3月のメイン旅、彼岸前後に奈良(吉野山・斑鳩・明日香村)に行ってきましたー
早いとは分かっていたが・・・桜1本でも咲いてないかな、と期待して
いつもながら時系列無視で書いていきます。
銅(かね)の鳥居(重要文化財)
高さ7.6m。創立年代は不明、聖武天皇が奈良の大仏の余銅で造られたという伝説あり
安芸の宮島四天王寺の鳥居と並び日本三鳥居のひとつ 銅製鳥居としては現存最古と言われる。
扁額「発心門」と書かれています
吉水神社
南朝皇居
御祭神
後 醍 醐 天 皇・楠 木 正 成 公・吉水宗信法印公
文禄三年(1594年)に豊臣秀吉が南朝を偲んで𠮷水院(𠮷水神社)を本陣として盛大なる花見の宴を催しました。徳川家康・加藤清正・前田利家・伊達政宗など時の武将たちを含め総勢五千人の家来を引き連れて吉野山を訪れ、𠮷水院(𠮷水神社)に約五日間滞在されました。その時に、歌の会、茶の会、能の会などを開いて豪遊されました。一世の英雄がその権勢を天下に示し念願の大花見を催した場所
𠮷水神社(よしみずじんじゃ)は元を「吉水院(よしみずいん)」といい、1300年以上前である天武天皇の時代(白鳳年間)に役行者(えんのぎょうじゃ)が創建した格式高い修験宗の僧坊でした。神社となったのは、明治時代に行われた神仏分離によって、吉水院が後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、明治八年に「𠮷水神社」(吉の字は口の上に土かんむり)と改められました(HPより)
𠮷水神社境内の名勝一目千本(ひとめせんぼん)
やっぱりまったく咲いてませんね
側に掲示されていた桜満開のパネル写真
こんな景色が見たかったなぁ~
鳥居
社号標
狛犬
左:社務所兼書院 右:社殿
神様が17柱
こちらの作法・・2礼17拍手1拝
内陣にいた狛犬さん
庭園
書院内
文治元年(1185年)追っ手から逃れた源義経と静御前が弁慶等と共にこの吉水院に隠れ住まわれました。義経と静御前が最期の時を過ごされた「潜居の間」が残っています
潜居の間
弁慶思案の間
後醍醐天皇玉座
太閤秀吉公花見本陣跡
境内社
蛭子神社
金生大明神
弁慶の力釘
この石には弁慶が親指で釘を打ち込んだと伝わる鉄釘が刺さっており、源義経が吉水院の僧坊に匿われている時に頼朝の追手がここまで迫った際に、弁慶が怪力で釘を石へ押し込んだことにより、追手が恐れ逃げ去ったという伝説が残っている
邪気祓い所:北闕門
ここから金峯山寺:蔵王堂が見えます
吉野の山、他の場所でもこんな感じで、今回は残念な枝見旅となってしまいました
次は金峯山寺へ行くとします