訃報:アントン・アルファー(作家・詩人・劇作家) | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

すでに10日前のことですが、5月21日に詩人で作家、劇作家でもあったアントン・アルファー氏が亡くなりました。享年87歳(1935~2023年)

謹んでお悔やみ申し上げます。

 

 

以下、個人的な関心事をメモ代わりにアップ。

後日もう少し付け加えてたいと思っています。

 

1968年、戯曲「 Los siete contra Tebas (テーバイの七将)」がUNEACの戯曲部門で受賞を果たすも、検閲に遭い、イデオロギー的偏向を理由に(70年代にはそこに〈同性愛者〉という〈理由〉も加わり)、以後14年に渡る不遇の時代を過ごした。

革命後のキューバ文化の「灰色の5年」もしくは「暗黒の10年」とも呼ばれる時代の犠牲者のひとり。

 

後年、アルファ―はフランスのラジオ放送で〈14年間も全く出版できずに某図書館の地下室で働いていた〉ことを明かし、「なぜ我々があのような状況に置かれたのか?誰もその理由を語らず、知る術もない。私はただ馬のように耐え、フランスの作家が経験したことのない経験をした」と語った。

 

80年代後半になると、徐々に公に活動できるようになり、2000年には「キューバ文学賞」受賞。

2007年10月には、初めて「Los siete contra Tebas」がハバナの劇場で上演された。

その時のプログラムに書かれたアルファー本人の言葉(部分的な即興翻訳です)。

 

「Los siete contra Tebas」は、キューバの文化や演劇で禁じられ、疎んじられましたが、あれから40年後、遂に観客を前にして舞台に上がります。

幸いにも、作者は存命で、この場に居り、劇場に席があり、談笑したり、歩き回って握手を交わしたりできます。

その一方で、すでに亡くなった人達がいます。その中には、大事な友人たちが大勢いたし、小さな敵対者もいました。今は他国で暮らす者もいます。その人たちは、生と健康に恵まれた私のようにこの舞台を見ることが叶いません。どうか、私を愛してくれる人たちも、本作の上演を望まなかった人たちも、しかと心に留めてください。最高の瞬間が来たことを。私のため、ここにいる全ての方々のために。

 

 

 検閲から40年後、初上演の舞台で客席の歓声に応えるアルファー

 

★アントン・アルファーが登場するドキュメンタリー

・Seres extravagantes (2004), de Manuel Zayas (Documental, Entrevista)

・Zona de silencio (2007), de Karel Ducases (Documental, Entrevista)

・Tebas (2008), de Maysel Bello, Luis Alejandro P. Méndez (Documental, Entrevista)

・Lezama. Inalcanzable vuelve (1997), de Manuel Rodríguez Ramos (Documental, Entrevista)

・Lezama Lima: Soltar la lengua (2018), de Ernesto Fundora (Documental, Entrevista)

・Letters to Eloisa (2020), de Adriana Bosch (Documental, Entrevista)

・Virgilio desde el gabinete azul (2021), de Raydel Araoz (Documental, Entrevista)

 

Marysolより

悪名高い「パディージャ事件」と共に、アントン・アルファーの戯曲「Los siente contra Tebas」が検閲に遭ったことは知っていたので、なんとなく気になる存在でした。

そんな彼と思わぬ出会いをしたのが、5年前の「日本・キューバ現代美術展」の会場で上映されていたビデオ。

アートとコミュニケーション | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

上の投稿のなかで〈ゲイの老作家らしき人〉というのが、アルファーのことでした。

 

改めて、お悔やみ申し上げます。

安らかに。

 

追記・補足(6月)

革命が成就する前、彼は約3年間N.Y.に住んでいた。

1959年、ギジェルモ・カブレラ・インファンテに誘われてキューバに戻る。

同世代で同様の文化的形成を経た者に、パブロ・アルマンド、ウンベルト・アレナル、エドムンド・デスノエス、オスカル・ウルタードがいる。彼らの多くが米国に住んだ経験をもち、米国文学やイギリス文学の影響を受けていた。

 

革命後、最初に正統派やスターリン主義者のやり玉に挙がったのが、彼ら「ルネス」の仲間で、検閲されたり、排除されたりした。

アルファはファウスト・マソと共に「カサ・デ・ラス・アメリカス誌」を創刊したが、出ていく羽目になった。

 

カルロス・フランキおよびG.C.インファンテが、アルフレド・ゲバラと対立したせいで、ICAICとも不和になった。

 

★驚いたことに、アルファは映画”Cuba ’58”“Un día de trabajo”(1962年)の脚本を手掛けていた。にも拘わらず、ICAIC長官のヒステリックな振る舞いのせいで、彼の名前はクレジットされなかった。

 その後も何本かの映画の脚本や台本に関わったが、劇作家としての名声があったにも関わらず、彼の名前がクレジットされることは一度もなかった。

 バレー「ロミオとジュリエット」の脚本も書いたが、舞台でも映画化されたときも彼の名前は出なかった。

 

時期は定かでないが、軍の雑誌に〈奇妙な詩の書き手〉と非難され、UNEAC(作家芸術家連盟)からは“やっかい”で“イデオロギー的に”反革命な作品の著者と定義され、マリアナオの図書館の地下室に追いやられた。(当時の彼を知る人は、アルファーが早朝から掃除をしている姿を見たと証言)。