八幡奈多宮(大分県杵築市) | きさらぎのてげてげブログ

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神社八幡奈多宮 大分県杵築市大字奈多229

御祭神神功皇后、比売大神、応神天皇
 
波沖合約300mに見える「厳島」又は「市杵島」と呼ばれる離れ岩。
「市杵姫命」が漂着したと伝えられる、奈多八幡宮の元宮

神社沖合の鳥居はこんな経緯で無事再建されたとのこと。
2020年9月6日の台風10号で鳥居が流されてしまう
氏子や住民、企業の寄付、クラウドファンディング(CF)で寄せられた資金により再建。
2020.12月奈多海岸の象徴が復活

 

 

 

虫めがね天平元年(729)宇佐公基の創立と伝えられ、慶長元年(1596)の大津波で社殿、古記録を喪失したが、細川忠興により社殿を再建、寛永4年(1627)に竣工したもので、今の楼門、鳥居、石造手水鉢などは当時のもの。神社には、藤原後期の作とみられる木造僧形八幡神坐像1体と木造女神坐像2体(いずれも国重文)が安置されている。3体ともカヤの一木造で簡素な像であるが八幡神像は珍しく注目されている。このほか、八幡宇佐宮御託宣集、八幡縁起写本、八幡奈多宮縁起箱、木造神像、大太刀、陣道面(いずれも県有文)などが保存されている

 

第一鳥居 海側に向いています
二ノ鳥居
鳥居扁額
 
狛犬  昭和二年建立
 
三の鳥居
 
手水鉢
 
楼門【市指定重要文化財】寛永十九年 木付城代長岡興長寄進
 

ご神木
社殿
 

 

 

 

田道間守(たぢまもり)神

虫めがね柑橘始祖、ミカン・菓子の神様とされる田道間守は、垂仁天皇御代じ、を求めて常世国に渡り、10年以上かけてミカンを持ち帰朝しました。しかし天皇は、既に崩御されており、公は御陵前で哭死されたと伝えられています。像は昭和25年(1950)の造営です。

手にはオレンジミカンの枝
 
 

 

 

素敵な動画を見つけたので貼り付け

 

 

 

 

 妙見宮

境内社
宝篋印塔
宝物殿
 
 
 
 
リボンプチ情報
キリシタン大名として知られる戦国武将大友宗麟の正室は、八幡奈多宮の大宮司・奈多艦基の娘で奈多夫人と呼ばれる。キリスト教に敵対する奈多夫人を宣教師らは「イザベル」と呼んだ。奈多夫人と宗麟は信仰を巡って度々争うようになり、その後絶縁となったという歴史があります。