働くことの楽しさを求める若年。
働くことのつまらなさを悟る中年。
働くことの苦しさを知る老年。
ほとんどの時間が仕事に制約される者にとってみれば、働くことはこのように変遷していくだろうか。
楽しさがあると信じているのが若年であるが、あるときからどんなことでもつまらないものだと気づく。
それは逃げ出すためのつまらなさでもなく、むしろ継続するためのつまらなさだ。
このつまらなさを感じるようにならなければ、まだまだ気は移ろいやすく一定していないことだろう。
つまらないことと言い切れるところに安定感がある。
仕事、社会、自分のあり方に納得してのことだろう。
つまらなさを理解すると、それがありがたさに変わる。
つまらないことと自覚しながら継続できることに、また、つまらないことで成り立つということにありがたさを感じる。
社会はつまらないことを大切にしているということに気づく。
どんなことでも、どんな人でも、つまらないものには変わりがない。
人はそれをいかに装飾して、楽しみであるかのように見せかける。
こうした見せかけが起爆剤となって、社会を牽引していくことにもなるだろう。
その一方で、人を装飾せず、つまらないものをそのまま受け入れることも必要だ。
人を装飾しようとするあまり、つまらないという安定感を壊そうとすることになるからだ。
存在を肯定することと共に、存在を否定することも同時に持ち合わせなければ、装飾した自分に惑わされることになる。
つまらなさを悟る中年には、安定したパワーが生まれることになるだろう。
その後の老年はよく分からないところだ。
つまらなさを突き抜けて、生きるという行為自体に一体化できるだろうか。
これができなければ、苦しさのみを知ることになるのではないだろうか。
そういう風に働くことの意識が変わっていくのかな。






