尾西市アベック殺人事件

1973(昭和48)年

 

朝日新聞(1973年2月6日夕刊)

 

先にこのブログでは、1988(昭和63)年に起きた非常に凶悪で残忍な名古屋アベック殺人事件を取り上げました。

 

しかし、昭和の事件記事を見ていると、アベックを襲う事件が他にいくつも目につきます。

その中には、男性をまず殺害し、集団で性的暴行を働いたあげく女性も殺すという凶悪な犯罪もありました。

 

名古屋の事件の15年前に愛知県尾西市(びさいし、2005年に一宮市に編入)で起きたアベック殺人事件を取り上げます。

 

【事件の概要】

1973(昭和48)年12月5日午後10時40分ごろ、市民から「5日午前10時ごろ、各務原市から関市へ行く山中で車からおかしな荷物をおろしている車を見た」との110番通報がありました。

 

警察が、目撃された車のナンバーから持ち主を建築現場の監督・大塚昭雄(当時31歳)と割出し、6日午前0時ごろに任意同行して取り調べました。

 

死体遺棄を手伝わされた

大塚昭雄

 

 

大塚は調べに対して、5日の朝、大塚が責任者をしている宿舎の型枠大工・小田康夫(同34歳)に、「人を殺した。死体を運べ」と脅されて運んだと自供しました。

 

この自供から警察が各務原市内の山中を探したところ、山林で枯草がかぶせられた女性の遺体を発見したため、尾西市の宿舎で寝ていた小田を殺人、死体遺棄、大塚を死体遺棄、死体運搬の容疑で緊急逮捕しました。

 

主犯の小田康雄

 

一方、その日の朝、木曽川河原の冨田山公園に放置してあるオートバイが見つかります。

このオートバイは、尾西市の工員・山(やま)喜美義さん(同19歳)のもので、4日朝に同僚の滝むめさん(同19歳)と相乗りで出かけたまま行方不明になっていることがわかりました。

 

放置されていた山さんのオートバイ

 

そして、先に見つかった女性の遺体が滝さんと確認されたのに続いて、6日の午後、冨田山公園付近で山さんの遺体も発見されました。

 

小田は初め犯行を否認しましたが、大塚によると5日の朝宿舎に行くと、ふとんでぐるぐる巻きにされた遺体が土間に置いてあり、小田に脅されて各務原市に運び、ふとんは木曽川の河原で焼いたとのことです。

 

またその時、宿舎には小田以外にも労働者がいたとのことで、警察が事情を聞こうとしましたが、いずれも小田の大工仲間の種村好晴(同30歳)と田中甚作(同24歳)が行方をくらましていたため小田の自供をもとに探した結果、6日午後になって兵庫県西宮市で2人を発見、共犯容疑で緊急逮捕しました。

 

 

種村好晴   /   田中甚作

 

被害にあった滝むめさんは長崎県出身で、中学卒業後、1969(昭和44)年に集団就職で尾西市の蘇東興業(現・ソトー)に勤め、鹿児島県出身の山さんも高校卒業後の1972(昭和47)年に同じ会社に就職しました。

 

職場が同じだった二人は、1972年の夏ごろから親しくなり、休日には山さんのオートバイで遊びに行ったりしていたそうです。

 

 

滝 むめさん   /   山 喜美義さん

 

二人は会社の寮に入っていましたが、外泊や欠勤などはなく、4日の朝に寮長に断って出かけたまま帰らないので、6日の朝になって会社が警察に捜索願いを出したところでした。

 

朝日新聞(1973年2月7日)

 

小田らの自供によると、小田・種村・田中の3人は4日夕方、尾西市内で酒を飲んだあと、午後7時ごろ宿舎に戻りましたが、小田が「今日は日曜日だが、アベックをのぞきに行こう」と言い出し、近くの冨田山公園に向かいました。

そこで彼らは、デートを楽しんでいた面識のない山さんと滝さんの2人を見つけたのです。

 

種村がまず女性を宿舎に連れて行き、小田と田中が男性を殴ろうとしたところ、高校時代に柔道をしていて大柄な山さんに抵抗されたため、小田が持っていた登山ナイフで彼の背中を刺し、倒れた山さんの足を田中が押さえつけて、小田がさらに背中や腹部など18箇所もめった刺しにして殺害したのです。

山さんの死因は、肺や肝臓にも及ぶ刺し傷での失血死でした。

 

彼らは山さんの遺体の頭と足の上に重さ7〜8キロの2個の石を乗せ、木曽川左岸堤防に遺棄しました。

 

 

山さんの遺体発見現場(矢印)

 

そうしておいて彼らは、滝さんを宿舎の2階で夜通しレイプしたのです。

 

宿舎

 

翌5日の朝になって小田ら3人は、滝さんをこのまま帰せないから殺してしまおうと相談し、小田が手で、田中が革バンドで滝さんの首を絞めて殺しました。

 

その後、滝さんの遺体をふとんで包み、ふとん袋に入れて宿舎に置いていたところ、午前7時半ごろになって小田の義弟である大塚(妻が小田の妹)が宿舎に出勤してきたので、大塚を脅して遺体を積んだ車を運転させ、各務原市の通称権現山の林道わきに捨て、赤土や枯れ葉をかぶせて遺棄しました。

ふとんや被害者の靴・サイフなどは、長良川の河岸で燃やし、証拠隠滅をはかっています。

 

主犯の小田康夫は山口県大津郡生まれで、16歳だった1954(昭和29)年から1970(昭和45)年の間に、強制わいせつ、住居侵入、公務執行妨害、傷害5件と8つの前歴がありました。

 

種村良晴にも婦女暴行致傷、田中甚作にはさいせん泥棒の前歴があります。

 

【加害者たちに下された刑罰】

脅されて死体遺棄を手伝わされた大塚昭雄は起訴猶予となりましたが、検察は1973年9月12日の求刑公判で、殺人、婦女暴行、死体遺棄の罪に問われた3人のうち、小田と田中には死刑、山さん殺害に加わらなかった種村には懲役15年を求刑しました。

 

朝日新聞(1973年9月12日夕刊)

 

1973年10月24日、名古屋地裁一宮支部は判決公判で小田に求刑通り死刑を、田中には小田に追従した犯行だとして無期懲役、種村には滝さん殺害を思いとどまるよう小田らに働きかけたことを考慮して懲役12年の判決を言い渡しました。

 

それに対して小田は被告側が、田中は検察と被告の双方が量刑不当として控訴します。

種村も同様に控訴しますが、取り下げたために懲役12年の刑が確定しました。

 

1974年7月4日、名古屋高裁は、1審判決を支持して控訴を棄却します。

 

朝日新聞(1974年7月4日夕刊)

 

田中は判決を受け入れて無期懲役が確定しましたが、小田は最高裁に上告します。

 

そして1975(昭和50)年10月3日、最高裁第二小法廷は1、2審判決を支持して上告を棄却したため、小田の死刑がようやく確定しました。

 

朝日新聞(1975年10月3日夕刊)

 

小田は名古屋拘置所に収監され、1977(昭和52)年に死刑が執行されました。

 

 

サムネイル
 

小川里菜の目

 

名古屋アベック殺人事件の被害者は理容師とその見習いでした。

偶然の一致ですが、この事件の被害男性である山さんも、工場勤めのかたわら定時制の理容学校に通っていたそうです。

 

何の落ち度もない、まじめに働いて将来の夢を二人で紡いでいたまだ19歳の若いカップルが、日曜日のデートを楽しんでいたところ、このような残酷非道な犯罪に巻き込まれて命を奪われたことに、何とも言いようのない悲しみと憤りを覚えますショボーン

 

朝日新聞(1973年2月7日)

 

当時の新聞が、今ではあまり使われない「労務者」(主に肉体労働に従事する現場労働者を指し、使い方によっては差別的なニュアンスが含まれる場合もある)という言葉で加害者らを報じているように、主犯の小田と共犯の田中、種村は、いずれも建築現場でコンクリートを流し込む時の型枠を作る大工仕事をしていたそうです。

 

型枠工事(例)

 

それは、1990年ごろに流行った言葉にすると「3K(きつい、汚い、危険)労働」に入るのかもしれませんが、曲がりなりにも仕事を持って生活している人間たちが、前科があるとはいえほろ酔い気分でハメを外したではとうてい済まないレイプに殺人という極悪な犯罪行為を後先も考えずに実行したことには、小川の理解を超えるものがあります。

 

アベックが標的にされた事件をもう2つ見てみましょう👇

 

①公園でアベックを襲った金目当ての通り魔的犯行(神戸市、1973年)

 

朝日新聞(1973年11月2日)

 

尾西市の事件のちょうどひと月ほど前、1973(昭和48)年11月1日の午後7時前、兵庫県神戸市生田区(現在は中央区)の花隈公園で、夕食を共にした後ベンチに座って話をしていた郵便局員の玉井純さん(24歳)と会社員の池田洋子さん(24歳)に35歳くらいの男が「タバコの火を貸してくれ」と近づきました。

 

玉井さんがポケットからマッチを出そうとしたところ、男は切り出しナイフを取り出していきなり玉井さんの腹を刺したのです。

男は池田さんにも切りかかって「金を出せ」と脅し、現金2千円を奪って逃げました。

 

玉井さんは病院に運ばれましたが、内臓に達する傷で午後8時半ごろ死亡、池田さんも手のひらを切られて1ヶ月の重傷を負いました。

 

警察が強盗殺人の容疑で男を緊急手配していましたが、同日の午後11時前、公園から2キロほど離れた路上で、通行中の男性(42歳)がすれ違った男にいきなりナイフのようなもので刺されて重傷を負いました。

特徴から同一犯と見られています。

 

事件当時、公園には4、5組のアベックがいたようですが、事件に気づいた人はいませんでした。

人目につかないところにいることがアベックが狙われやすい理由なのでしょう。

 

②車のアベックを襲って女子高生をレイプし殺害(群馬県桐生市、1979年)

 

朝日新聞(1979年11月24日)

 

1979(昭和54)年11月23日午後2時ごろ、桐生市の大学生・徳井史直さん(19歳)と高校2年生の糸井さとみさん(16歳)が、林道駐車場に車を停めて話をしていたところ、男が「ドライバーを貸してほしい」と近づき、いきなりアイスピックを出して脅し、二人をロープで縛りました。

 

さらに、さとみさんを後部座席に移し、首を絞めて仮死状態にした上でレイプしたのです。

 

午後7時半ごろになって男はさとみさんの首をロープで絞めて殺害し、遺体を道路から離れた沢に遺棄しました。

 

徳井さんが、「金がいるだろう。友だちに借りてやるから一緒に行こう」と男をだまして、午後9時ごろ車で桐生警察署の近くまで行き、男を車に待たせて警察署に駆け込みました。

 

警察官がすぐに車にいた男を連行し、徳井さんの案内で山林を捜索したところ、さとみさんの遺体が発見されたため、男を殺人容疑で緊急逮捕しました。

 

調べによると男は、北海道生まれの山崎正雄(27歳)で、1977年3月に強盗未遂と盗みで山梨県警に捕まっており、当時は東京都杉並区の高円寺に住んでいました。

 

この事件も、二人が人目につかないところで話をしていたことと、いったん車の中に入り込まれると密室状態になるために、外部から見えにくいという危険性があるように思われます。

 

 

楽しいデートが一転して凶悪犯罪の標的となる卑劣なアベック襲撃事件。

特に女性被害者の場合は、殺傷される前に強姦や輪姦までされることがあるだけに、被害者はどんなにか恐くて辛くて苦しかっただろうと思うと、小川としても本当に許せない気持ちで身が震えます。

 

朝日新聞(1973年2月7日)

 

女性の性暴力被害については、近年になって女性たちが声を上げるようになったことから、ようやく被害者本人からの親告がなくても犯罪として取り上げられるようになったり、罰則が厳しくされたりと法的には改善がなされてきていますが、人びとの意識の中には、まだまだ男性の身勝手な性欲求・性行動を仕方ないものとして容認する見方が根強くあるように思います。

 

先の「名古屋アベック殺人事件」はもちろんのこと、今回取り上げたような事件が起きることを二度と許してはならないと強く願う小川ですショボーン

 

こちらが1988(昭和63)年に起きた名古屋アベック殺人事件のブログです↓

*上のブログでは、一審で死刑とされながら二審で無期懲役になった小島の名前を「茂夫」と書いていましたが、正しくは「茂雄」であることがお読みくださった方からのご指摘で分かりました。

 

 

訂正すると共に、それについての説明を追記しています🙇(2023.07.13)

 

 

参照資料

・関係する朝日新聞の記事

・おにぎりまとめ「【愛知】昭和48年ー尾西市アベック殺人事件【小田康夫】」2021年12月25日