ミゲル・コユーラ監督と会って考えたこと | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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                  ミゲル・コユーラ

キューバの若手監督ミゲル・コユーラ氏が15日に来日し、本日(25日)離日するまで、本人と会ったのは3日だけでしたが、ハバナやニューヨークにいる彼の家族や知人に、報告がてらメールや写真を送ったところ、それに対するボリュームたっぷりの返事が連日届いて(彼に対する愛情や関心に正比例してのことでしょう)、“メールの応対”に忙しい日々を過ごしていました。


先ほど午前11時半頃、ミゲルから「今、空港からメールをしている。もう搭乗しなければ。色々ありがとう。きっと日本が恋しくなると思う」という言葉を受け取りました。
これで、ひとまず私の役目もおしまい。
しばらく書けなかったブログを早速更新することにします。


今回ミゲルのデジタル映画『レッド・コックローチス』を観たり、彼と話していて、キューバ映画が迎えている変化の大きなうねりや、そのなかでの葛藤・悩みみたいなものを、より具体的に考えさせられました。


まず“今後キューバ映画が変化していく”として、その最大の要因となるのが“デジタルビデオ技術”です。ミゲル本人も公言していますが、彼が作りたいのは“インディペンデント・ムービー”“誰の手も借りず、自分が見たい世界を自分で自由に作りたい”そうです。


これまでキューバでは“映画製作”と言えば、ICAICと切り離して考えることは出来ませんでした(今も考えられない?)。映画製作が膨大な予算と人手を要する以上、個人で作ることなど不可能だったわけです。

でも今はビデオカメラがあれば、誰でも映画を作れます。しかも低予算で。
ICAICにシナリオを提出して、審査を受けて・・・という手順を踏むより、自由に思いのままに製作したいと思うミゲルのような存在が現れるのも時代の必然的な流れでしょう。


こうして作られた彼の映画(短編・長編を含めて)は、すでにキューバ国内の若手映画監督の作品を公開するフェスティバルなどで上映され、数々の賞を獲得し、キューバ映画の将来を担う有望な新人監督として期待されています。
その一方で、ミゲルのようにデジタル技術を駆使して、低予算で個人が質の高い映画を製作し、それが上映される機会が増えていけば、ICAICの存在は変遷していくことになるでしょう。


ただ(3年前に)ミゲルが米国で映画を学ぶ奨学金を得、その機会を利用してニューヨークを拠点に映画製作をしている間に、インディペンデント映画をキューバ国内で撮影する際には「ICAICの許可を得て規定の料金を支払わなければならない」という規則ができたそうです。


そうなると、彼のように低予算で映画を製作している人間にとっては「キューバで映画を撮ってはいけない」と言っているようなもの。
しかも、ニューヨークは「9・11」以降、規制が強化され「キューバで映画を撮る方が容易なくらい」だし、フランスに撮影のためビサを申請すれば、キューバ人にはなかなかビサが降りなくて、拒否されとか・・・


せっかく技術の進歩が個人の可能性を広げても、“規制”によって可能性の芽を摘んでしまうなんて、人間のすることって何故こうも「理不尽」なのでしょう?


ミゲル・コユーラ監督の映画は、“分けのわからない苛立ち”みたいな不快感や“孤立感”、“衝動”といった気分を発散しています。
彼は「マイナスの感情があるからこそ創作意欲が湧くんだ。でも、もし映画に出会っていなかったら“引きこもっていた”かも」と言っていました。
良かったね!映画に出会えて。


彼の映画は正直言って私にはよく解らないし、あまり趣味ではないけど;しかもミゲル本人は映画の与える印象と全く違って“思慮深く、穏やかな青年”だけれど;彼と話したことを参考にしながら、キューバの若手監督の作品を鑑賞し、その一方でICAICや革命後のキューバ社会を、映画を通して再考してみよう!と思いました。