追悼・パストル・ベガ監督 | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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故パストル・ベガ監督の友人でもあったマリオ先生に、追悼記事をお願いしました。

気持ちの整理がつかなくて、書きにくかったようですが、彼の代表作『Retrato de Teresa(仮題:テレサの肖像)』との関連のなかで、書いてくださいました。


下の写真は、昨年(2004年)12月、ハバナ映画祭開催中に、ホテル・ナシオナルで偶然お会いしたときの監督(真ん中)、マリオ先生(左)、オクタビオ・コルタサル氏(右、『はじめて映画を見た日』の監督)の写真です。

   Pastor Vega y Octavio Cortazar


故パストル・ベガ監督を偲んで        
                     ハバナ大学教授 マリオ・ピエドラ


つい先日キューバ映画界は、かの有名な『テレサの肖像(仮題)』を撮ったパストル・ベガ監督を失うという悲痛な出来事に見舞われた。彼は、常に映画製作を活動の中心にしながら、それ以外の分野でも大いに活躍した。理論家にして批評家、演劇の演出、国際的にはキューバ及びラテンアメリカ映画の擁護と普及に努めた。


監督の父、故フスト・ベガ氏は、キューバの農民詩人として有名だったが、パストル自身も映画人の系譜をつくりあげた。妻のデイシー・グラナドスは、キューバ及びラテンアメリカ映画界で最も有名な女優の一人。3人の息子たちは両親と同じ映画界でそれぞれ仕事をしている。パストルと前妻の間に生まれた娘も、有名な女優でありプロデューサーだ。


ここで、友人パストル・ベガとの思い出に捧げるべく、彼と映画との特別な結びつきについて触れてみたい。というのも、映画は、彼個人の活動にとどまらず、家族全体でかかわる活動だったからだ。つまりパストルにとって、映画は彼の人生そのものだったのだ。
中核にあったのは、素晴らしい女優、デイシーとの結婚だったに違いない。
二人の出会いは“キャスティング”の場だった。当時の彼女はまだ無名同然。だがその後、中南米映画を代表する女優に成長する。
特筆すべきは、二人が名実共に認められる存在となっても、(我々キューバ人にとって特別な思いのある)“家族”という単位を決してないがしろにすることはなかったことだ。


この家族の大切さと、その中で占める女性の中心的役割こそ、彼の代表作『テレサの肖像』の基軸になっている。この作品のメインテーマは「マチズモ」と言えるが、結婚生活における夫と妻の役割の再調整(革命がもたらした政治的プロセスと連動した新しい価値観から発している)についても再考を促している。


夫婦の役割分担の再調整、もしくは再編成で、最大の足かせになるのが「マチズモ」だ。男性がもつ権威や“優越性”という、何世紀にも渡って受け継がれてきた役目が、社会における女性の新しい位置づけによって、取って代わられようとしている。
だが、スペインとアフリカから引き継ぐ影響のおかげで、マチズモの伝統の濃いキューバでは、こうしたプロセスには困難が伴う。社会的には受け入れても、家庭のなかでは葛藤が多かったのが実情だ。『テレサの肖像』が描いているのは、こうした現実だ。
映画でテレサを演じるデイシーは、実の夫に監督・指導されながら、繊維工場の工員を演じている。テレサの子供たちは、実生活でもデイシーの子供たちだ。ただし、テレサの夫は変化を理解せず、社会生活で彼女がもっと活躍できる可能性を与える事を拒んでいる。しかも、若い美人と浮気をするにいたり、遂にふたりは大喧嘩になる。


この映画が与えるリアリティの迫真性は、実際の夫婦がフィクションの夫婦を映画化しているところにある。真底キューバ的な実の夫婦、パストールとデイシーは、現代のキューバに暮らし、この国の現実が抱える問題を身を持って体験し、具体的に関わっている。
この本物の夫婦(夫は監督で、妻は女優)は自分たち自身も、フィクションの夫婦(夫は技術屋で、妻は工員)と似たような状況に直面しているに違いないのだ。撮影の合間、“テレサ”の子供たちがカメラの前に立たない時、“母デイシー”は彼らの世話に追われていただろうし、“父パストル”も、“ラモン(テレサの夫)の子供たち”のやんちゃぶりを演技として引き出すには、父親的権威を行使したに違いない。


だからこそ、この映画からは、深い親近感や大きな人間的温かみが伝わってくるのだ。
パストル・ベガの信じがたいほどの才能は、あからさまで不毛なリアリズムに陥ることなく、現実に距離を置いて、厳格な芸術的ビジョンを我々に提供している。
ゆえに今まで同様、これからは尚のこと、この忘れがたい名作のなかで、目に見えないパストルの影が、デイシーと腕を携えて歩いていくことだろう。