僕の生まれた町には、中学校が無かった。

昭和13年の頃だ。

父親の選んだ隣町の中学挍に進学した。

古い木造建築で、1m角の火鉢が。

 

 

大きい河を渡った駅までの汽車通学。

その頃は、全部蒸気機関車での列車だ。

 

僕の家は、菓子店で駅前にある。

朝、6時半の列車に乗る。

おふくろの朝飯作りが大変。

僕も、おむれないご飯をかっこんで、

駅に走る。

時には、発車前のに飛び乗る。

駅員が後ろから飛び込んでくる。

 

中学二年生、終戦。家で玉音放送を聴いた。

配給の食糧がない。河川敷の畠を耕す。

食卓の茶碗に大麦が山盛り、まずい。

でも食べた。

 

困ったのは、学校への弁当だ。

授業が終わって、汽車の時間までは。

教室の天井と睨めっこだ。

腹が減って動けない。鍛えられた。

 

列車が来て、乗ろうとするが、中は超満員。

外の手すりに掴まって、一駅乗車する。

 

ある日、何処にも乗れない列車が来た。

仕方なく、機関車の運転手、前に乗って

いいと言う。

 

こんな経験は、あり得ない。

非常時だったのだろう。

 

まだ列車が来るときは良かった。

来ないと、仕方が無い、歩く。線路を。

何度か歩いて帰る。大きな橋の真ん中で

列車に遭遇した。咄嗟に、コンクリートの

橋台に飛び降りた。上を列車が轟音で通過した。

 

徒歩帰宅組は3人で、皆んなヘッチャラ。

線路脇に自生のスカンポを囓りながら

明るい少年達。

 

 

終戦前後の、色々あった社会現象。

食糧不足。満員の買出し列車。等等。

体力的に。精神的に鍛えられた。

 

戦争が産んだ、少年の体験談です。