『苺とチョコレート』(1993年)公開当時のホルヘ・ペルゴリア(ディエゴ役)の発言を(とりあえず手元の資料だけで)まとめてみました。
§タイトルについて
「苺」には非常に洗練・繊細なイメージがある。一方、チョコレートはマッチョ(男らしさ)を暗示する。我々は当初タイトルを変えるつもりだったが、いざ検討してみるとこれに優る案がなく、結局そのままにした。
§テーマ
この映画は互いに全く異質な二人の間に生まれる友情を描いている。
テーマは寛容さ。同性愛者だけでなく、あらゆる違いに対する寛容さだ。
政治的メッセージもある。それは、社会が各人の個性を尊重すること。
本作は、政府ではなくて、キューバ社会がずっと抱いていた思いを分かち合っている。
監督からは「同性愛者が激しく弾圧された70年代(灰色の5年間)について事前によく知っておくよう要請があった。
キューバ映画はこれまで常に真正(本物)だったし、社会に対し批評的だった。
これはあらゆる国において必要なことだ。なぜなら十分に寛容な社会など存在しないからだ。どんな体制にも差別される人、理解されない人たちがいる。
『苺とチョコレート』は、我々キューバ人が必要とした抱擁を表している。
各々の違いを認めながらも理解し合わなければならない、ということを表していると思う。
新ラテンアメリカ映画祭の閉会式で私は「この賞を全てのキューバ人に、キューバに住んでいないキューバ人にも捧げます」と言った。
みんなで力を合わせて国を救おうという意味をこめた。
国の経済はインモビリズムのせいで崩壊してしまった。
(※ 90年代前半は「経済的非常時」最悪のとき)
Marysolより
『苺とチョコレート』が訴える「寛容さ」は、今こそ世界に向けて発信すべきメッセージ。
アレアの映画が古びないのは普遍性があるから。
でも、監督はこの言葉を聞いても喜ぶどころか、嘆くでしょう。
『低開発の記憶』(1968年)について「映画が一刻も早く古びて欲しい」と言っていたように。
あと、もう一つのテーマの「個性の尊重」ですが、「個人」こそ映画『低開発の記憶』の主人公セルヒオが(良くも悪くも)体現していたもの。
『低開発~』では「ヒロン侵攻事件」や「ミサイル危機」という非常時下のせいで「国民の団結」(個人の犠牲)が求められましたが、それがいつまでも続くと閉塞状況に陥ります。
「すべては諸刃の剣」(エドムンド・デスノエス)
ぺルゴリア来日時の記事(1994年7月24日付「インターナショナル・プレス」