ました。これの主催団体に属するフリースクールの教育理念は、サ
ドベリースクールと非常に近いものですが、それぞれのスクールに
子どもたちが通うようになった理由はおもに不登校でした。
そこを卒業した方たちがパネリストのシンポジウムもありましたが
、どの方も堂々とかつ理路整然と、かつての自分の気持ちや今の考
えを語るのを見て、決してフリースクールは、道を外れた経歴では
ないな、むしろ子どもを型にはめようとする公教育より良いのではないか
先日、東京サドベリースクールの座談会に出席しました。東京サドベリースクールが学童保育も始めるという話を聞いたからです。
凛童舎は、もっと広く次世代を担う子どもたちにサドベリー的子育ち環境を提供して、自立した頼れる次世代を育成しないと日本の将来が危ういと感じていて、それで、公教育に通う子どもたちには、学童保育の場でそれができないかと思って始めました。
東京サドベリーの企画は、サドベリー的学童保育をやろうとしていたのではなく、単に経営を安定させる収入と、サドベリースクールへの会員誘引を目的にしたコンテンツ提供型のどちらかと言えば体験塾のようなものでした。
でも、結論から言えば、
私がサドベリーとは対極にあると思っている「キッズベースキャンプ」が行っているのと似たようなもののようでした。あれだと、子どもたちが「今日は何するの?」と大人に時間の過ごし方を依存しかねませんよね?
でも、行ってよかったこともあります。多くの父兄がサドベリーの理念に惚れてこのスクールに入れたというよりは、不登校になった子どもに慌てふためいていろいろ探してここにたどり着いたのだという事実を知ったことです。
不登校に関して、それこそお子さんと熾烈なせめぎ合いを経験された父兄もおられました。その上で、ご父兄の方々が口々に言うのは、サドベリーと出会えたことを思えば、不登校も反ってよかったとさえ思えるということでした。
私も、ある「型に」押し込もうとするような今の公教育に対して、あるいは、そのせいか異質なものを攻撃しはじき出そうとする集団に対して、拒否反応を示すことは、子どもらしい自由奔放さを持った子にとって、むしろ正常なのかもしれない、そんなことを思いました。
だったら私がつくるのはフリースクールで事足りるのでは?との考えが浮かびました。
東京サドベリーの父兄は、皆さんやはり富裕層で、サドベリーが一種のブランドにすぎないように感じられたのもあります。
もともと私の考えで、求めているのはサドベリー「的」環境であって、サドベリーであるとのお墨付きは必須ではないと思っていたので。
私の思いは、昭和3,40年代の子どもコミュニティは十分デモクラティックだったし、(サドベリースクールは、子どもたちに大人と同じ1票を与えて合議制で運営を決めるのでデモクラティックスクールとも呼ばれています。)大人と丁度良い距離感で、離れていて子育ちにはすごく良かったと思っていて、それを再現することで、素人スタッフの集まりでサドベリー「的」環境を作りたいとの考えでした。
それだと、全国に複製がすぐできそうだからです。
それで、船橋近辺にフリースクールはないかと探してみてフリースクール・ネモをみつけました。このスクールの理念ってサドベリースクールとほぼ同じです。→http://nponemo.net/freespace/concept.html
今月見学を申し込んでみようと思っています。 それと、フリーススクールスタッフ研修というのも見つけ、直近だし休日なので出られると思い早速申し込みました。
http://www.freeschoolnetwork.jp/training/
今、学童保育が始まる3時ぐらいまでをコミュニティカフェにしていますが、同時にフリースクールにもして、不登校児と登校児、コミュニティカフェに来る地域の人たち、多世代のボランティアスタッフ(今、10代から70代まで来てくれています。)を出会える場にして多様性を容認するコミュニティを形成できないかな、なんて夢も湧き起ってきています。
いろいろ問題はありそうですが・・・
とりあえず見学と研修をしてみてからです。楽しみです。
凛童舎室内は、現在34℃、それでも湿度が40%と低いため、熱中症指数系は、「警戒」の丁度中間あたりを表示。この上には、「厳重警戒」と「危険」があって、下には「注意」だけ、つまり今は4段階の下から2番目です。
通常、うちでは、「厳重警戒」になったらエアコンを入れています。健康に害がない限り、子どもたちの汗腺の発達を促すためエアコンは入れないというコンセプトです。
できることなら、子どもたちに先進国人の義務として海外協力にでられるような、たとえば海外青年協力隊に参加できるようなタフさを身につけてほしいと思っているのです。
とはいえ、室温34℃は50代の体にはきついです。でも、子どもたちからも20代のボランティアさんたちからも「暑い」という苦情は全く出ません。頼もしい。だから頑張ります。
ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。
大学2年の時、住宅設計の課題でエスキースをみせながら、担当教官に
「ここがリビングで、ここが子ども部屋で・・・・」と説明した。
それに対して教官は、次々質問をくりだした。
「君、リビングってなに?子ども部屋ってなに?何するところ?」
「それって必要なの?どうして?」
「たいたい、この家族ってどんな人たち?どんな仕事をしているの?何が好き?」
私はそれに何一つ答えられなかった。
常識にがんじがらめにされている自分を思い知らされた瞬間だった。
思えば、あのときから、常識なんて、自分で「確かにそうだ」と思うまでは、信じるに足らないと思うようになった。
思えばあのときが、今の、常に「何か手があるはず」と思っている自分、そんな世界観を持つ自分に至る始まりだった。
子どもたちを常識のフレームの中に閉じ込めてしまわないために「建築家教育」がよいのではないかと「アーキキッズ」の構想を持ったのもそんなわけからだ。
また、別の教授は学生の我々にこうも言っていた。
「
社会に出れば、現実という制約が君たちを押しつぶそうと襲い掛かってくるだろう。だから、そんな現実の許す範囲をすみからすみまで使い倒せるように、今のうちに思いっきり膨らんでおきなさい。」と
早稲田大学理工学部建築学科は、そんな素敵なところでした。
佐賀の武士道の書「葉隠」に「武士道とは死ぬことと見つけたり」とあるようですが、これまでこれを「死を覚悟して生きること」と思っていました。
ですが、最近これは、生きながらにして私心を排することという意味ではないかと考えるようになりました。最上の強さとは赦しだとも。
下記の文章もとても共感できました。人生がどんどん浄化されていくような気がする今日この頃です。もちろん、まだまだまだ・・・ですが。