昭和27年3月、仙台工業高校を卒業。

学校の推薦で、水力発電を主業務とする

会社の、仙台支店で、着古した詰め入り

の学生服に、下駄履きで、入社試験を

受けた。幸いにも合格したが。

夕張ダムの、測量要員が目的だったようだ。

 

青函連絡船(Wikipedia)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8c/JR_hokkaidou_youteimaru.jpg

 

支店に配属ご、即刻札幌支店へ。

親が買ってくれた、背広と靴で身を固め、

小さい行季(竹、柳で編んだ箱形の物入れ)

に衣類等を入れ、チッキ(乗車券を提示して

託送する手荷物)で行李を送った。

乗車する機関車。長い旅だ.青森へ着いて

青函連絡船の出る、埠頭へ。

舛席で横になり、函館港へ。札幌支店に着く

 

即刻、大夕張の現場へ着任した。遠かった。

借上げ事務所には、既に社員数名、賄いの

女性も。そこに1番若い自分が加わる。

 

 

僕を見てくれる、先輩は、測量万能で、

基礎から教えて貰った。今も使っている

小型のソロバンで、水準測量の計算をする。

標尺の立て方、読み方、等。

学校の実習では無い。

指導が宜しく、仕事が前へ進む。

 

 

8月に入り.お盆休みだ。夕張岳に向った。

営林署のモーターカーを借りて、登山口へ。

一歩手前の、橋の中央で脱線。丁度保線中

だった。1人が腰のナタがジャマして

動けず。もし、川まで落ちたら、危なかった。

 

登山道が延々と歩く。頂上に近づくと

熊笹。白樺等で、幹には、熊の爪痕が

散見する。8合目あたりで野宿だ。

キャンプファイヤーの薪、その周りを

熊笹で寝床を作った。

 

周りの樹々が、燃える光で。

その奥の夜の満天。素晴らしい。

小さいコップに、サントリー角瓶を。

皆んなで乾杯する。僕は初めての酒だ。

僕の他、皆んなで、角瓶は、空だ。

 

 

そして、山頂に登った。

(左上が僕)

 

賄い担当の姉さん。恋人は、夕張線の

機関車の運転手だと聞く。彼女曰く

「私。彼が運転していて、手を挙げて、

止めて乗せて貰ったの」

本当かどうか知らない。

本当なら、恋は強い。

機関車を止める力がある。

 

測量は、貯水池の上流までだ。

上流付近からは.夕張炭鉱地域である。

12間長屋から、子供達が、集まってくる。

 

映画の「黄色いハンカチ」の現場だ。