映画『ビバ・キューバ』秘話 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

映画『ビバ・キューバ』には数々の特色がありますが、第一に挙げられるのが“監督のファミリーが総結集”して作ったということ。
共同で監督を務めたのは母のイライダ・マルベルティ。

美術と音楽は従兄弟たちが担当し、祖母や親戚の子供は役者として参加。

また、主役の少年少女が属している子供劇団「ラ・コルメニータ」は、そもそも長兄のカルロス・アルベルトが主催しており、カルロス・アルベルト自身も“太ったヒゲもじゃの運転手”役で本作品に登場しているとのこと。


ファン・カルロス・クレマタ監督は男ばかりの3人兄弟。
母のイライダは、長年テレビの幼児番組で振り付けやディレクターを担当してきた経歴の持ち主。ファン・カルロスいわく「僕はテレビ局のスタジオで生まれたも同然」。
そんな生い立ちのおかげで、監督は2人の兄と共に、家でもテレビの小道具で遊び、「赤頭巾ちゃん」「シンデレラ」「バイキング」とは知り合い。彼らを家族のように思っていたそうです。


またパイロットだった父は、芸術家ではなかったけれど、彼こそ息子たちに演劇の資質を授けてくれた人だったとか「子供の頃、例えば家族で“イチ”(もちろん勝新の『座頭市』)の映画を観にいくと、帰宅してからパパは僕たちにキモノを着せて、床に座ってお米を食べさせたんだよ。しかも箸を使ってね!」

「毎日がパーティーのようだった。おとぎ話の世界を生きていたんだ」
「“子供による子供のための作
品”を成功に導く秘訣―それは、両親が与えてくれたエネルギーと楽しさと共感に満ちた環境のおかげ」(La Jiribilla参照)


「だから大人になることには抵抗があった。子供らしい豊かな想像力を失いたくなかったから」
そう回想する彼は、今でも子供の心(想像力)を大事に抱えているオトナなのです。
彼の作品(といってもまだ2本ですが)がお茶目で、悪戯っぽくて、遊び心に溢れている理由はこんなところにあるのでしょう。
第一作『ナダ(意味はnothing)』は、フランス映画の大ヒット作『アメリ』と似ていると評されるそうですが、実は『ナダ』のほうが制作されたのは先。だから決して亜流ではなく、彼のオリジナリティから生まれた作品です。
でも『アメリ』と比較されるくらいフランス人の心をくすぐる魅力があったからこそ『ビバ・キューバ』制作の資金援助をフランスの会社から得られたんですね、きっと。


見かけも作品も明るく楽しいクレマタ監督ですが、実は14才のとき突然忌まわしい事件が一家を襲います。
1976年10月、ベネズエラ発のキューバ民間機が、カリブ海の上空(バルバドス)でテロリストの仕業により爆破され、乗客など73名が死亡(うちキューバ人は57名)したのです。

この犠牲者のなかにパイロットだった監督の父がいました。

 

* 犯人(ベネズエラ人)はトリニダードから乗り込み、トイレに爆弾をセットしたあとバルバドスで降り、米国大使館に逃げ込んだそうです(この事件を指示した反革命派キューバ人で元CIAエージョエントのルイス・ポサダ・カリレスは国外逃亡中のところを昨年米国で逮捕され、現在その処遇が注目されている)。


ファン・カルロス監督は現在も横行するテロと映画『ビバ・キューバ』をめぐって、昨年の夏、次のように発言したそうです。
「テロリストは私たちをを黙らせようとした。怖がらせようとした。けれども私たちは一番得意な方法(もちろん映画ですよね?)“ビバ・キューバ(キューバばんざい)” と世界中で何度でも大きな声で叫べる機会を獲得してしまった」。
う~ん、なんと平和的でポジティブな対抗策!



「子供も大人も一緒に見られる映画」を作りたかったファン・カルロス・クレマタ監督は、彼独特の機知に富んだやり方で『ビバ・キューバ』と皆に叫ばせたかったのですね、キューバで、またキューバの外でも。

日本でも上映されますように…


監督の軽妙な作風やひょうきんな人柄が裏目に出て、“ピエロ”と評する人もいましたが、もし彼がピエロだとしたら、人一倍悲しみを知っているピエロ、涙を流すかわりに笑ってみせるピエロでしょう。
「父を含め73人の罪のない人々が殺された。もう二度と戻らない人たち。

父やテロで犠牲になった彼らの思い出を手繰り寄せながら毎日生きてきた。

それが僕にできる最善のこと。愛することと築くこと―マルティが擁護する人々の側に立って。あの幸せでかけがえのない、愉快な両親と一緒だった幸福な子供の頃に戻って―」   

       ファン・カルロス・クレマタ監督
ファン・カルロス・クレマタ監督の略歴
1961年生まれ
1986年 キューバ芸術高等学院(ISA)演劇学科卒業
      ラジオ・テレビ産業庁で子供番組を制作
1990年 サン・アントニオ・デ・ロス・バニョス国際テレビ映画学校で学ぶ


世界各国の映画祭に招待されたり、ローマ、チリ、パナマ、米国などで講演を行うほか、アルゼンチンのブエノス・アイレス大学などで映画作法を教授。


1996年 グッゲンハイム奨学生としてニューヨーク滞在。
1997年 サンダンス・インスティテュート主催のシナリオ講座(メキシコ)に招聘される


長編映画(フィクション)
2000-2001年 ナダ(Nada)
2005年 ビバ・キューバ(Viva Cuba)