神戸高塚高校校門圧死事件
ー33年たった現場を訪ねてー
1990(平成2)年7月6日、神戸市西区にある兵庫県立神戸高塚高校で、遅刻する生徒を構内に入れないために、午前8時半のチャイムが鳴ると同時に重さ230キロもの鉄の門扉を細井敏彦教諭が勢いをつけてしめたことから、ちょうど駆け込もうとした1年生の女子生徒・石田僚子さん(15歳)が頭を強く挟まれて亡くなりました。
石田僚子さん
この事件については、このブログでも昨年(2022)3回にわたって取り上げました。
今年で事件が起きてから33年が経ちます。
この事件を風化させまいと、市民団体が毎年7月6日に校門前で追悼行事を行ってきました。しかし、会員の高齢化もあり30年の節目にあたる2020(令和2)年をもって会の活動は終了し、その後は有志で追悼の集いを続けるようにしたそうです(「神戸新聞」2020年7月4日)。
31年目の有志による追悼行事
(神戸新聞、2021年7月6日)
今年(2023)もその追悼行事が行われたようですが、地元紙にも同校卒業生の作家・寺田和弘さんの「随想」以外に関連記事の掲載がなく、どんな様子だったかは分かりません
小川も、一度参加したいと思いながら今年もできなかったため、日は大きく過ぎてしまいましたが、7月30日に神戸高塚高校の事件現場を初めて訪れました。
神戸高塚高校が当時過剰なほどの数の生徒を受け入れる要因になった西神ニュータウンの中心が神戸市営地下鉄の西神中央駅で、事件が起きる3年前の1987(昭和63)年3月に開業しました。
石田さんら多くの高塚高校生がこの駅から徒歩約15分で学校まで通ったのです。
2020年に閉店した駅ビルのそごう百貨店
今は別の商業施設に
西神中央駅から校門までの経路
神戸の中心である三宮から地下鉄で30分余りの西神ニュータウンは、独自の子育て支援策などが人気でJR三ノ宮から15分とより近い明石市への人口流出もあり、人であふれた当時の賑わいからはやや寂しい印象を受けました。
駅を出ると、周辺はホテルやマンションなど高層階の建物が多くありますが、そこを抜けると学校までは、街路樹と生垣で道路と住宅地から隔てられた歩道を行くことになります。
7月6日はまだ梅雨で、年によっては雨だったりしますが、事件が起きた年は晴天で、朝の8時台とはいえもうかなり暑かったのではないでしょうか。
炎天下に訪れた小川は、あまりの暑さに途中の木陰で持参したお茶を飲みながら休まなければならないほどでした。
道のなかばから校門までは真っ直ぐに見通せる道で、かなり手前から校門外に2人配置されていた教師のせき立てるしぐさが見えていたと思われます。
事件が起きた朝は地下鉄が延着したこともあり、時間に間に合うギリギリの電車に乗っていた生徒たちは、いつもより急いでこの道を学校に向かったと思います。
校門から駅の方に見える
登校する生徒たち(当時)
特に、それまで一度も遅刻をした経験のなかった石田さんは、電車が遅れる偶然に災いされて、校門が閉まるまでに学校に入らなければと焦ったことでしょう。
(現在の高塚高校)
遅刻者は広いグラウンドを
罰として2周走らされました
ようやく校門にたどり着き、細井教諭が情け容赦なく閉めようとする門扉から中へとなんとか駆け込もうとした石田さんの心には、期末試験初日というプレッシャーもあったことでしょう。
その時、石田さんが通り抜けるより一瞬早く、門扉が彼女の頭部を直撃し砕いたのです。
(今の門扉と異なり、当時は門扉の先頭が門柱に当たるようになっていました)
小川は、途中で休憩をしたこともあり、駅から20分以上かかって校門に着きました。
(正門は校舎の反対側にあって、今はそちらが通学に使われているようです)
小川が訪れた日は夏休みでしかも日曜日でもあり、学校は人っ子ひとりおらず、校舎は静まり返っていました。
そして問題の門扉は……。
事件当時の門扉
当時の大きく重い門扉は、事件の証として残しておくべきだという反対の声をよそに、1993(平成5)年に小型軽量のものに取り替えられました。
現在の門扉
当時とはすっかり雰囲気の変わってしまった校門でしたが、その脇にたつ時計だけは事件の日と変わりなくそこにありました。
木が茂って門扉側からはよく見えず
反対側から見た時計(両面に文字盤)
事件の責任を問われて懲戒免職となり、執行猶予つきながら禁錮1年の刑事罰も受けた細井敏彦元教諭が書いた自己弁明の本に大きく載せられている時計です。
神戸高塚高校校門圧死事件で石田僚子さんの死が投げかけた管理教育の問題、ひいては学校教育のあり方自体が抱える問題は、今日も解決されることなく存在し続けています。
学校だけが原因ではありませんが、不登校の高校生は全国で約5万人、60人に1人にのぼり(2019年度調査)、体罰やいじめもひところより減ったといえ、今も絶えることがありません。
また大学も含めて、日本の学校全体の教育力の低下も懸念されています。
石田さんが生きていれば今年で48歳になります。
どんな人生を送っておられたことでしょうか……
今回、自分の足で訪ねてみて、事件現場の様変わりに驚くとともに、だからこそひとりの女子生徒の無念の死とともに私たちに問題を投げかけたこの事件を、しっかりと記憶にとどめておかなければとあらためて心に誓った小川です🥺
![びっくりマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/611.png)