられるかも)。天衣を肘にかける描写は、准胝、千手、聖にみられる(馬頭も心なしかみられる)。定慶の顔だが、目や口が中央寄りで眉が山なりになるのが特徴である。

 

以上である。再訪の時は、十大弟子像も六観音像もみた順番とは逆、あるいはランダムにみるようにしたい。印象がかわるかもしれない。また、衣文に注目しようとだいぶ近寄ってみてばかりいたので、次は距離をとって構図、構成などに注意して彫刻作品としてみるようにしたい。