昭和36年。東京大神宮で妻と結婚式を
挙げた。
式場から東京駅へ、皆んなが手を
振って送ってくれた。
東京から在来線の特急で神戸へ。
瀬戸内海を船で別府に上陸。
日南海岸を通って、鹿児島へ。
海が荒れてて、欠航。翌日150トンの
木造船で、屋久島へ。客室の外にはー
島民の食材となる、鶏。豚.穀物.
野菜も、いっしよに運ばれる。
島の一湊港に未明の2時に着く。
宿で仮眠をとり、朝一番のバスで
目的地の安房に着いた
30kmの道を、ボンネットバスで
安房のお世話になるお宅へ、挨拶。
主人は、入居住宅は完成1週間遅れになる
と言う。
そのため、その家にお世話になる。
そのお宅のお風呂は、五右衛門風呂。
暖かいためか。大きい蜘蛛が棲み
着いている。家内を驚かす天敵だ。
やっと、新しい町営住宅に。
周りを、中学の先生たち家族が入居。
風呂が出来まで、近所の貰い風呂だ。
そこでも、蜘蛛が顔出す。
蚊を食べる益虫だけど。
(注釈:南方の蜘蛛は体が大きい。
虫は総じて全て関東より巨体)
夜になると、羽蟻の大群が、家の
ガラス戸に、飛来する。
家内のスタイル。良くなる。
家内のお腹が。
島には産婦人科が無い。
二人で鹿児島の病院に。先生曰く
(島のお産婆さんで大丈夫)と。
出産は、世話になったお宅の奥さん。
お産婆さん。僕の3人で。
僕は、台所でお湯を沸かす役。
無事に生まれてくれた。
2人に質問した。
(難産ですか)ーー答えーー(普通)
それからは、台湾の2年半。2度目の
建設現場4年。等、単身赴任である。