人は仕事とは切っても切れない縁にあり、仕事から見放されては生きて行くこともできない。
そんな仕事は、顧客の満足を得ることを目的とする。
顧客のためになれば、人のためになっていると言えるのだろう。
そんな前提の中で我々の職業は形成されている。
人の教育のための仕事もあろうが、その教育は、社会に認められる道徳観、経済的に有用になる技術を教えることにあるのだろう。
我々にとっての仕事は、第一に経済的に有用であり、第二に社会的に有用であることを目標とする。
しかし、経済も社会も元々は実態のないものである。
実態のないものを目標とするから、仕事にも実態はない。
ものづくりを伴わない仕事は虚しい。
実態のないことが見て取れるからだ。
しかし、ものづくりを伴わない仕事の方が経済的には有利になったりする。
ものづくりを伴う仕事も虚しい。
売ることを目的とせずには成り立たないからだ。
売ることではなく、使ってもらうことを目的とするものづくりであるならば、虚しさは半減するだろう。
しかし、その先には仕事として成り立たない虚しさが残る。
虚しさがないのは、使ってもらうことを目的として、経済的にも成り立つ仕事であるだろうか。
しかし、人の欲求は高次元のことから低次元のことまであり、人の欲求には切りが無い。
仕事は、自己満足を目的としない限り、続けることが難しくなる。
仕事は、一定のルールの元で行われれば、あとは顧客の満足のためにあるだけであり、強いては自己満足のためにあるだけになる。
人には仕事の本当の目的が永遠にわからないのかもしれない。
少なくとも、仕事の本当の目的がわかることは求められない。
人として生きることは、人の醜さを感じれば辛いことである。
しかし、人の醜さを自らのものと感じれば、人として生きることは辛いことではなくなる。
それは、決して果たされることのない、人としての理想を含むもの。
人の欲のためにしか生きられないから、人は醜い。
しかし、欲から離れて人が生きられようか。




























































































