休み明けの方が疲れを感じるのは、休みの方が活発に動いているからに違いないだろう。
月曜日のかったるさを過ぎて火曜日へ。
日々を生きていることは、自分に回帰する感性がなければ、なかったことと同じになる。
日々の一つ一つの行動が仏の現れであると思えば、生きるという小さなことに感謝が生まれる。
一つ一つが仏の現れであると思えば、一つ一つが粗末に扱われない。
一見、仏と関わりのない考えるという行為にも、心が宿れば感謝となる。
我々は右にあったものを左に動かすという作業をしているに過ぎず、役に立つという幻想の元で人生を送る。
そこに仏がなければ、幻想が幻想でなく、幻想であると永遠に知ることもなく終わって行くことになる。
終わりは誰にでもやってくるが、仏は誰にでもやってくるが訳ではない。
仏は自分に回帰した者にしかやってこない。
仏を見ることは難しくても、仏を忘れることは簡単だ。
一瞬にして消えてしまう。
一つ一つの行為が仏の現れとするために、仏を消してしまわないことが必要になる。
仏はいつでもすぐ近くで待っている。
生ずることもなければ滅することもない今に仏は住んでいる。
我々の力がないためにそれを感ずることができない。
この力を維持することは簡単そうに見えて難しい。
人間としての愚かさを捨てることはできないからだ。
それでも人間は唯一の救いである。