昭和33年。入社6年を過ぎ、26歳
社命により、上司と2人で、鹿児島県
屋久島へ。
水力発電所建設現場の土木技術者
として赴任した。
赴任先には、先駆者が12名、島の
電力供給全般を運営管理していた。
写真中央の、コートの人物が所長。
全員が戦前の、朝鮮電業で活躍した
方々で、引き揚げ者である。
戦後。所長が、みんなを集って
島の電力開発の先駆けとなった。
(Wikipedia)
屋久島は、直径30kmの円形の島。
高さが、1936mで九州一高い
「宮之浦岳」がある。
雨量は、島平均4400mmと多雨。
島の中央部の山地は、花崗岩で
地表には、屋久杉等が覆っている。
これに着目したのが、社長(故人)
鹿児島県の委託を受けて、報告した。
前出の小発電所を含めて、3発電所が
稼働中 (設備出力:58000kw)。
乗り込んだ2人は、小さい変電所近く
の、民家に間借りして、森林軌道
(上り勾配1/15)で、安房川沿いに
11kmの現場へ日参した。
その発電地点は落差300mの急傾斜地。
我が社の先輩方の創作なる、設計図に
従って、現地にプロットする。
丁度、見晴らしの良い測点での作業中。
軌道を登ってくる、建設業者の
ジイゼル車が見えた。
工事着工の最初の1ペイジだ。
この記憶は、66年経った今でも
忘れ無い。ーー感動だった。
島内電力と工事用電力用の出力千kwの
小さい発電所は、島全体を照明していた。
発電所勤務の職員に聞いた。
工事のエピソードを。
水車と発電機は、岩手県の在る小さい
発電所の中古品が、流用出来た。コスト
が安く、納期待ちゼロ。
器材の運搬は、森林軌道で発電所
直上の尾根に運ぶ。
そこから発電所までを。カグラサン
ロープ。コロ。を使って、人力で運んだ。
(注釈:かぐらさん Weblio辞書)
エジプトのピラミッドを作った方法と
同じではないか。
現在でも、通用する方法と思う。
戦後引き揚げ技術者、十二人のサムライが
島の電力開発の先駆けとなった。