何とか昨日一日の仕事を終えた。
黙って考え、黙って書き続けるということは思っている以上に大変に思うときもある。
何が大変かといえば、一歩違えば考えて書くための機械と化してしまうからだ。
誰しも生味の人間でいたいと思うから、そのような機械になりすますことは辛いことだ。
この世の中の多くの仕事というのは、人にとっての苦痛を強いるものである。
若い時に思う苦痛の意味と、年を取ってから思う苦痛の意味とはだいぶん違う。
若い時は社会勉強だと思えばいいかもしれないが、年を取ってからはこれが仕事だと割り切ることしかなくなる。
年を取ると、言うならば仕事に見切りを付け、社会のルールに堪忍することしかないようだ。
一日一日は何も意味のない日である。
それはやるべきことをやると言ったサイクルの繰り返しである。
このサイクルに何も意味はない。
ただし社会で認められるルールに則っているからこそ、報酬が得られる。
その点に意味があるだけであり、できることなどたかが知れたものだ。
そう思うからこそ、余裕ができてくるとも言えるのだろう。
よき仲間を得たいと思うものだが、この仕事を続ける以上難しいことだ。
人生は常に、どこで諦めるかであり、どこで満足するかである。
すべてが得られたと言えるのは唯一、他を諦めたときだけである。
不足していると思う気持ちを捨てない限りは人生は暗いままである。
不足を感じないようにするには、自己否定から始まって自己を破壊することにあるようだ。





















