ミゲル・コユーラの受賞を喜ぶデスノエス | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

すでに3週間以上前になりますが、ミゲル・コユーラの『続・低開発の記憶(Memorias del Desarrollo)』が、ハバナ映画祭ニューヨークでベスト作品賞受賞! のニュースに、ミゲルと決裂した原作者のエドムンド・デスノエスはどう反応したかというと、非常に喜んでくれました。


以下は、受賞を知らせた私のメールに対する、デスノエスの返事(4月26日)です。
尚、( )はMarysolが加えた注釈。


MARYSOL のキューバ映画修行-Edmundo Desnoes 喜ばしい。受賞を心から嬉しく思う。(主人公の)セルヒオ/エドムンドは、私が思っていた以上に強力な人物であることが判った。そのことに気づいたのは、君と知り合ったときだ。あのとき君は「セルヒオを他人事と思えない」と言った。

ティトン(故アレア監督)とミゲルと私は、キューバの文学のみならず、ラテンアメリカの文学・映画のなかで最も多面的な人物を創り出した。そこには、人間のアイデンティティに関わる2つの基本的なことがある。すなわち、オルテガ・イ・ガセットが言ったように <Yo soy yo y mi circunstancia(私は私とその環境である)>ということだ。個人と歴史の永遠の闘争。セルヒオを通して、我々はこの50年間のsubjetividad(主体性・主観性)を見出すことができる。
もうひとつ。コリエリ(『低開発の記憶』のセルヒオを演じた俳優、故人)とロン(続編の主人公を演じた俳優)は、私が創造した人物に肉体を与えてくれた。見覚えがあって、宿ることができる肉体を。受肉とは、仏陀、マホメット、老子など、宗教でさえ必要とするものだ。



ニューヨークでもキューバでも、色々な若者から<『メモリアスⅡ(ミゲル・コユーラ監督)』の方が、『メモリアスⅠ(アレア監督)』より自分と重なる>と言われた。

ミゲルのスタイルは、新しい世代のスタイルだ。省略を多用した短いシーン、視覚的トリック、グローバリゼーション。
私自身は、凝縮より過剰を好むし、多様性よりも叙述的展開に信を置くが、それでも、私の人物のビジョンが、色々な肉体や経験に受肉(化身)したことを嬉しく思う。

君も、セルヒオ/エドムンドの化身の一人だよ。