母親は教祖様昇天

 

神の子として育てられるも20歳で突如破門w

うつ・自殺未遂・摂食障害・各種依存症サバイバー

20代で喪主3回→天涯孤独の破天荒人生(ノ∀`)

 

こんな経験を活かして、魂のお医者さんの道へ♪

 

 

どうも、

スピリチュアルドクターXあづさですにっこり

 

 

 

 

 

 

今回のテーマは、

 

 

\過去を笑いに変える/

 

 

についてキラキラ

 

 

 

 

苦境を笑いに変える天才

 

わたしが尊敬する人の一人に、

漫画家・西原理恵子さんがいる。

 

 

同じく高知出身で、高校の先輩にっこり

 

 

 

 

なぜ尊敬しているかというと、

 

 

どんな苦境も笑いに変える大天才ルンルン

 

 

だからだ。

 

 

 

 

 

 

西原さんの生い立ちは凄まじい。

 

 

実父はアル中

両親は自分を妊娠中に離婚

 

一度も会わないまま、

実父はドブに落ちて死亡

 

6歳のときに母が再婚するも、

今度の義父はギャンブル依存凝視
 

母親はDVを受けていたという。

 

高校は未成年飲酒がバレて退学処分昇天

(しかし、納得できなかったため学校と裁判になった)

 
 
 
 
西原理恵子さんのWikipediaには、

 

地元はどこを見ても父親が妻を殴っていて、大人が子どもをぶん殴っていた。(中略)

 

貧乏人、離婚だらけ、養育費も貰っていない女性ばかりで、手本になる女性や憧れるような女性はおらず(中略)

 

高知にいたら立派な女性に会えないので、「ここじゃないどこかに行きたい」と考えていた。彼女らの交際・結婚していた男性は差し押さえる財産もなく、借金だらけであり、子供を本気で殴るケースがありふれていた。

 

とある。

 

 

 

 

こんな環境で育った西原さん。

 

 

高知を出て、東京の美大に行く!

絶対、好きな絵で食べていく!

 

 

そう決意するも、

 

 

美大受験の前日に、借金苦で

養父が首吊り自殺を遂げる。

 

 

葬儀に借金取りが押し寄せるも、

母の死守した100万円で上京。

 

 

 

 

上京して安堵したのもつかの間、

周りの美大生との才能の差に愕然。

 

 

それでも絵で食べていくために、

持ち込み営業をかけエロ本業界へ。

 

 

自らがギャンブル依存になりながらも、

(10年で5,000万円の喪失!)

 

 

しかし、その体当たり体験記が

ヒットして一躍人気漫画家へ。

 

 

 

 

フォトジャーナリストと結婚し、

1男1女2人の子どもに恵まれるが、

夫はアル中でDVを繰り返し離婚。

 

 

離婚後、がんに侵された元夫を看取る。

 

 

 

 

ざっと、こんな感じである。

 

 

壮絶な生い立ち

自らのギャンブル依存

2人の子どもの子育て

夫の看取り

 

 

これまでの人生を全て曝け出している。

 

 

ギャグ漫画で

 

 

そして、今は高須クリニックの

高須克弥氏と熱愛中で幸せそうだ。

 

 

その日常も、現在進行形で

ギャグ漫画になっている。

 

 

 

 

 

 

高須先生は癌の治療中なんだけど、

それすら笑いに変えてしまう強さ。

 

 

 

 

わたしは、高校生のときに

『ぼくんち』という漫画で

西原理恵子さんの世界を知った。

 

 

 

 

そして、わたしは彼女から、

 

 

苦境を笑いにして生きる

 

 

ということを学んだ。

 

 

 

 

これで終わってしまうと、

 

 

苦しい過去もすべて、

笑いにすればといいよにっこり

 

 

と、表面的ないい話になって、

非常につまらなくなるので。

 

 

 

 

わたしが極限状態を笑いに

助けられたエピソードを。

 

 

 

 

わたしの極限エピソード

 

 

看護学校2年生だった12月はじめ。

 

 

祖母に胸部大動脈瘤が見つかり、

大きな手術をすることになった。

 

 

 

 

主治医から、

 

 

成功率は30%

それでもやりますか?

 

 

と言われた手術は成功。

 

 

 

 

しかし、術後の経過は思わしくなくて、

予断を許さない状態でICUに入ることに。

 

 

一方、そのころのわたしは看護学生。

 

 

病棟実習が始まったので、

なかなか高知には帰れず。

 

 

祖母の入院先には、

何かあったら連絡を、

とお願いしていた。

 

 

 

 

数日後。

実習先の病院に一本の電話が。

 

 

母親が危篤だ

 

 

という。

 

 

 

 

実は、母も食道ガン治療のため、

祖母と同じ病院に入院していた。

 

 

というか、

 

 

もともと母が入院していたとこに、

後から祖母が入院してたきたんだけど。

 

 

 

 

母は透析中に意識を失い危篤状態、

今は昇圧剤でなんとか生きている。

 

とのこと。

 

 

 

 

つまり、

 

 

12床しかない貴重なICUのベッド

を危篤の親子そろってジャックし、

 

 

どっちが先に逝くか?

 

 

という、デッドヒートを演じている状態。

 

 

 

 

 

 

ICUの主治医から、母親は

 

 

意識不明の重体

 

 

と電話口で説明されたが、

 

 

 

 

わたし自身は、

 

 

意味不明の状態

 

 

である。


 

 

 

 

 

とりあえず実習を切り上げ、

急いで京都から高知へ帰省。

 

 

母の主治医からは「今日明日です」

と神妙な顔つきで説明を受けたが、

 

 

私の頭は実習のことでいっぱい

 

 

今日は金曜日か…

最悪明日死んだとしても、

火曜には実習に戻れるな。

 

 

なんてことしか考えていなかった。

 

 

 

 

土日は家族控え室に寝泊まりし、

そこで実習記録を書き上げた。

 

 

頭のどこかに、

 

 

二人とも死んだら

ついに天涯孤独か

 

 

という恐怖がなかった

わけではないけれど、

 

 

とりあえず、今後自分が生きていく

ためのこと(看護師の資格を取る)

ということしか頭になかった。

 

 

いや、

それしか考えないようにしていたのか。

 

 

 

 

 

 

しかし。

母は日曜日の夕方も生きていた。

 

 

祖母も少し安定したので、

わたしは京都へ帰ることに。

 

 

月曜日から金曜日まで実習、

土日は高知に帰ってICUに宇宙人くん

 

 

これを計3回行った。

(つまり3週間)

 

 

 

 

その間に、祖母は劇的な回復を見せ、

 

 

ナースコールを頻回に押して、

看護師を呼びつけるまでに回復。

 

 

もう大丈夫やから

 

 

という理由で一般病棟に移されたが、

一言でいえば追い出されたに近いw

 

 

 

 

 

 

その反面。

 

 

3週間の間に、母の隣のベッドは、

何人も何人も患者が入れ替わった。

 

 

わたしの祖母のように回復して、

一般病棟に移った人はわずか。

 

 

ほとんどの方が亡くなっていった。

 

 

飛び降り自殺に失敗した20代の女性

急に吐血して倒れたという50代の男性

交通事故にあった70代のおじいちゃん

 

 

ICUに隣接している家族控え室では、

同じ境遇の者が自然と仲良くなる。

 

 

 

 

どこからともなく、

 

 

あの人は亡くなったらしい

回復して上に移ったらしい

 

 

という話が聞こえてくるのだ。

 

 

実習よりも、よりリアルに。

生死のドラマに直面した。

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで。

 

 

無事実習は乗り越えることができ、

冬休みに入ったので高知に帰省。

 

 

 

 

そして、大晦日の31日。

 

 

主治医から、

 

 

お母さんは、今日こそ危ない

 

 

と説明があった。

(心の中で「何回目やねん」とツッコミを入れた)

 

 

 

 

そして、母のところに戻ると、

なんと祖母が運ばれてきている。

 

 

夜勤で人が少ない中、

 

 

娘さんがヤマだから

 

 

と聞いた看護師さんが、

祖母をベッドごとICUに

運んできてくれたのだ。

 

 

 

 

祖母は娘の顔をのぞきこみ、

 

 

これは、もうダメやねぇ…

 

 

と一言。

 

 

 

わたしは、

 

 

そうやね…

ホントに今日がヤマらしいよ。

最後に顔が見れてよかったがやない?

 

 

と声をかけた。

 

 

さすがに少し涙ぐんだ気もする。

 

 

 

 

わたしの言葉に、何かを考え込む祖母。

 

 

しばらくの沈黙。

 

 

ピッピっというモニター音と、

人工呼吸器のプシューという

無機質な音だけが響く時間。

 

 

子どもが自分より先に逝くのは、

なんせ2回目だもんな…辛いやろな。

(母の兄は2歳で夭折している)

 

 

と、しんみりしたのもつかの間。

 

 

 

 

祖母は、おもむろに口を開き、

マシンガンのように話し始めた。

 

 

あっちゃん、レイコ(母)が死んだら、口座が閉められるかどうかされて、お金が下ろせんなるろう?葬式代は高いきね、今のうちにレイコの口座から50万ずつお金下ろしかないかんで…1日50万しか下ろせんきね。あ、口座の暗証番号は生年月日って言いよったきね。昭和○年の○月○日やき、〇〇〇〇(暗証番号)ぞね、覚えちょきよ。口座は3つあるけんど、高知銀行に一番お金が入っちゃうにかあらん(らしい、という意)

あと、葬儀屋は○○は良うないらしいき、□□へ頼まないかんで!お坊さんは○○寺の住職さんを呼ばないかんで。縁も恩もあるきねぇ。おじいが死んだときも世話になったき、お布施はケチられんぞね。10万は包まないかんぞね。レイコの口座からお金下ろしちょきよ(2回目w)

お寺も年末で忙しいき、先に予約とかしちょかんと。予約はできるがやろうか?なんなら、ばあちゃんが電話して聞くぞね。

あと、家のことやんど、登記はどこにあるか探さないかんぞね。それと…

 

 

 

それ、今言う?

 

ねぇ、今なの?

 

 

 

ふと見ると、付き添いの病棟看護師も

ICUの看護師も必死に笑いを堪えている。

 

 

口は悪いが、その時の心境は、

 

 

ババアやってくれたな

 

 

の一言に尽きる。

 

 

 

 

 

 

空気を読んだ病棟の看護師が、

 

 

もうお部屋に戻るきね…

 

 

と祖母のベッドを動かし出口へ。

 

 

 

 

かくして、親子の今生の別れは、

 

 

カネと葬儀の話

 

 

で幕を閉じたのである。

 

 

 

 

しかし、ババァ祖母は念押しの

つもりなのか、また喋りだした。

 

 

連行中、祖母は首を持ち上げ、

ベッドから顔を出し振り返り、

 

 

絶対に葬式は○○に頼みよー!

はよう、明日にでもお金下ろしとかn…

 

 

とても、2週間前までICUで

危篤状態だったとは思えない声量。

 

 

 

 

ICUの廊下に祖母の声が響き渡る。

 

 

家族控え室からは、なんだなんだ!

と驚き顔の人が飛び出してきた。

 

 

 

 

ICUの扉が閉まったとたん、

 

 

ICUの看護師さんと目があって、

思わずお互い笑ってしまった。

 

 

ごめんなさい、

元気なおばあ様で…

 

 

そう言って、申し訳なさそうに

謝ってくれたけど、あれは笑うわ。

 

 

 

 

確かに祖母は不謹慎だったけど(爆)

そのとき、なんだかクスっと笑えて。

 

 

体の力が一気に抜けた。

 

 

正直、少し悲劇のヒロインに

浸っていたけれど、抜けた。

 

 

人間、こんな極限状態でも、

笑えば緩むんだなと思った。

 

 

 

 

 

 

辛いときこそ人に話すこと

 

この日から、なんとなく、

 

 

辛くてもうダメかも

 

 

というとき。

 

 

わたしはこの出来事を思い出す。

 

 

 

 

それは決して、

 

 

あの時よりはマシ

 

 

という意味で思い出すんじゃなくて。

 

 

笑いにすれば

乗り越えられる

 

 

という思いがあるから。

 

 

 

 

そして、今では。

 

 

わたしの生い立ちや出来事は、

笑い話となり、皆さんにブログ

という形でお届けしているにっこり

 

 

 

 

 

 

よくみんなに、

 

 

どうしてそんな辛いことを

乗り越えられたのか?

 

思い出して辛くならない?

 

 

って聞かれるんだけど、

 

 

 

 

今では、わたしの生きてきた37年は、

 

 

ウケるw

 

 

の一言だと思っている爆笑

 

 

 

 

母親が教祖とかウケるw

 

父親に一度も会えず、

借金の督促状で死んだ

のを知るとかウケるw

 

20代で3回喪主とかウケるw

30歳手前で天涯孤独ウケるw

 

 

 

 

もちろん、すぐにこんな風に

考えられるようになった

わけじゃないよ〜!驚き驚き

 

 

でも、笑って人に話したりすることで、

少しずつ乗り越えられるようになった。

 

 

 

 

辛いときは、とことん落ち込む。

悲しいという感情を無視しない。

むしろ、感じきってあげること。

 

 

これは本当に大事だと思う。

 

 

でも、そこから「感情の殻」に

こもってしまうんじゃなくて。

 

 

なんでわたしだけが…

わたし、こんなに辛いの…

 

 

っていう感じで感情の殻にこもると、

悲劇のヒロインになってしまうからね。

 

 

わたしはこれで何年もロスした昇天

 

 

 

 

 

 

辛いことがあったときは、

 

 

誰かに話を聞いてもらったり、

自分が少しでも笑顔になれる

ことに注意を向けてみること。

 

 

過去の辛いことを、

人に話してみること。

 

 

 

 

そうすれば、いやでも客観的になれる。

 

 

わたしも友達や同僚などに、少しずつ

自分の生い立ちを話し始めてから、

なんだか胸のつっかえが溶けていった。

 

 

 

 

ある夜勤の日、わたしの

生い立ちを聞いた同僚から、

 

 

そんなん、ドラマやんww

わたしは経験したくないけどやなww

 

 

と言われ、めちゃくちゃ笑けてきた。

 

 

そうか、ドラマか。

確かに、親が教祖とかウケるww

 

 

って開き直ったにっこり

 

 

 

 

 

 

客観的になれば、その出来事を

悲劇以外の目で見れるようになる。

 

 

そして、最終的には、

 

 

すごい面白い経験をしてね!

こんなウケることがあって…

 

 

って笑顔で話せるようになる。

 

 

 

 

わたしが好きな、チャップリンの名言。

 

Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

 

人生は近くで見ると悲劇だが、

遠くから見ると喜劇である。

 

 

 

 

わたしは、今こうやってブログで

ネタとして過去のことを書くことで、

辛さや苦しさの感情も癒されてます。

 

 

いつも見てくれてありがとう。

 

 

 

 

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