さて、現実をみれば、勉強や習い事で放課後を充実させたいというのが、ご父兄、特にお母様のご要望の主流です。
ニーズはそちらにある。それはわかっているのですが・・・ それでは日本の将来が危ういと、どうしても思ってしまうのです。
学童保育施設を経営する観点でも、子どもたちを勉強や習い事に係きりにさせておく方が管理も楽で、けがや喧嘩などの問題も起きない。それでお母様方も喜んでくれるのだから、もし経営が成り立つというだけが目的ならそちらを選ぶのが賢い選択です。でも凛童舎はそのために作ったのではないのです。娘の生きる時代が希望のない世界にならないようにしたいというのが目的でした。大風呂敷ではずかしいのですが・・・
民間学童保育の中には、学習プリント1枚やるとシールが1枚もらえて、そのシールの枚数によっておやつが選べるとか、外に連れて行くとけがをするので習い事以外は外に出さないとか。子どもたちの生きる意欲の根源である自由奔放さを殺していると思える施設もあります。子どもたちは欲求不満がたまるだろうなと感じます。
これまでの日本は、優秀な工場労働者を生み出せる教育で良かったと思うんです。こうしなさいということが上手にやれるようになる教育。あらかじめ大人や会社上層部が設定した答えに、間違いなく、たどリつける教育が。
でも、今の子どもたちが大人になるころには、そういう仕事は新興国に行くか、コンピュータがやるようになっているでしょう。その時代に求められるのは、今までにない答えを「生み出せる」人間です。もう、「これを明日までに処理しといて」なんて仕事しかできない人間は求められません。「この問題を解決する画期的な方法を3つ提示してくれ」なんて仕事をやってのけられる人間だけが勝ち組となるでしょう。
そういう人間は、いまだに公教育が目指している学力偏重型の教育、「あらかじめ設定された答え」のあるテストのための反復練習では生まれないと思います。
日本の公教育にもオランダやデンマークのような教育改革、つまりは多様性を容認する教育への改革が必要なのですが、今の政権はむしろ国家統制を強めようとしている。あまり期待が持てません。
そんな中、富裕層や感度の高い人々は、日本の公教育ではだめだと気付き始めている。たとえば、「ユダヤ人の大富豪の教え」というベストセラーを著した本田健氏は、NHK特集でサドベリーバレースクールの教育を知り、即座にその本校のあるボストンに移住したそうです。娘をその学校に入れるために。
そういう富裕層や感度の高い方々のニーズにこたえて、その後日本にも、各地にサドベリースクールができました。首都圏では、東京サドベリー、湘南サドベリー、八ヶ岳サドベリーなどです。埼玉でも設立の動きがあります。どこも公共の助成がないので学費はそれなりに高いですが。
このままでは、本当の意味での教育格差(「学力重視」対「発想力重視」)が広がって、使うものと使われるものが固定化して行き、希望のない未来が訪れそうで心配です。
確かに、今のところ、有名大学を出た方が、就職率が高いという状況があるようです。しかしそれは、思うに以下のような物理的障害があるからではないかと思います。
今、就職面接の応募は、ぽちっとクリックするだけでできてしまうので、人気企業には何万という応募が集中します。その全員のエントリーシートに目を通すことは、物理的に不可能です。それで仕方なく有名大学出身者のエントリーシートだけに絞って目を通し面接に進む学生を選んでいるのではないかと想像できます。
しかし、企業は、必ずしも有名大学出の学生が「使える」人材であるわけではないと気付いていて、別の視点で選びたいと渇望しています。そしてそのニーズを解決するソフトはすぐに出現するでしょう。
アメリカでは、大学の課題論文を、ネットから取ってきたもののコピペで済ます学生が急増し、それを検出するソフトが開発されました。完全一致だけではなく論旨が一致していてもアラームが出るそうです。だから、エントリーシートの記述に特徴があるものを検出するソフトもすぐにできるでしょう。そうなれば有名大学というフィルタではなく、独自性など、企業が興味のあるうフィルタで面接者を選ぶようになり、どの大学を出たということも意味がなくなるでしょう。
また、ハーバードなどの有名大学の授業を誰でもネットで無料で受けられるようになってきました。論文をおくれば単位もくれるそうで、いつだったかモンゴルの若者が成績優秀でハーバードに無料で招聘されたというニュースを見ました。有名大学もまた学力テストの成績が良いだけの人間ではなく、世界中から真の意味で優秀、つまり将来性のある学生を集めて、わが大学の価値を高めたいと思っています。
日本でいうところの「学力」など、どんどん意味を失っていくのではないかと思います。知識、情報はネットで調べればすぐわかる時代です。そんな時代に価値があるのは、その情報を独自に組み合わせて、ネットに出ていない新しい価値を作れる人材です。アイディア力が分かれ目になります。自分で考え、試してまた考えるような環境に子どもたちを置くことが、価値ある「教育」になる時代だと思います。
語学力も20年後には必要でない可能性さえあります。優秀な自動翻訳機が出現する可能性は高いでしょう。それは「翻訳」するのではなく、過去の「人が翻訳」した膨大な事例を瞬時に検索し、同じような文脈でどう訳されたかを参照するので、不自然な感じの翻訳にはならないそうです。
今でもそう言っているかわかりませんが、Googleは、世界中のすべての文書を電子化すると豪語していましたから、そうなれば上記のやり方の翻訳は可能でしょう。
1年程前に将棋の米永國男元名人が、パソコンソフトに負けたというニュースがありましたが、そのソフトは、自ら将棋の先を読むのではなく、これまで蓄積されてきた膨大な棋譜データの中から似た局面を探し出し、その場面でどう指したら有効だったかを判断基準に指し進むソフトだったようです。
過去データによる自動翻訳が手軽になる。そうすると、英語が話せるということは、それほどの価値を持たなくなるかもしれません。それよりも、「どんな内容のことを語れるか」こそが意味を持ってきます。「相手が納得する論理を、相手が気持ちよく賛同するようなウィットの効いたたとえ話を使って」日本語で話せることの方が、内容のないことを英語で話せるよりずっと価値がある時代になるのではと思います。
さて、もうひとつ、将来子どもたちの希望を奪うのではと心配しているのが財政赤字です。公設の学童保育はおやつ代を入れても月10000円ですが、船橋市の平成25年度放課後ルームの児童一人当たりの公費負担額は国:2.5万円、市:13万円だそうです。これに場所代は含まれていないでしょう。建物のメンテナンス、将来の建て替え費用を考え合わせればもっと多いことになります。
私の感覚は、これはタダではなく、子ども達の財布から補てんされているというイメージです。自分たちの負担を軽くするために愛娘の財布から金を抜き取っている罪悪感があります。
この視点、この罪悪感がなかったから日本の財政赤字はここまで膨らんでしまったんだと思います。これを放置したら、娘たちの時代、誰もがやる気をなくすぐらいの高負担にあえぐことになりかねません。
でも必要なものは必要なので解決策としてなるべく公共に負担をかけない方法を構築して、各地の厚志家に真似したもらえれば、必要を満たしつつ財政負担を減らす事が可能かもしれないと思ったのです。
それで、凛童舎では、ボランティアで運営する仕組みを試しています。これは人件費を押さえるというだけでなく、子どもたちにいろんな大人に出会ってもらい、いろんな答えがあるんだと「多様性を容認する力」を付けてもらう効果も期待しています。
さらに、週に1回なので、ボランティアの皆さんも毎回、新鮮な気持ちで、子どもたちと触れ合うことを「楽しみ」に来てくれます。つまりボランティアする方も金銭外の報酬をうけとる気分です。毎日来る従業員が日々のルーチンワークにマンネリを覚え意欲を減退させていくのとは好対照です。
今凛童舎のボランティアは、10代から70代まで、10代ごとにすべての世代がそろっています。今後、留学生などの外国人も入れて行こうと思っています。
多様性にふれ、多様性を取り込み、多様に発想する力をつけられるように。
船橋市の小学校が月に1回、短縮授業になる千教研の日には、プロのインタープリター(自然翻訳者)をお呼びして、「森の探偵団」と称して森のある公園にいって、ネイチャーゲームをやっています。今の子どもたちが自然と触れ合う体験が少ないと思ってです。
凛童舎には、Eラーニング式の学習塾も併設しています。教わるのではなく「自ら学ぶ」をテーマに、スタッフは先生ではなくコーチとして、目標とやる気を保つことに注力します。
ここでは、けして学校より先に進むということはしません。
「知識との最初の出会い」は、先生に任せます。学校より先に進むことを売りにする塾が多いですが、それでは、子どもたちが学校で「すでに知っていること」をだらだら聞かされることになり、学校で過ごす時間をつまらないものにしてしまいます。学校は子どもたちが一番長く過ごす場なので、学校がつまらないと人生がつまらなく見えてくるのではと思うのです。また、知っていることをだらだら話す先生を子どもたちは、どうしても尊敬しなくなります。先生の方も「感動する授業をやろう」という意欲が失せてしまうでしょう。
今の教育現場の覇気のなさは、そういう力学も働いているのだと思います。