今日は、子供の日。朝5時半起床

ブログを書く。だいぶ慣れてきて、字の修正、

絵の削除、挿入が出来るようになった。


朝食後、10時の「介護予防体操」のあと
買い物へ、文具店でAー4のトレーシング
ペイパー1冊と、書の「千字文」で使う、
ぺん3本などを購入。
途中で御茶屋に立ち寄る。入り口に
「新茶入荷」の文字があった。
八女茶を求めた。
歩数、3千歩。

今日のアクティビティは、2階で。
僕のハーモニカ伴奏で、皆んなは歌詞集
を見ながら、声を出して歌った。
童謡、抒情歌で吹きやすく、歌いやすい。
アンコールが、「旅愁」だった。

2階のエレベーター前の、小さい広場は
誕生会が開かれ、本人、御子息、孫、
ひ孫、10人位で賑わっていた。
脇を通って、自分の誕生のことを
思い出した。




父親は、明治34年、宮城県の地方都市の

菓子店の3男坊で生まれた。

その後、家を出て、東京の専修大学附属

商業学校に入学。2年の時。関東大震災に

遭遇し、宮城の実家に帰った。


貯金局に就職していたが、母の命に従って

中途退職し、大正13年、結婚した。

宮城県の地方都市の一角に、菓子屋を

開業した。


親父が、関東大震災で、田舎に

帰らなかったら、僕は、生まれていない。


関東大震災の落とし子である。


菓子店は、大きな神社門前に、

小さい店で。

その後、駅前に貸家で移転。

僕は、そこで3男で生まれた。

写真の1番小さいのがぼくです。

もう一枚は、工業高校3年のもの、


菓子屋の実家では、子供は、家の使い走り。

あらゆる手伝いで、日が暮れる。

僕の下には、妹3人、弟1人で、計7人。

母は、家の切り盛り、炊事洗濯で大忙し。

8人も、お産婆さんの世話で、出産した。

両親共、床に伏せったのを知らない。

僕の元気は、親からの贈り物だ。感謝。


或る真夜中。家に泥棒が入った。

ところが、家は8畳2間に、親と子供9人

が寝ていて、足の踏み場が無い、兄が

気づいて(泥棒ー!)と叫んだ。

泥棒は、慌てて、何かにぶっつけながら

何も取らずに、逃げた。


親父は、店の裏の工場で、

菓子作りに専念した。

羊羹。和菓子。洋菓子。パン類。あめ類。

南部せんべい。等。良く作り、良く売った。

このおかげで、家も借家を買い上げ。

子供達全員、高校まで卒業させて貰った。


親父は、特に手先が器用だった。

僕も細かい作業が好きなのは、

親父の実家での菓子作りを、

手伝っていた経験があったからだと思う。


親父の実家までの御先祖様の遺伝子に、

親父の器用さの遺伝子を戴いたお陰で、

息子の僕は、手先が器用なのだろうと

思う。


関東大震災の帰郷と器用さの遺伝子に

感謝。ありがとう。