自己犠牲 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

2015年度のアカデミー外国語映画賞アイルランド(!)代表作に選ばれた『ビバ』

ずっと気になっていたのですが、先日ご報告したようにラテンビート映画祭で見ることができました。

見終わったとき「これはまるでキューバ映画のようだ…。いや、キューバ映画に入れたい!」と思いました。というのも、キューバ人にしかわからないような深いテーマが描かれていたからです。

 

そのテーマとは、チェ・ゲバラを模範とする“革命家モデル”から落ちこぼれたキューバ人が抱えている(に違いない)後ろめたさ(罪悪感)や、強要される〈自己犠牲〉の精神と〈内なる声〉との葛藤―。

 

背景には、チェ・ゲバラが1965年に発表した「キューバにおける社会主義と人間」と題する論考があると思いますが、この件についてはいつか掘り下げてみたい。


いずれにせよ、革命後の社会では〈連帯・集団〉が尊ばれるあまり、〈個人〉の主張が否定される傾向にありました。また、軍国主義化するなかで、マッチョな価値観が優勢となりました。

 

『ビバ』の主人公ヘスス(18歳)は男らしくない自分を恥じています。

けれども、ナイトクラブでドラァグクイーンとして働きはじめ、自分を表現する喜びを知ります。

そんなとき突然目の前に現れた瞼の父は、典型的マッチョ。
ヘススの世話になりながらも、彼の仕事を認めません。
そのためヘススはようやく見つけた〈自分のもの〉を放棄するだけでなく、さらなる自己犠牲を強いられます。

ここから先は、横浜と大阪のラテンビート映画祭が終わってから、また改めて。


最後に強いられた〈自己犠牲〉に反撃する、カルロス・バレーラの歌を紹介します。
「ボデギータ」の清野さんに教えてもらって以来、いつか紹介したいと思っていました。
題は『ギジェルモ・テル』。ウィリアム・テルのことです。

 

 *「ママ」役のルイス・アルベルト・ガルシアや「父アンヘル」役のホルヘ・ペルゴリアが映っていますね。

歌詞(拙訳)
ギジェルモ・テルは息子を理解できなかった
ある日、息子はもう林檎を頭に乗せることに飽きたのさ
息子が走って逃げると、父は彼を罵った
自慢の腕前を披露する矢先だったから

 

※ギジェルモ・テルよ、お前の息子は成長したんだ
今度は自分が矢を射りたいのさ
自分の価値(度胸)を試す番が来たんだ
お前の弓を使ってね

 

ギジェルモ・テルは息子の主張を理解しなかった
その矢が放つ危険に身をさらす番になり怖気づいた
息子は言った
今度は父さんが頭に林檎を乗せる番だよ


※(繰り返し)


ギジェルモ・テルは息子の意見が気に入らず
林檎を頭に乗せるのを断った
信用しないわけじゃないが、もし矢が逸れたらどうする、と言って


※(繰り返し)

 

 ギジェルモ・テルは息子を理解できなかった
ある日、息子は林檎を頭に乗せることに飽きたのさ