キューバ:革命と同性愛嫌悪 Ⅰ(1961~70年) | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

夏休みにハバナから一時帰国した友人がお土産にくれた2枚のDVD(もちろん海賊版)のおかげで『サンタとアンドレス』『ラストデイズ・イン・ハバナ』の紹介をしたのを機に、〈革命政権下で起きた同性愛者迫害の動向〉について投稿することにします。
実は、前々から「いつか掲載せねば…」と思っていたのですが、気が重くて延び延びになっていました。が、これらの歴史(&実話)を知らずしてキューバ映画を理解し、深くk味わうことはできません。
 

以下の記事(歴史)は、キューバ出身(スペイン在住)のドキュメンタリー監督マヌエル・サヤス氏のブログ記事に基づいています。1971年以降は未訳にて後日紹介します。

【1961年~70年】  同性愛者迫害の始まり: 学校からの追放、強制労働キャンプ(UMAP)

 

1961年 内務省が同性愛者を検挙するよう指令を出す。
*10月11日《la noche de las tres P = 3Pの夜》・・・有名な検挙例
  警察による売春婦、女衒、同性愛者(併せて3P)の一斉検挙が行われる。

  このとき作家のビルヒリオ・ピニェイラも捕まり、プリンシペ刑務所に一晩拘留された。

 

1963年3月13日、フィデル、ハバナ大学の大階段で演説
「怠惰なペピーリョたち、ブルジョアのお坊ちゃん連中は、極めてタイトなズボンを穿いて辺りをぶらついている。エルビス・プレスリー気取りでギターを抱えている者や、公衆の面前で女っぽいショーを披露しようとする。(中略) 社会主義の社会は、この種の堕落を許容することはできない。理論や研究とは関係なく、環境や軟弱さこそがこの問題にはあると私は確信する。ルンペン(仕事も勉強もしない者)、怠け者、プレスリー気取り、同性愛者。これらはすべて同類である」。

参考記事:https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12028508277.html
       ペピーリョとは何か。フィデルの演説(1:55~/前半の演説映像は1968年9月28日のもの)

 

1965年
1月、文化組織「アメリカの家」の招待で、米のビートニック詩人アレン・ギンズバーグがキューバを訪問。イデオロギーに反抗する者として、マリファナの合法化を支持したほか、同性愛者であることを公言し、“魅力的なチェ・ゲバラ”と知り合いたいと特別な関心を示したため、当局の顰蹙(ひんしゅく)を買い、キューバから追放、プラハ行きの飛行機に乗せられた。

ギンズバーグと交友関係にあったキューバの詩人、ホセ・マリオは逮捕され、彼の個人出版誌「エル・プエンテ」は廃刊になった。
 

米ジャーナリスト、リー・ロックウッドによる会見で、フィデルは次のように発言した。

「我々は、同性愛者が真の革命家、真の共産主義者と認め得る条件を体現できると思ったことは決してない。彼らの生来の逸脱は、我々が考える共産党活動家の概念と相いれない。率直に言おう。同性愛者は青少年に影響を与え得る役職に付くべきではない」。

 

4月19日の演説でフィデルは、兵役に就くものと(後に)「労働部隊」と呼ばれる者たちとを区別した。

「我々の砲兵隊や戦車隊にまさかルンペンを入隊させるなどと諸君は思っただろうか? 徴兵制による、我々の最良の軍隊にペピーリョやルンペンを配置するなどと思ったか? だとしたら間違いだ!」

 

5月31日、青年共産党同盟の機関誌「メリャ」は、同性愛者の大学入学を阻止するため高等教育から追放するようキャンペーン活動を行った

「我々の社会において反革命派や同性愛者のとるべき選択肢は、卑劣な社会分子となるか、労働隊の列に付くのどちらかである。反革命派と同性愛者は我々の学校(訓練所)から出ていけ!」

                                    

 

11月19日、UMAP(生産援助部隊)創設。

徴兵年齢の青年のうち、同性愛者、宗教の信者、反体制派と見なされた者(総数約25000人)が送り込まれた強制労働キャンプ。場所はカマグェイにあり、革命軍の監視下に置かれた。 

関連記事:https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12054051579.html

 

1966年12月、イギリスの作家、グレアム・グリーンが「デイリー・テレグラフ」誌で「キューバの光と影」と題する記事を発表し、UMAPは「軍が支配する強制労働施設である」と告発し、その存在を非難した。

 

1968年

キューバ作家芸術家連盟(UNEAC)や海外の著名人および国際機関からの働きかけによりUMAPは閉鎖された。

 

UMAPと並行して、準軍隊式農業労働キャンプが設立されていた。海外移住を望む者はこのキャンプに送られ、農作業に従事することが出国の条件だった。農作業を免れようとする者は刑務所に送られた。

1968年の「革命大攻勢」の際、これら強制労働収容所は「無国籍者収容所」と改名され、70年代半ばまで存続した。 徴兵年齢を過ぎた何千人もの男が、このカストロ式“グーラグ(強制労働収容所)”に送られた。15歳から26歳の男子は移民が許されなかった。

女性の場合は、7歳以下の子供がいなければ、養鶏場に送られた。

 

詩人のデルフィン・プラットは詩集「(仮)唖の言葉)」でUNEACの「ダビド賞」を受賞したが、同性愛者であるがゆえに出版されなかった。
フランスではレイナルド・アレナスの「めくるめく世界」が出版された。同書は「アメリカの家」(もしくはUNEAC?)の文学コンクールで選外佳作に選ばれたが、同性愛に触れる叙述の削除を著者が拒否したためキューバで出版されなかった。
 

9月28日、フィデルは革命広場で次のような演説をした。「ここ数か月、ハバナで奇妙な現象が見られた。若者グループやそれほど若くない者も含め、公衆の面前で破廉恥な行動を取り始めた。例えば、何やら突飛なふるまいをし始めた。ランパ周辺、ホテル・カプリの前などの街角でたむろして…」。

この言葉が温床になって、ヒッピー、長髪、売春婦、同性愛者らが頻繁に検挙される。
尚、このフィデルの演説は、本文の著者、マヌエル・サヤスが撮ったドキュメンタリー『Seres Extravagantes(仮:突飛な者たち)』(2004年)に映像と共に引用されているほか、アレナスを中心に、デルフィン・プラット等が登場している。因みに、アレナスは1980年の「マリエル事件」の際に亡命した。

 

 

1969年、アベル・プリエト=モラレスは雑誌「ボエミア」113号で「同性愛」と題する記事を寄稿。その中で「基本的に同性愛者は青少年の指導者となるべきではなく、幼い者との接触も出来る限り控えるべきである」と主張した。

 

1970年、キューバの同性愛者たちが、米国のゲイ解放運動に宛てて、キューバにおける同性愛迫害を告発する手紙を送る。

 

続きは後日ー