人の役に立つということには、仕事によって役に立つのか、家族や仲間のために役に立つのか、それとも精神的な支えとして役に立つのか、といった違いがある。
人の役に立つという言葉は、能力によって役に立つといったことを意味することがほとんどであると思われる。
能力主義が優先されるようになった社会だから、社会においては、能力のない者は人格を否定されることもある。
人にとっては、社会で成功することが、最も人の役に立つことだと客観的に思われている。
しかし、社会での成功と全く関係なく、霊性は成長する。
霊性の成長を願うと、他愛・共存主義が優先される。
しかし、自愛がなければ他愛は生じることはない。
だから自愛だけ優先することがこの社会であり、人の役に立つという建て前はあっても、本音はない。
社会で成功するということは、偽善である。
人の役に立てることなどない。
あるのは自分の役に立つことだけだ。
あるのは他愛・共存主義という理想だけだ。
能力のない者は、労働基準法によっては救われず、追い出されるか自ら去るだけのことになる。
経営者からすれば、自分、会社、他の人を守るための防衛として、人を操作する。
悲しみが残るが、人を守ることはできない。
理想主義では現実主義に太刀打ちできない。
現実は待ってくれない。
理想主義に根ざした霊性の成長は、社会にはな、個々の人の中にある。
伊勢 朝熊岳金剛證寺













