年に2回ぐらいしかやらないゴルフに行って、2回とも雨に降られ、スコアはもちろんボロボロ
娯楽の一種としてゴルフは悪くないが、ミスショットを連発すると結構疲れる
ゴルフか飲み会かゲームか、それぐらいしかできる娯楽はないのかな。
愚痴会になってしまう飲み会に行くことを控えているが。
娯楽にハマると自分がなくなってしまうだろう。
自分は客観的な情報で捉えられてしまう娯楽にはなく、主観的にしか捉えられない感覚にあるからだ。
しかし、息抜きであったり、普段しないことをすることは大切だと思う。
それによって気づくことが多いからだ。
それに、仲間を持っていると救われる時がある。
どんどんどんどん日は過ぎて行く
人は自らを失ったまま、自らを情報と化して、前へ進んで行く。
人が失ったものは何か。
人が人に帰るにはどのようなことを心がけるといいのか。
意味があると思っていることは何も意味のないことばかりであるが、この意味のなさの中にしか人はいないようだ。
働くことの先にも大きな意味はない。
しかし、意味がないということが、我々人にとっては唯一の現実であるかもしれない。
我々はそれ以上のものになることができない。
個々の人生には意味がないが、意味がないことを知っていればそれで救われる。
どのように生きるのも自由であると、気づくからだろう。
しかし夫々の人に自由はあってないものだ。
我々の言う自由とは、そもそも何でも好きにできるということを意味しない。
言うならば、我々の自由とは、自我、考え方、執着などからの自由を意味するのだろう。
慌てること、焦ること、いらつくこと、惨めなことからも、考えることをなくせば、かなり自由になる。
意味を問うことは生きることである。
しかし、肝心の問うている意味は初めからないかもしれない。
それでも人は、生きることに自由になれば幸せになれる。
見つめれば見つめるほど、意識すれば意識するほどに意味は消えていくが、消えていく意味は人から幸せを奪わない。
人は意味から自由になって、気が軽くなる。





















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