菊田昇医師

 赤ちゃんあっせん事件 

(中編)

1973(昭和48)年 発覚

 

この中編では、事件の背景についても知っていただきたいと思い、人工妊娠中絶をめぐって少し詳しく触れていきます。

 

【堕胎罪と人工妊娠中絶の合法化】

堕胎(だたい、人工妊娠中絶)やえい児(新生児)殺しの歴史は古くまでさかのぼりますが、日本で人工妊娠中絶が合法化されたのは、第二次大戦後の1948(昭和23)年に成立した優生保護法によってです。

 

それまでは、明治維新以降の近代化の過程で、国力増強(富国強兵)の観点から人口を増やすために1880(明治13)年の旧刑法で設けられた堕胎罪が、1907(明治40)年の現行刑法にも引き継がれ(刑法第212条〜216条)、人工妊娠中絶は犯罪として取り締まられました。

現在でも堕胎罪は存続しており、妊婦が薬物などを用いて自分自身で堕胎(自己堕胎)した場合も刑法第212条により1年以下の拘禁刑に処される可能性があります。

 

たとえば、1980年代に開発されてすでに世界の70ヵ国で使われ、WHO(世界保健機関)が20年近くも前の2005年に「必須医薬品」リストに入れている経口妊娠中絶薬(いわゆる「飲む中絶薬」)が、日本でもようやく承認決定される段階になっていますが、2009年に同様の薬をインターネットで個人輸入し中絶した22歳の女性が堕胎罪で摘発された事件がありました(日本経済新聞 2010年11月19日)。

 

毎日新聞(2023年1月27日)

 

このように、日本では刑法の堕胎罪を残したまま、人工妊娠中絶を例外的に認める優生保護法が戦後期の混乱への対応として作られたのです。

 

【優生保護法から母体保護法へ】

優生保護法の第一条には、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護する」と二つの目的が書かれています。

 

第一の目的は、1940(昭和15)年制定の国民優生法から引き継いだもので、富国強兵のために「優良」とされる遺伝子を持つ「健全」な国民を増やし、逆に「劣等」な遺伝子を持つ「不良」な国民を減らそうとする優生思想の考え方から、遺伝的な障害や疾患を持つ人が子どもを生まないよう強制的に不妊手術(「優生手術」)をおこなえる内容となっていました。

こうした優生保護法の規定により、1948年以降、障害者や遺伝性疾患の患者に強制不妊手術が1万6千件以上もおこなわれたほか、本当は遺伝性でないハンセン氏病の患者などに対しても本人の同意なしに不妊手術がなされるなど、人権を踏みにじる行為が合法的な医療の名のもとにおこなわれたのです。

 

精神障害を理由に60年前に強制不妊手術をされた

小島喜久夫さん(81)が国に求めた損害賠償を

札幌高裁が認めました(2023年3月16日)

 

1970年代以降に、そうした行為は人権侵害であるとの批判が高まったのを受けて、ようやく1996(平成8)年に優生保護法から優生条項をすべて削除する改正案が成立し、名称も「母体保護法」に改められました。

したがって母体保護法は、優生保護法の第二の目的、すなわち「母性の生命健康を保護すること」(第一条)のみを目的とする法律になったのです。

 

母親の生命健康の保護は、優生保護法の成立に力を注いだ加藤シヅエ(日本初の女性国会議員)や太田典礼(避妊具の太田リングを考案した医師)といった戦前から女性の生活と健康を向上させるために「産児調節」(確実な避妊と安全な堕胎)運動にたずさわってきた人たち(当時二人は日本社会党所属の衆議院議員だった)にとって、最重要の目的でした。

 

 

加藤シヅエ / 太田典礼

 

太田典礼が考案した避妊リングの一つ

子宮内に装着すると着床が妨げられる

 

というのも、加藤も太田も優生思想については肯定的でしたが、戦災からの復興が軌道に乗るまでの日本は、遺伝子による国民の選別など現実的な課題になる状況ではなかったからです(現在では、胎児の染色体異常を検査する出生前診断の広がりと、ダウン症などの障害や疾病を理由にした人工妊娠中絶が新たな優生思想の表れではないかと問題にされています)。

 

戦後まもなくは、「外地」(特に「満州」=中国東北部)から引き揚げる途中でレイプ被害にあい妊娠した女性が「内地」(日本本土)に着いて堕胎を望んだり、戦地から夫や若い男たちが帰ってきて子どもができたが、食糧も仕事も医療もどれをとっても不足している中でとても産める状態ではない女性で溢れていた時代だったのです。そうした女性たちが自分自身やヤミで堕胎しようとすると、命を落とす危険性が非常に高くなります。

 

福岡県の二日市保養所で堕胎手術を受ける

引き揚げ者の女性(Wikipediaより)

 

一刻も早く、安全な人工妊娠中絶を合法化しなければならなかったのですが、「産めよ殖やせよ」という戦時下の政策を引きずって、戦後も政府は妊娠中絶に否定的な態度をなかなか崩しませんでした。

 

しかし、1947年5月から1948年10月まで社会党が政権の座についたことと、このまま人口爆発が起きれば経済復興の足かせになると懸念した産業界の意向も働いて、一定の条件のもとで人工妊娠中絶を認める優生保護法が参議院に次いで衆議院でも全会一致で可決成立したのです。

 

同法は、1949(昭和24)年と1952(昭和27)年の二度の改正を経て、母体保護のため人工妊娠中絶が認められる条件に「経済的理由」がつけ加えられ(第14条4号)、また当初は必要とされていた地区優生保護委員会の審査や民生委員の意見書添付が不要になりました。

さらに「経済的理由」がゆるやかに解釈・適用されることによって、日本では世界に先駆けて本人(妊婦)の希望による人工妊娠中絶が事実上合法化・自由化されることになったのです(ただし、配偶者がある場合はその同意も必要なのですが、ハラスメントなどで夫の同意を得るのが困難なケースもあり、国連の女性差別撤廃委員会から2016年に配偶者同意規定の廃止を勧告されているにもかかわらず、見直しがされないままです。また、現在でも中絶には十数万円の費用がかかることから、そのお金が工面できないまま中絶可能な期間を過ぎてしまう女性もいます)。

 

人工妊娠中絶が合法化された結果、中絶の件数は激増し、ピークの1955(昭和30)年には年間120万件近くもの中絶手術がおこなわれました。

菊田医師が石巻で医院を開業したのは1958年ですから、ピークは過ぎていましたが中絶件数はまだ年間100万件もあり、中絶をおこなう産婦人科医院にとっては大きな収入源となっていました。

 

ちなみに、2020(令和2)年度の妊娠中絶届出件数はピーク時の12%にまで激減しており、中絶率は14.4%ですが、10代(59.7%)と45歳以上(44.2%)では中絶率が高くなっています(下図)。

 

出典:日本家族計画協会

 

ただ上の数字は届出件数であって、実数はそれよりはるかに多かったと推測されています。そして統計にのぼらない中には、妊娠中絶が認められる期間(当時は妊娠8ヶ月未満)を超えて中絶し、「死産」などとして届け出られたケースも過去には相当数含まれていたのではないでしょうか。

 

【人工妊娠中絶の是非】

胎児の成長を人為的に断つ人工妊娠中絶に対しては、特に人の命を神から与えられたものと考えるキリスト教圏においては「罪」として反対する考えが強くあります。

 

特にそれが大きな政治問題ともなってきたのがアメリカです。

1973年に女性の権利運動(フェミニズム運動)の高まりを受けて連邦最高裁が人工妊娠中絶の権利を女性に認める画期的な判決を下しました。しかし、キリスト教保守団体の支持を受けたトランプ前大統領が保守的な判事3人を連邦最高裁に送り込んだ結果、2022年6月に最高裁が1973年の判決を覆す判断を下し、大きな衝撃を与えました。

 

最高裁の判断変更の動きに抗議する女性

「私の身体、私の選択」

HUFFPOST(2022年5月10日)

 

人工妊娠中絶の是非を宗教上の理由から考えることがほとんどない日本では、堕胎やえい児殺し(間引き)は生きるためのやむを得ないことと考えられてきました。

先に見たように、明治以後に国策として堕胎は禁止されてきましたが、優生保護法(現在の母体保護法)の制定によって合法化され、現在では妊婦の希望(配偶者がいる場合はその同意も必要)により母体保護法指定医師(都道府県医師会が審査・任命)がおこなう人工妊娠中絶は基本的に自由になっています。

 

ただ、母体外での生存が不可能な段階とはいえ、そのまま成長すれば人として誕生する可能性のある胎児(妊娠8週までは胎芽と呼ばれる)を中絶することに抵抗感や罪悪感が伴う人がいるのは無理ないことでしょう。

 

最初の人工妊娠中絶を受ける時の気持ち(女性)

北村邦夫「中絶の実態」(朝日新聞、2020年5月20日)

 

人工妊娠中絶自体は確かに好ましいことではないので、性行為においては避妊についての責任ある行動をとることが男女ともに求められます。

けれども、もしも望まない妊娠をしたり育てられない事情ができた場合に、女性の健康と幸福を優先して妊娠中絶することは「人生において必要な選択」と考えるべきであり、人工妊娠中絶への後悔や罪悪感をことさらかき立てて女性の心に傷を残すのは決して良いことではありません。

 

ただそれは、胎児が妊婦の身体の一部にすぎない段階(現在では妊娠22週未満)までの話です。母体から切り離されても生存が可能となった胎児には、母親から独立した一個の人格として生きる権利があるとみなしうるので、その段階から人工妊娠中絶を原則禁止するのは理にかなったことでしょう。

 

菊田医師が苦悩したのはその境界領域での中絶、つまり当時の医療技術でも母体外での生存が可能な場合がある妊娠7ヶ月になった胎児の中絶の是非であり、もし中絶せずに出産する場合にはその子どもを誰の手でどう育てるかということでした。

 

【胎児の人権と人工妊娠中絶】

1973(昭和48)年4月24日の参議院法務委員会に参考人として出席した菊田医師は、玉置和郎議員の胎児の人権(生命尊重)をどう考えるかという質問に答えて、次のように述べています(『私には殺せない』に自身のメモとして掲載されている内容ですが、ここでは簡略にしました)。

 

参考人として意見を述べる菊田医師

 

「私の発想法としては、たとえば妊娠の2、3ヶ月から10ヶ月くらいにこれを分け、もし10ヶ月で成熟児として生まれた胎児が100%の人権を有すると仮定すれば、2、3ヶ月の、外へもし出したらまったく生命生存不可能な状態で100%の人権があると言えるか、私は抵抗を感じるわけです。それから、妊娠2、3ヶ月というものは、流産の可能性もあるわけです。

この時点でもすでに人権を100%認めろとなると、極論になりますが、数億の精子の人権も認めなければならないという問題まで、理屈だけでいけば発展しかねないような始末です。

人工妊娠中絶はいいことではありませんけれども、どこかの時点でこれを認めていかないともっと大きな問題に発展する。そういう観点から言えば、妊娠2、3ヶ月の時点では人権は私の感覚なりでとらえれば2、3%かそれくらい、その非常に少ない人権の状態でこれを犠牲にするのはやむをえない、少なくともいまの時点では次善のことではないかと観念的にとらえています。」

 

菊田医師は、10年間で約100件の赤ちゃんあっせんをする一方で、それよりはるかに多くの人工妊娠中絶の手術をしてきました。

 

ところが、アメリカの保守的なキリスト教団体を中心とする「プロ・ライフ(生命尊重)」派には、人工妊娠中絶そのものに反対するだけでなく、菊田医師が「極論」と述べたような受胎する(受精卵が子宮内膜に着床し妊娠が始まること)以前の受精卵やさらには精子・卵子までも生命尊重の対象とすべきだ主張する人たちまであります。

 

 

菊田医師がすでに病床にあった1991(平成3)年4月、国際生命尊重連盟から世界で二人目の「世界生命賞」が彼に贈られたことは前編に書きました。

この国際生命尊重連盟は「プロ・ライフ」派の国連NGO団体で、前年に同賞を初めて受賞したのはマザー・テレサです。マザー・テレサは、インドで死を前にした身寄りのない人を献身的にケアしたことで有名なカトリックの修道女で、奇跡を行ったと認められ死後「聖人」に列せられた女性ですが、カトリックの教えどおり人工妊娠中絶を無条件で認めない立場を貫きました。

 

 

ところが人工妊娠中絶を数多くおこなってきた菊田医師が同賞を受賞したことが小川には不思議でしたが、受賞した4月27日にはカトリック系の上智大学で同連盟による国際生命尊重会議が開かれて、菊田医師を発案者とする「胎児の人権宣言」が採択され、この日を「世界生命の日」とすると宣言されました。

 

朝日新聞(1991年4月23日夕刊)

 

この「胎児の人権宣言」では、第1条で「胎児ひとりびとりが、受精以後の発育のすべての段階において、人間であるという科学的事実を確認する」とし、第3条で「胎児が、1948年の国連の人権宣言に述べられている胎児以外のすべての人間の基本的権利と同様の権利を有することを確認する」と述べられています。

 

これらは1973年の菊田医師の考えとは明らかに相容れない内容ですが、人工妊娠中絶がおこなわれる現場から離れた晩年になって菊田医師は、中絶は「赤ちゃんの虐殺」であるとして胎児の成長段階を問わず全面的に否定する考えに変わっていったようです。

 

そのあたりの事情についてWikipediaによれば、菊田医師はマザー・テレサや「中絶は殺人ではないか」と彼に問いかけた辻岡健象牧師の影響で、「クリスチャンである妻は天国に行くが、赤ちゃんを虐殺してきた自分は永遠の地獄に行く」と気づき、回心してキリスト教の信徒になったとのことです。

菊田さんの晩年の心境について詳しく分かりませんので断言は避けますが、もし自分が地獄に行くことを恐れるあまり「罪」を懺悔して人工妊娠中絶を全面否定する立場に変わったとすれば、それは残念なことだと小川は思います。

 

後編では特別養子縁組と血縁の問題について考えます。

 

(後編へ続く)

 

 

こちらが前編です↓

 

 

 

 お読みくださり、ありがとうございます💕

後編も宜しくお願いいたします🥹

 

参考資料↓