前回(60年代)に続き、70年代前半のキューバを紹介するビデオ。
冒頭の音楽が暗示するように、製作したのは現体制に批判的なメディア「Diario de Cuba」
訳出したテロップ全部についての事実確認はしていませんが、個人的参考資料を兼ねてアップします。
尚、70年代は「灰色の時代」と呼ばれますが、その原因は〈革命のソ連化〉にあると思います。(60年代前半は〈反ソ連〉もしくは〈ソ連と一線を画していた」のに〉
※参考記事:「キューバとロシアの(文化的にニテヒナル)関係」
また、70年代は、レイナルド・アレナスの「夜になる前に」の〈同性愛者迫害〉の歴史的背景に当たります。
ビデオは 1970~79年まで
1970年:砂糖黍一千万トン収穫の年
国民総動員による砂糖収穫作業
フィデル、砂糖黍収穫は目標の一千万トンに達しないだろうと予告
年末の祝賀行事の中止と更なる労働奉仕(犠牲)の要請
1971年:生産性の年
「怠惰に抗する法」発布
作家エベルト・パディーリャと妻のベルキス・クサ・マレ逮捕
チリ大使ホルヘ・エドワーズ、ペルソナ・ノン・グラータと宣告される
仏紙「ル・モンド」、キューバの知識人に対する抑圧に反対する知識人34名の署名入り抗議文を公表
第一回教育文化会議 知性偏重や同性愛を非難し「芸術は革命の武器である」と宣言
身分証の義務化が始まる
大学は革命家のためだけに存在すると宣言
フィデル・カストロ、チリを訪問。アジェンデに更なる革命路線を要望する
1972年:社会主義競争の年
アフリカ起源の習合宗教を公に禁止し、民族的起源を探求する黒人系知識人を迫害
経済相互援助会議(CAME=コメコン)加盟
文化審議会、〈パラメトラシオン〉として知られるプロセスを開始
約300人の俳優や演劇監督が、モラルおよびイデオロギー的評価に値しないとして、職場を追放される。
1973年:モンカダ蜂起20周年の年
1965年に開始し約25万人の亡命キューバ人を移送した「Vuelos de la Libertad(自由の飛行)」終了
テレビ・ラジオで“退廃的”音楽の放送を禁止
刑事責任年齢を16歳に引き下げる。国家経済に対する犯罪への量刑を加重し、同性愛に刑事罰を適用
職業人に対し社会奉仕活動を義務化する
キューバ軍をソビエト・モデルに再構成する
1974年:革命勝利15周年の年
マタンサスで人民権力機構を実験的に試行
1975年:第一回党大会の年
19世紀スペイン民法に代わり、新家族法典を公布
共産主義憲法公布に向け検討作業開始
フォード米大統領、キューバに対する経済封鎖の部分的解除を通告
ボニアト刑務所の政治犯に対する集団的抑圧(機関銃による発砲の犠牲者も)
アンゴラのアゴスティニョ・ネト大統領、キューバに対し軍事援助を要請。
キューバは12年間に渡り30万人の兵士を送る
第一回共産党大会開催
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