私は小さい頃から鈍くさく、

母親からはいつもヌケサク扱いでした

( ̄▽ ̄;)


小さい頃のエピソードとして、

当然私には当時の記憶はありませんが


2つ下の弟を母がベビーカーに乗せ、

その後ろをトボトボ歩いているはずの

私が突然いなくなっていたと

慌てて探してみると…





U字溝にハマっていた

とのこと。


その他にも、

ボケっとしていることが多いだとか

体育の授業で

ボール⚽⚾を避けるのが下手だとか、

とにかく鈍くさい。


小学校に入る前の

就学児健診で、

初めて弱視があることが分かり

幼稚園の年長の最後くらいから

眼鏡っ子👓️生活が始まりました。


先天性で、

強い遠視乱視があることも分かり、

分厚いレンズの眼鏡で

弱視治療の為にアイパッチをして

効き目側の右目を塞ぐ形で、

見えない方の左目の視力矯正を図る

というものでした。


今は色々種類があるみたいですが、
当時私が使っていたのはこんなやつ。
              ↓↓

肌色で可愛くないやつです。

私は性格もボーっとしていたので
特に反発もなく
親に言われるがまま、
けなげにアイパッチを着けていました。

しばらくすると
まぁ気になる子とかも出てきたりしますよね。
今で言う『いじり』って言うんでしょうか

色々言われていたんでしょうが、
女の子なので、
一番『ウルトラマンみたい〰️』って
からかわれるのが本当に嫌でした。
(ちょっと時代を感じます)

しばらくはおとな~しく
装着して治療に励んでいましたが
小学校3年生になる頃転校を機に
装着をやめました。

相変わらず眼鏡っ子でしたが、
小学校4年生になるくらいに
銀縁の眼鏡👓️から黒縁の眼鏡👓️
なりました。

私が子供の頃は今の時代と違って
太フレームとかカラーとか
種類が本当に少なかったので、
子供用の眼鏡なんて選びようが
ありませんでした。

その頃rinatteといえば眼鏡❗
が定着していましたが、
成長するにつれ、
眼鏡が嫌になっていました。

実際、
先天性で生まれつき見えにくいから
見えにくいのがstandard。
遠視だから遠くを見るのは
不便じゃないわけで、

小学校を卒業する前には
眼鏡をかけなくなりました。

それからはもっぱら裸眼で生活しています。

仕事用に一応作ってあるもので
たまに乱視が発動して
数字を間違えそうになる日だけ
着用したりしています。

大人になってから出会った人は
私が眼鏡をかける印象は全くないようで
昔の話をすると驚かれます。

高校生になった頃、
突然目が痛くなる症状に見舞われ
学校帰りに近くの眼科に行き、
酷い角膜炎だと診断された上に
パート中の母親を呼び出すよう言われて

このままだと失明してしまうからと
怒られて大学病院を紹介され、
すぐに行くように言われました。

言われるがまま後日、
大学病院へ行きました。

当時は瞼裏にできた石によって
まばたきの際にこすれ
傷に菌が入り込んだ炎症と説明されましたが

その時には原因が一切分かりませんでした。
後に角膜結石という病名で広く知れ渡り
治療法も確立されているようですが、

私が高校生だった頃はまだ大学病院でも
症例が少なく、
原因も分からず、
アレルギーの一種かとも思われ
血液検査もした程でした。

当時は炎症の具合も悪く、
入学早々に2週間程入院治療になりました。

その時私には1つ年上の彼がいました。

私は中学生の時に、
1年ほど付き合っていた
同い年の彼氏がいましたが

一方的に振られてしまいました。

今思えば中学生で交際なんて、
ちゃんちゃらおかしいと思います。

私もおばちゃんになったなと思いますが
私が恋をする人はだいたい影があって
孤独な人が多かったように思います。

私と同じ匂いがする人。
私と同じ孤独で寂しい人。
傷を舐め合える人。

寄り添って私だけを見てくれる人が
欲しかったのだと思います。

私と多感な年齢の少年とでは
求めるものが違っていたので、

自分で言うのも難ですが
育ちが良く、
大人しい私では
多感な少年が抱く欲望を満たすことが
できないと悟ったのでしょう。

私たちは手を繋ぐこともないまま
淡い恋の関係が終わりました。

終わりは突然で、
彼から直接伝えられることなく
女友達から終わった事実だけ伝えられ、
その後はただただ泣いて過ごしました。

中学を卒業する時までずっと
その人のことを想って過ごしました。

それから高校入学。
ずっと引きずっていました。

今思えば本当に、
何が好きだったのか
どうして好きだったのか
理解できないくらい血迷っていました。

そんな時に
交際を申し込んでくれた1つ上の先輩。

同じ中学から同じ部活で、
1年先に同じ高校に入っていた先輩でした。

中学の頃から
部活が終わると同じ方角だからと
一緒に帰ることがありました。

先輩には好きな人がいて、
その人の話を良く聞いていました。
とても一生懸命に好きな女性の事を話す先輩。
私も彼の話をよくしていました。

私は私よりちょっと大人な先輩の
淡い恋の話をドキドキしながら
聞いていましたが、
特に異性として
意識したことがありませんでした。

そんな中での先輩からの告白。
私は先輩も知っている、
元彼を引きずっていること
忘れられないことを伝えました。

まだ壁ドンなんて言葉がなかった頃の
リアル壁ドン
俺が忘れさせてやる❗

そう言ってくれたその先輩と
付き合うことになった春に
私は大学病院での
入院を体験することになったのですが

たった2週間ほどの入院中、
先輩は数日置きに
病院へ面会に来てくれました。

当時先輩がいつも持って聞いていた
MDウォークマン。

お気に入りの曲を詰め込んだ
MDを数枚と
ウォークマン本体を
病院で寂しく過ごしているだろうと
私に貸してくれました。


あの頃何度もリピートして
聞いた曲が流れてくると
今でも甘くて苦い思い出が蘇ります。

そんな優しくて気遣いしてくれた先輩。

私はたった3ヶ月で
終わりを告げてしまいました。

今でもいい思い出だけしか
私の中にありません。

たった3ヶ月の思い出しかないので。

先輩がお見舞いに数回訪れてくれた時、
人生で初めての
ファーストキスをしました。

眼帯をして寝巻き姿、
色気もない格好で
病院の個室を抜け出した非常口のそばで
先輩は将来の話をしました。

私と結婚を考えていること、
高校を卒業したらすぐでもいいこと、
好きでたまらないこと、
いきなりのキス。

頭がパニックになりました。
女の子が望むハッピーシチュエーション。
漫画でいえば見せ場ですよね。

オタク女子な私だって、
想像に難しくないはずでした。

だけど、
キスをされた瞬間、
違う❗
と思ってしまいました。
気付いてしまいました。

当時付き合うにあたり、
名前で呼び合おうという約束で
お互いを下の名前で呼びあっていましたが
ずっと違和感がありました。

気付いた瞬間、
先輩は、
私の憧れた大好きな先輩だったと。

決して異性という、
彼氏というのとは違う、
お兄ちゃんのような人だと。

そう思ってしまったら
手を繋ぐのも嫌悪してしまい、

退院後しばらくして
いつもの帰り道、
何だかよそよそしく感じていたのが
伝わってしまったのか
こわばった口調で
キスしていい?
と聞かれた時についに拒んでしまいました。

ちょっと距離を置きたいとだけ伝え
学校でもなるべく接触しないようにしました。

しばらく悩みました。
私がかつて好きになった人たちにしてきた
一直線に想いを連ねること。
必要以上にプレッシャーを押し付けること。
全てに猛省しました。

そして先輩に別れを告げました。

それから先輩は壊れました。
私の知っている、
優しい先輩の姿はなくなりました。

見るからに荒れ、
女子を軽視し遊び歩くようになり
私とは絶交状態となりました。

先輩とまた仲良く色んな話をしたかった。
その関係には戻れませんでした。

私は寂しさと、
先輩に対する罪悪感と、
家族との関係に
悩んでいたことも重なって

バカみたいにまた恋に捌け口を
求めてしまいました。

選んだ人はまた
傷を舐め合える孤独な人
つくづく懲りない自分です。

それでも、
先輩への罪の意識が重くのし掛かり
私は先輩と幸せになれなかった分、
先輩を幸せにしてあげられなかった分、
次に好きになる人は
私の生涯最後の人にしよう、
何があっても私から絶対に
捨てたりしない。
そう呪縛をかけてしまいました。

そうやって16歳の冬、
永遠の呪縛を持って交際を申し込んだ人が
元の旦那になる人でした。

私は他人と自分を不幸にしてしまいました。
次の年、
私は前の年よりも酷い角膜潰瘍になり
再び大学病院へ入院しましたが
私が好きになった人は
病院へは1度しか来てくれませんでした。

先輩への気持ちが再燃することは
ありませんでしたが、
淡い思い出と共に鮮明な記憶として
今でも残っています。

ここからは別の機会に
元旦那との悪縁と元旦那の所業を
書いていきます。