僕の兄弟姉妹は、兄2人。妹3人。弟1人。

兄2人は死亡している。

長男を「兄ちゃん」と呼んでいた。

 

大正13年生まれ。8歳も歳上。

仙台の商業学校を卒業し、県庁に勤めていた。

昭和18年、兵隊に。仙台の師団に入隊。

朝鮮半島北部の羅南に、衛生兵で駐屯した。

(注釈:衛生兵 軍隊において医療や

    衛生管理に関する業務を行う兵士)

 

終戦になり、帰国は叶わず。ソ連軍の

捕虜で、バイカル湖の近くにある収容所へ。

第二シベリア鉄道建設でノルマに追われる

日々。

 

収容所では、演芸会があり、兄ちゃんの

ハーモニカ。一番得意な「軍艦マーチ」

を吹いたと言う。

 

ノルマは、鉄道敷の造成で、ピックで地面を

掘る、冬は凍結でカチンカチン。

 

帰国が実現したのは、3年目の夏。

ナホトカから帰還船で舞鶴港へ。

やっと解放された。

岸壁には、別の息子を待つ、

「岩壁の母」の母がいたと。

 

舞鶴から、皇居前広場で、全員参拝

常磐線で帰路に着く。

家には、帰る列車の通知が来た。

上の兄と2人で、引き揚げ列車に乗り込んだ。

 

車内は、全員軍服姿。異様な雰囲気。

何両目かに、「兄ちゃん」がいた。

 

地元の駅で下車したのは、4人。

兄ちゃんとタバコ屋の息子さん(兵役終了)。

それと僕ら2人。

 

家に帰るなり、父親と僕以外、赤痢に。

保健所が来て、白い粉末を撒かれた。

「兄ちゃん」の「お土産」。

 

その後。元気を取り戻し。

家業を継ぎ、結婚。出産。家庭生活へ。

 

ある日突然。国務大臣のエイジレス章を

受賞した。

人生の花が咲いた。