菊田昇医師

 赤ちゃんあっせん事件 

(後編)

1973(昭和48)年 発覚

 

後編では、この事件で最も重要な特別養子縁組制度と家族の絆について考えます。

 

【旧い養子縁組制度】

前編で触れたように、赤ちゃんあっせん事件の時にも養子縁組制度はありました。

しかしそれが子の実親(産みの親)にとっても養親(育ての親)にとっても利用しにくい制度だったのは、子どもが養子になった後も実親と養親という二重の親子関係が存続し、実親との権利義務(扶養義務や相続権など)が生涯続くからでした。

 

また、母親の戸籍には子を産んで養子に出したこと(当時それは「戸籍が汚れる」と表現されました)、養親の方には子が養子であることが記載され、個人情報の管理が今ほど厳しくなかったころは、たとえば身元調査などで第三者が容易に戸籍を見て女性に出産の経験があるとか、実の子ではなく養子であるとかが知られたのです。

 

そこで菊田昇医師は、子を産んでも育てられない親から育てたくても子に恵まれない親へと、妊娠7ヶ月にもなる妊娠後期の中絶を避けて出産するよう妊婦を説得し、生まれた子を「実子」として養親にあっせんしたのです。

 

 

赤ちゃんあっせんが「事件」として全国に知られるきっかけとなった地元紙への新聞広告に「我が子として」と菊田医師が書いたのは「実子として」の意味ですが、もしも単なるスキャンダルとして問題にされそうな時には、これは「あたかも我が子のようにして」という意味だと逃げるつもりだったと菊田医師は述べています。

 

戦前までは出生届を役所に出すのに医師が書いた出生証明書は必要なく、親の自己申告でした。

ですから、小川の祖母も本当は12月29日生まれなのですが、昔の「数え年」だと生まれたら1歳で正月が来るとさらに1歳増えるため、誕生してたった3日目の赤ちゃんが2歳ではかわいそうだと思った親(曽祖父母)が、1月2日に生まれたことにして出生を届けました。

それだけではなく、子に恵まれない姉が妹の子を、あるいは未婚の娘が産んだ子を母親が、自分の子として届けて育てるといったことも珍しくはなかったそうです。

 

ところが戦後になると出生届に医師の出生証明書が必要になったため、菊田医師は赤ちゃんを養親の実子としてあっせんするために、証明書に偽りの記載を余儀なくされたのです。

その「不法行為」によって菊田医師はとことん「罪」を追及され、赤ちゃんの命を救うための「緊急避難」的行為だったとの訴えも退けられて、医業停止にまで及ぶ処分を受けたことは、前編で詳しく見たとおりです。

 

出生証明書と一つになった現在の出生届

 

【特別養子縁組の制度と利用】

菊田医師の勇気ある訴えは、それまで放置されてきた大きな問題の所在を世の中に知らせることになりました。

その結果、人工妊娠中絶が可能な期間が短縮され(妊娠8ヶ月未満から7ヶ月未満に、さらに現在の妊娠22週未満に)、そして問題の中心であった養子を実子として特例的に扱う新たな養子縁組制度、すなわち特別養子縁組制度が1987(昭和62)年の民法改正によって設けられたのです(1988年に施行)。

 

特別養子縁組の流れは、次のようになっています。

 

読売新聞オンライン(2022年9月8日)

 

こうして日本の養子縁組制度は、娘の夫を養子(婿養子)にして家業を継がせるなどの以前からある普通養子縁組と、新たに設けられた養子を実子として扱う特別養子縁組の二つから構成されるようになりました。

 

厚労省が作成した下の表には、二つの制度の違いがわかりやすくまとめられています。

 

 

特別養子縁組の〈要件〉のところで「養子:原則、15歳に達していない者」とありますが、これは2019(令和元)年の法改正によるもので、当初は親子関係がよりスムーズに築けるよう、6歳未満であることが特別養子の要件とされていました。にもかかわらず養子の年齢要件が引き上げられたのは、特別養子縁組の利用件数が期待されたほどには増えなかったからです。

特別養子縁組の成立件数の推移を表したのが次のグラフです。

 

 

制度が施行された直後には成立が1200件以上もありますが、これはすでに普通養子縁組をしていた親子の切り替えによるものが多かったようで、それからは次第に減少します。

その後、2007(平成19)年に289件で底を打ち、2010(平成22)年以降にようやく増加傾向に転じます。

そして年齢要件が引き上げられた2019(令和元)年には711件にまで増えましたが、コロナ禍の影響もあってか足踏みした状態のまま現在に至っています。

 

ちなみに、1988年から2020年までの33年間に成立した特別養子縁組ののべ件数は、1万6052件(年平均500件弱)だそうです。

 

【特別養子縁組の目的と意義】
特別養子縁組制度は、育つ可能性のある妊娠後期の胎児の命を救い、そして出産の事実を知られたくない(戸籍を汚したくない)実母と、養子を実子として育てたい養親の希望をかなえて、両者の間で養子縁組がスムーズに運ぶようにする目的で作られました。

 

しかし今日では、それだけでなく、生まれた子どもの福祉の観点が重要視されるようなってきています。

 

1989(平成元)年に国連総会が採択した「子どもの権利条約」(日本は1994年に批准)の前文では、「子どもが、その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため、家庭環境の下で、幸福、愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべきである」とうたわれています(ただし、必要に応じて施設で養育することをすべて否定しているわけではありません)。

 

日本でも2016(平成28)年に改正された児童福祉法で、要保護児童(実親によっては育てられず保護を必要とする子どもたち)が「家庭における養育環境と同様の養育環境において継続的に養育され」、あるいは「できる限り良好な家庭的環境において養育されるよう必要な措置を講じ」(第3条の2)ることを国と地方公共団体の責務として掲げました。

その中で特別養子縁組を含む養子縁組は、里親などと共に次のように位置づけられています。

 

 

ところが日本では、4万人を超える要保護児童の大部分が、いまだに児童養護施設や乳児院などの施設で養育されています。

 

 

戸籍上の親子関係にはならずに18歳もしくは実親の元に戻れるまで家庭で里子を養育する里親制度(里子は4人以下ですが、経験豊富な里親が5〜6人の里子を養育するファミリーホームが2008年に制度化されました)については、上のグラフのように利用が徐々に増える傾向にありますが、菊田医師が人生を賭けた特別養子縁組制度の方は、大きな期待が持たれた割には利用が進んでいません

 

実子2人と養子5人のワンズハウス(神戸市)

毎日新聞(「ファミリーホーム」2018年9月29日)

 

【血縁が重視される日本社会ー戸籍制度】

特別養子縁組制度が作られたときに菊田医師が、自分の主張と異なり実親の戸籍に出産の記録が残ることから「〝えい児殺し〟の3割ぐらいは防げる(=3割ぐらいしか防げない)だろう」と新しい制度に厳しい目を向けたことは前編で紹介しました。

 

詳しい説明は省きますが、下の例は「静岡浜子」(実母)が出産した「花子」を「鈴木夫妻」(養父母)に特別養子縁組に出した場合の記載です(実母のコンピューター管理の戸籍の一部)。

このように、実母が未婚(花子の父の欄が空白)で娘を出産し、家庭裁判所の決定を経て特別養子縁組した事実がはっきりと記載されています(参照:行政書士の知っトク案内「戸籍からわかる? 特別養子の戸籍と記載例」)。

 

 

一方、花子を「実子」として迎えた鈴木夫妻の戸籍に、子の部分は次のように記載されます。

ここでは「特別養子」という言葉は使われておらず、一見すると実子と区別がつかないように見えます。しかし身分事項欄に「民法817条の2」と書かれているので、これが家庭裁判所による特別養子縁組の決定についての条項だと知っていれば、花子が鈴木夫妻の養子であることが分かります。

 

 

このように、養子を実子として扱うという特別養子縁組の趣旨からすると、戸籍の表記に関しては中途半端なものになっています。そこには、戸籍にはあくまでも血縁関係や縁組の事実を明らかに記載すべきだという法務省の強い意志が働いたということでしょう。

 

【血縁が重視される日本社会ー「血縁神聖論」】

次のグラフは、養子の構成を日米で比較したものです(参照:森口千晶「児童福祉としての養子制度を考える」一橋大学ウェブマガジン)。

 

 

一目でわかる違いは、アメリカでは「他児養子」(血縁関係にも姻戚関係にもない人の子ども)が半数を占めているのに対して、日本ではわずか1%しかないことです。

日本では全体の7割弱が「成年養子」(家業や家名を継がせる、つまり「家の存続」のための成人の養子)で、次に多い結婚相手の連れ子を養子にする「連れ子養子」を加えると全体の9割を超えます。

 

森口氏によるとアメリカでも1960年代までは「理想の家族=実の親子」という固定観念が強かったそうです。しかし、1980年代になると家族の多様化や文化の多様性を肯定的に受け入れる考えが強くなり、他児養子の中には肌の色や民族の異なる「国際養子」(2割)や、実親が親権を放棄・消失し公的機関に保護された子ども(劣悪な生育環境に置かれて何らかの障害を持っている子どもも少なくない)を引き取る「里親養子」(4割)が多くなってきているそうです。

 

日本で他児養子が少ない理由として、森口氏は「実子と養子の代替性が低い」ことを指摘しています。

すなわち、アメリカでは不妊治療をしながら同時に養子縁組のリストにも登録するカップルが多いのに対して、日本では子どもに恵まれないカップルはまず不妊治療に向かい、それがうまくいかないと子どもを持つこと自体を諦める人が多いのです。

 

野辺陽子氏作成のグラフに小川が補足

(体外受精児数は2019年には6万人を超えている)

 

ここにも、日本では血縁関係にある実子へのこだわりが今でも非常に強いために、望まない妊娠をした女性は人工妊娠中絶に、子どもに恵まれないカップルは不妊治療に向かって、戸籍上「実子」と記載されたとしても養子縁組という選択肢にはほとんど目が向けられない現状が見られます。


菊田昇医師は日本人の中にある血縁へのこだわりを「血縁神聖論」と呼んで、次のように述べています。非常に重要な問題提起だと思いますので、長くなりますが『天使よ大空へ翔べ』から引用します。

 

「従来の日本では、血縁は〈天与〉の神聖なものとして、母と子の〈血縁の鎖〉を解きはなつことなど問題にもされなかった。また、血のつながっていない子はあくまで法的にも〈養子〉であり、血のつながっている〈実子〉とまったく法律上同格に扱うことなど、とんでもないという養子差別の立場をとってきたのである。(略)

日本において、血縁神聖論が、結構今日までまかり通ってきた反面、親子関係においては〈血のつながり〉は殆ど必要ではないという現象を、われわれの周辺にいっぱい見受けることができる。

〈赤ちゃんとり違え事件〉は親が子を愛するために必要なのは〈血のつながり〉があるからではなくて、この子が私の産んだ子だと信じさえすればよいことを物語っている。すなわち、親が子を愛するために、必要なのは血縁の事実ではなくて血縁の意識である。(略)

 私は現在の親子関係の混乱の原因は血縁に甘えているところにあると考えている。親子の関係から一度血縁を除外したときにこそ、真に人間愛で結ばれた親子関係がつくられるであろう。親はわが子を名門校に入れて自分の血「遺伝」の優秀性を誇示し隣近所に羨まれるようになりたいと願い、そのために子供たちは神経をすり減らし、健康、体力を犠牲にして進学競争に奔走する。子は子で、「勝手に産みやがったくせに」と親に迫り、もっと優遇せよと権利を主張するのみで感謝を忘れている。もし、親子の間に〈血縁〉を一度、抜きにして考えることができるならば、縁もゆかりもない自分をどこかの〈おじさん、おばさん〉が拾い育てて、二十年間、おむつを取り換え、食事を与え、宿賃も洗濯料も無料で、教育費まで与えてくれるとしたら、その二人の大人にどんなに感謝しても感謝し切れないであろう。(略)

 同様に血縁を排除した場合大人の側から言えば(略)一人の赤ちゃんをおあずかりした以上二十年間、立派な社会人となるように育ててお返しする責任がある。「俺の子を俺がどう育てようと、要らぬお世話だ」と言うことはできない。〈無限の未来を持つ若い芽〉である彼らを立派な社会人に育てあげることは、それによって社会に貢献することなのだ。そのためには親は彼らのために、よい先輩となり、指導者とならなければならない。少なくとも彼らに尊敬され、愛される親にならなければならない。(略)

「一人は万人のために、万人は一人のために」という社会福祉の時代にあっては、血縁にしがみついている日本の親子関係は、もう一度洗い直されねばならない。その意味では、「実子特例法」は親子関係の意識革命とも言えるであろう。」

 

このように菊田医師は、親子の親密な絆は、血縁(正確には遺伝上のつながり)があるという事実から自動的に生まれるのではなく、親子がお互いに親が子に/子が親に愛情深く責任あるふるまいをすることを通して築かれると考えているのです。

その意味では、「血縁に甘え」がちな実親よりも、実親のようにあろうと努力する養親の方が、子どもの幸福にとって「良き親」となる可能性が高いとすら言えるかもしれません。

 

菊田医師が人生を賭けた一石を投じてようやく作られた特別養子縁組制度ですが、残念ながら利用が進んでいるとは言えないのが現状です。

しかし、いろいろな事情から実親には育てられない子どもの命を救い、養親のもとで実子として育てられるようにしようとする努力は今も続いています。

 

その一つに、親が匿名で子どもを預けられる「こうのとりのゆりかご」を2007(平成19)年から開設した、熊本市の慈恵会病院(カトリック系)の活動があります。

 

 

慈恵会病院では、すでに生まれた赤ちゃんを預かる「こうのとりのゆりかご」だけでなく、育てられない女性が同病院で産んだ赤ちゃんを特別養子縁組として養親に出産直後につなぐ「赤ちゃん縁組」、さらには女性が病院外には匿名で出産し、子どもは一定の年齢になれば出自を知ることができる「内密出産」にも取り組んでいます。

 

朝日新聞(2022年2月4日)

 

しかし、出生届などについての法の未整備を理由に官庁が難色を示し、こういうことを認めると無責任な母親が増えるという道徳論からの反対があるなど、菊田医師の時代と同じような事態が繰り返されているようです。

 

「“赤ちゃんあっせん事件”のその後」として、これら今日の問題については機会を改めて取り上げたいと思っています。

 

前編と中編です↓

 

 

 

 読んでくださった方!ありがとうございます🥹💕