少し、自分のことを整理してみようかな。

と、思ってみたのでだらだら書いていこうと思います。

なんとなく気分も以前より落ち着いてきたので、できるうちにゆっくり振り返ってみたいと思います。

 

【略歴】

・1989年山形県に生まれる

・高校までの約18年間を山形ですごす(高校までは普通の公立)

・大学進学を機に上京。埼玉県で一人暮らしを始める。大学はいわゆる”Fラン”です

・大学では「国際関係学部」に在籍。国際ボランティア、外交、国際政治経済などを学ぶ

・大学の夏休みなどを利用して、海外ボランティアなどに参加。(3.11のあと陸前高田市にも行きました。)

・就職活動に苦戦。大学の卒業式の次の日に内定をもらう

・新卒で、人材派遣会社に入社。営業職として勤務→3年間在籍後、退職

・中途で、ベンチャー企業(IT系企業)に入社。営業職として勤務→2年間在籍後、退職

・2回目の転職で、システム開発会社に入社。営業職として勤務→1年間在籍後、退職

・現在無職!5ヵ月目突入

 

【家庭環境】

・家族構成:父、母、祖父母、姉(1つ上)、妹(3つ下)の7人暮らしと猫がいます。

 ※姉は現在は結婚して同じ市内に在住。妹は大学進学を機に上京し現在は東京で一人暮らし

 ※猫は今3匹います。とっても可愛い

・実家は専業農家で、すいかとお米を作っています。

決して裕福な家庭ではなかったです。いつもお金関係の悩みや揉め事が多く、小さい頃からお金のことで悔しい思いや悲しい思いをしてよく泣いていました。(そんな家庭で大学まで進学させてもらえたことはとっても感謝しています。)

 

・実家はとっても古い家。平屋で部屋と部屋が壁ではなく扉で仕切られています。(伝わりますか?)

私と妹は自分の部屋がなく、学習机と二段ベットを置くスペースだけを確保してもらっている感じでした。

 

・今は普通ですが、実家にいるときは、姉とも妹とも仲良くなかったです。

一番上のため、なんでも最初に与えられる(部屋とか服とか学習教材とかCDプレイヤーとか)姉が羨ましくて、なんで一つしか年がちがわないのに姉ちゃんばっかり!!差別だ!!と思っていました。

姉の部屋に勝手に忍び込んだり、物を使ったりしてよく喧嘩をしていました。

そのくせ私や妹の机は勝手にあさったり使ったりするのが本当に好きではなかったです。

 

・小学生くらいのときから父親が好きではなかった。父親のような男性とは絶対に結婚したくない。

酒、たばこ、ギャンブル(パチンコです)すべてやる。たばこは入院を機にやめましたが、酒癖がとにかく悪い。

酔うとテレビや家族など、あらゆることに文句を言い、気に入らないことがあると突然切れだす。

姉が超絶反抗期だった時期はよく父に怒鳴られ、家の雰囲気は最悪でした。ときどき母とも喧嘩していた。

そんな時私は布団でひっそりしているか泣いていました。

「お母さんはどうしてこんな人と結婚したんだろう?」と子どもながらに疑問でした。

 

・母親とは特別仲が良いわけでもなく、嫌いなわけでもなかったです。

ただ、私はなぜか母親にはあまり好かれていないと感じていました。

姉が機嫌が良い時は学校であったことや仲の良い友達のことを家族に話していたからか、

私に対しても「あの子の話はおもしろい」「あの子は友達が多い」と言っていました。

父があんな感じ↑だったり姉が超絶反抗期だったりしていたので、楽しませようとしていたのかな、少しでも雰囲気を良くしようとしていたのかな、と今となっては思いますが。

私は姉よりおとなしかった?ので、手がかからない子=興味がない子のように見えているのでは?と思っていました。

だからかわからないですが、私はあまり学校や友達のことは家では話しませんでした。

もちろん、好きな人がいるとか、付き合っている人がいるといった話もしたことがありません。

 

・ちょっと不思議な?家庭だったので、家族関係の「普通」といったことを経験したことがなく、

実家の話や家族の話をするのが、今でもコンプレックスだったりします。

結婚をするかどうかはわかりませんが、実家に結婚相手を連れて行きたくないです。

猫だけが実家の癒し。猫のおかげで「家族」がかろうじて保てているんだろうと思っている。

 

【学校生活】

・小さい頃から、周囲からよく言われていた私の印象は、

「おとなしい」「まじめ」「頑張り屋さん」「優しい」

・実際はどうかわかりませんが、その場しのぎ的な、人が見ている時だけみたいのが上手かったのかもしれません。

・「頑張り屋さん」「まじめ」というのがプレッシャーで、やって当たり前、出来て当たり前というふうに周囲に思われていたのか、私が出来なかった時だけあたりが強く、辛い思いをしたこともあります。

・勉強は中学生までは比較的出来たほうですが、上の下といったところです。高校は成績があまり良くなく、下のほうでした。

・スポーツは苦手でも得意でもありません。(中学は卓球部、高校は弓道部)

・何か特別なことができる訳ではなく、特別に容姿が良かったわけではなく、The★普通の子でした。

・自分の思ったことが言えず、言っても意見を聞いてもらえず、何度も悔しい思いや悲しい思いを学校でもしました。

 

・友達付き合いは苦手でした。特に女子独特の雰囲気?が好きではなかったです。男子のほうが気楽だった。

中学の時は、特に嫌われていたわけではない(と思っている)ですが、よく女子の間で言われていたのは、「ぶりっこ」「男好き」といった、多感な年頃ならではのことです。高校の時はギャルの集団にそう言われ、あからさまに嫌われていました。

・中学までの友達関係は、ストレスばかりでした。同じ部活に、超わがまま・自分の気分で人を無視したり悪口を言ったりという女子がいて(被害者は私だけではない)、部活が同じだけに面倒で、その子の様子ばかりうかがっていました。幸い、今でいうスクールカーストのトップではなかったので、「その子に嫌われるとクラスみんなからいじめられる」といったことはなかったです。(というか、その子が嫌われていた。)

・1つ上の姉が、中学時代が反抗期のどピークだったため、姉の様子をうかがいながらの生活も面倒でした。

本当は陸上部に入りたかったけど、姉が陸上部だったので入部をあきらめたり、1つ上の学年の悪口が言えなかったり。

(中学までは超絶仲が悪かったですが、今は可もなく不可もなく、普通です。)

・高校の友達関係は、広く浅くといった感じです。部活の子や、家が近くよく一緒に帰っていた子と特に仲が良かったです。

・高校までの友達で、現在も連絡をとったり遊んだりしている人はいません。

 

・大学の交友関係はさらに淡白でした。一人で過ごすことの方が多かった気がします。

・大学での私はいわゆる「意識高い系」でした。周囲の意識が低すぎ・・・と思っていました。

ずっと勉強をしたいと思っていた、関心があった分野だったので、授業が楽しく、いつも一番前で受けていました。(一番前で寝ることもあった)

単位は3年終了時に卒業要件を満たしていましたが、受けたい授業が多すぎて、4年間ほぼフル単でした。

・大学以外でも、NGOの学生団体に所属しイベントを企画したりボランティアをしたり、長期休みはNGOが企画している

ボランティアツアーに参加して、インドなど海外に行ったりしていました。(英語は出来ません)

・就職活動の時期、もともとはマスコミ志望で、新聞社、出版社などを中心に受けていましたが全滅。

3年生の春休みに東日本大震災があり、社会全体で就活が約1ヶ月程ストップ。

その時に、「自分は本当は何がやりたいんだろう?」と考えるようになり、就活を中断しました。

いろいろ悩み、新たな経験をしてみた末、4年生の10月に就活を再開。(←結局)

しかし卒業論文も佳境だったこともあり、思うように時間がさけず、がつがつと就活に取り組んだのは年明けから。

(ここで4年生もフル単で授業を入れてしまったことが裏目に。テスト勉強もがっつりしました。)

 

 

 

長くなりそうなので、ここで一旦切りたいと思います。

アウトプットしていくの難しい。語彙力が絶望的にない。。

次こそ本題に入ります。いよいよお仕事編!そして発病へ!