1930年生まれの二人:喜びの報と悲しみの報 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

ブログの更新が怠りスミマセン。
書こうと思いつつ、書きそびれたことを―。


MARYSOL のキューバ映画修行-デスノエス 10月2日、エドムンド・デスノエスが83歳の誕生日を迎えました。
めでた~~~い!!!
何が嬉しいかって、これはまったくの私事ですが、彼が生きているうちに、私なりの『低開発の記憶』の読み〈パートⅡ〉を伝えられること。すでに大筋だけは誕生日の1日前にメールで報告しました。とてもとても喜んでくれて、「低開発というテーマを超えた分析だ」と言ってくれました。来年発行の立教大学ラテ研の所報に載せてもらえるよう、今月中に仕上げるべく、奮闘努力中です。
 ちなみに〈パートⅠ〉は2003年度の所報No.32 に寄稿しました。デスノエスは、面白がってくれました。私の真剣度は伝わったと思います。  
 当時はまだ映画も日本で公開されていなかったし、わずかの手掛かりをもとに試みた推論。今も70%から85%くらいは有効と思っているけれど、ナイーブな勘違い等もありました。
 今取り組んでいる〈パートⅡ〉は、その後の10年間に得た体験や情報、特にデスノエス本人からのメールのおかげで、ほとんど「正反対」というか、大きく前進しました。
これによって、続編の映画「Memorias del desarrollo」に繋げたいと思っています。
引き続きがんばります。(よってブログの更新はあまりできません。)


MARYSOL のキューバ映画修行-秋山駿先生 追悼:秋山駿氏
 「低開発」もしくは「(精神的・文化的)後進性」とは何か、というテーマは、文明開化以降、欧米に対して劣等感を抱いたり、葛藤してきた日本にとって他人事ではない気がします。
 日本の「近代的自我」って、どう芽生え、どう育ってきたのか?
そんなことを知りたくて、数年前に秋山駿氏の日本文学を読む講座(@カルチャースクール)をとったことがありました。

 (新入りの私にとって)最初に読んだのは、ご著書の「信長」 でした。すごく面白かった!(自我の強さが良くも悪くもスペイン人みたいだなぁと感じました。)

 結局、講座のテーマだった「近代的自我」について語られることは余りなかったのですが、月1回の読書会は受講生の「読み」のレベルが高くて、毎回 圧倒されたものです。 これも先生の人徳の賜物でしょう。まさに“いぶし銀の魅力”が滲み出ていました。特に印象に残っているのは、いつでも誰の話でも丁寧に面白そうに聴く姿勢。
そのおかげで教室には、オープンで何でも話せる雰囲気がありました。
 残念ながら、私は課題図書を読み通す時間がなくて、長く続けられませんでしたが、同じ1930年生れ同志、デスノエスと秋山先生が、それぞれの国民の「自我」や共有した時代について語り合ってくれたら面白いだろうなぁと夢想したものです。
 訃報に接しとても残念ですが、短い時間でもお話を直に聞けたことを幸運に思います。
私にとって、いつまでも「先生」と呼びかけたい「先生」でした。合掌。