9月から11月にかけては、まさに行事のシーズンだ。
10月に入っても全く暑いままで、半袖のまま10月に突入だ
主観と客観、今の自分が何を考えているのかを意識してみると、主観的なことと客観的なこととが入り混じっている。
主観から客観、客観から主観。
会話などの場合には人に共通する必要があるから客観になり、ブログを書く場合等には人に共通する必要がないから主観になる。
その場で咄嗟にしゃべる場合には客観になり、あれこれ考える場合には主観になる。
主観と客観はどちらも大切なことだ。
我々はいつしか、主観が幼稚なことであると決め付けて、客観に傾こうとする。
主観とは感情的な見方であり、整理されない混沌とした身勝手な立場だと思うようになる。
これに比べて、客観とは理性的な見方であり、整理された秩序が存在する立場だと思うようになる。
だからできるだけ客観によって反応すれば大きな過ちは生じないと思い込む。
こうして社会は進歩し、これからも進歩していく。
主観はどこかに消し去ろうとしているのか。
それともそれぞれの人の中に熟成されていくのか。
子どもは子どもらしく子どもであることに拘り、大人は大人らしく大人であることに拘る。
この拘りは意識せずとも必然的な成り行きとして生じることだ。
客観になって行動し、主観になって意味を考えようとする。
しかし、この行動と考えることは、本来は一体的なもので、これが意識されず、うまく一致していることが健全であるということだろう。
行動するときには考えず、考えるときには行動しない。
そんな境界を持ってしまうのが人の立場である。
思っていることを口にすることは難しく、思ってもみないことを口にしては主観から離れる。
思ってもみないことを口にすることも難しく、思っていることを口にしては客観から離れる。
主観に入っては心細くなり、客観に入ってはつまらなくなる。
主観と客観が一体化されるように行動すれば、自分にとっても他人にとっても健全となる。
これは主観も客観もなくなることを意味するように見えるが、本当のところはどういうことなのかわからない。
人の社会を創っていくものは主観だけでもなければ客観だけでもない。
その中間がどこにあるのかよくわからないままである。



きのうすごく明るい流星🌠を見つけたっ