昭和7年、仙台に近い小さい町で産まれた。
昭和13年、町の尋常高等小学校初等部
第ー学年に入学。ランドセルは無い時代。
昭和20年3月、国民学校初等科第4学年を
卒業した(第二次世界大戦中)。昭和23年4月
仙台エ業高校土木科に入学、3年後卒業。
卒業前に、学校の掲示に「国家公務員4級職」
を見て「土木」を受験。合格した。
卒業生では僕一人。
父親は、阿武隈川下流河川事務所を望む。
学校からの紹介で、民間企業の就職試験を受けた。
会社の2階、会議室で。筆記試験。2人で。
合格しました。
「4級職」の効果があったかも?
その会社に入社した。
その会社では、さっそく北海道のダム現場測量要員に。
即刻、東北本線。青函連絡船を経て北海道
の、ど真ん中へ行く。
現場では、先着の先輩の中へ。一番の若僧。
やる事、成すこと、全てが新しい。
毎日毎日進む。苦しみ・困ったは無い。
東京の本社に勤務。国土地理院の測量士の
資格を得ようと、三角点・水準点・測量等の
勉強をして。試験会場へ。
合格。測量士になった。
入社後20年。技術士の資格に挑戦した。
僕は、高卒なので、当時は予備試験が
必要だった。
昭和40年から2年半、台湾のダム現場に
単身赴任していた。
予備試験の準備をした。
科学技術庁の会議室で、英語。数学等
基礎知識(大卒程度)の試験を受けた。合格。
半年後に本試験。
青山学院大学、階段教室、クーラー無し
書いた描いた。
一刻も早く知りたかった。
霞ヶ関の官報の、合格者発表を探す。
あった.僕の名前が。バンザイ🙌
社内の高卒者、技術士第ー号だ。
(注釈:2017年~2021年の5年間で、技術士建設部門
総受験者数 67043名 合格者 6581名 合格率9.8%)
会社を退職して、自適の生活をしていたが。
どの道必要になるので、平成2年に
お墓を求めた。
そのお寺の住職場から「生前戒名」を頂いた。
短く、6文字「慧峰鈴奏居士」
SUZUは名前から。
奏は住職が、音楽を嗜んでいるからと
ーーつけた。
現在、老人ホームの世話になっている。
ホーム内では、アコーディオン等を奏でる。
奏でる音で、皆んなに楽しんで頂ける。
続けよう。